火曜日の友人

 草薙出雲と天乃紗代との付き合いは長い。
 紗代が学生だった時、夕飯を求めてふらりと立ち寄ったのが草薙のバーであり、一度で草薙の作る料理の虜となってしまった紗代が暇を見つけては草薙のバーに通うようになり、気付けば常連と呼ばれる存在になっていた。
 サラダからデザートまでフルコースで頼む紗代の客単価は高く、草薙の中で紗代は常連の中でも特に優遇すべき存在だと認識が芽生えたある日、いつものようにバーへ夕飯を食べにやってきた紗代が、「就職難民を脱出しました!」と嬉しそうな表情で現状を報告したので、その場に居た吠舞羅の面々で少し早い紗代の就職祝いをしてやったのが一年半ほど前。
 四月になり新しい季節が始まると、公務員となったらしい紗代は忙しくなってしまったのか、月に一度顔を出すか出さないかというレベルの来店頻度になってしまった。
 それを残念だと思うのは草薙にとって当然の感情であり、時折疲れた顔をして来店する紗代を気遣うのも当然だと思っているのだが、ある時ふとアンナから「紗代がいないと、さびしい」との発言を受け、ようやく草薙は己の中にぽっかりと空いていた穴に気付いたのだ。
 まるで吠舞羅の一員かのように毎日同じ時間にやってきて、草薙の作る料理を褒め周囲に居る吠舞羅の面々と談笑して帰っていく紗代。
 十束に似通った雰囲気を醸し出す紗代に懐いている人間も多く、いつの間にかそこにいるのが当然のようになってしまっていたのだから、いなくなれば寂しいと思うのは当然の事。
 女性が苦手な癖に紗代にだけは普通に接していた八田は特に悲しんでいたし、たまたま仕事帰りに寄ったと思われる紗代を見た時の反応は今でも忘れられないと当時の騒音を草薙は耳の奥で思い出した。



「いやぁ、しっかし驚いたわ。紗代ちゃんてば青服になるんやもんなぁ」
「公務員目指してたんですけどねぇ。いや、一応公務員なんですが」
 役人たるお偉いさんへ決算の書類を提出しに行った帰り、あまりに疲労が溜まりすぎて申し訳ないと思いながらも草薙さんのバーへ寄ってしまった。
 やはり疲れている時は美味しい物を食べて鋭気を養うに限る。
 お昼前という、バーとしての開店には少しばかり早い時間ではあっても、此処の主であるマスターは客人を追い返すような事はしない。
 そのせいでつい甘えてしまうのだけれど、草薙さんも草薙さんで接客営業だと割り切ってくれているので、私としては大助かりだ。
「あん時の八田ちゃん、今でも時々思い出すんよ」
「八田さん怒ってましたもんねぇ」
「紗代ちゃんに裏切られたような気がしたんやろうな」
「気持ちは分かりますけど、私だって此処が赤のクランの拠点として登録されているなんて知りませんでしたし、おあいこって事にして欲しいんですけどねぇ」
 薄めに挽いてもらったアメリカンコーヒーで咥内を潤しながら、真っ赤な顔で声を荒げていた八田さんの姿を思い出す。
 BAR HOMRAで提供されるご飯は絶品だが、店内にたむろしている人間達の素行はお世辞にも良いとは言えず、チンピラのような雰囲気を醸しだしているせいで売り上げが落ちている事は分かり切っている事実だ。
 特に普段は二階に住んでいるらしい周防さんが店内に居る時は、妙な緊張感が充満していて普通一般の客は息苦しさを覚える事だろう。
「まだこき使われてるん?」
「そうですね、こき使って頂いてます」
「目ん下、可哀相な事になっとるよ」
「カラス繋がりで、八田さんとお揃いになれますね」
 ベーコンの焼ける良い匂いに鼻を軽く鳴らし、白磁のカップの中で泳いでいる黒い鏡面を覗き込むと、自分でも酷い顔をしていると自覚が沸いてくる。
 死にたくなるほど忙しい期間が終わり、束の間の休憩が与えられたのは数時間前のことであり、明日は何日ぶりになるか分からない休日だ。
 このまま職場に戻ったら浮かれた気分を悟られて揶揄されそうだし、戻る前に他の場所で発散し平常心を保っていた方が午後の業務が捗るような気がする……というのは建前で、草薙さんの作った美味しいご飯が食べたいという欲求に抗えなかったというのが本音。
「はぁ……吠舞羅の人って良いですよね。いつも草薙さんの作った美味しいご飯食べれるんですもんね」
「そないに褒めてもなんも出ないわ。やて、おおきに」
「いやいや、本当の事ですよ。職場にも食堂はあるんですが、なんていうかこう……大衆向けな味なんですよね。特徴がないっていうか、不味くはないけど感動することもないっていうか」
 仕方ないと分かってはいても自分好みの味付けが恋しくなる。
 学生であった頃は時間の融通も休みも自分の思い通りに出来たけれど、まさか公務員というジャンルに分類される仕事があんなにハードだとは思わなかった。
「時間厳守な定時退社、んで給料安定で老後も安心。が公務員の売り文句じゃなかったんですかね」
「あー……あそこが特別なやけやろ」
「そうですね。上に立つ人間がパズルばっかりやってるような職場は特別ですよね」
「青の王様は何したはるんやろうな……」
「さぁ? パズルをやる意図なんて聞きたくもありませんね」
 王なんてロクなもんじゃない。
 赤の王である周防さんも寝てばかりだというし、上に立つ人間は下っ端に任せてばかりではなく自分から率先して動くべきなのではなかろうか。
「草薙さん」
「んー?」
「何だか今、ものすっごく気持ち悪い想像しちゃったんでお肉多めでお願いしたいです」
「なんやの、それ。まぁええよ」
 苦笑しながらこちらのオーダーに答え、ベーコンの追加をする草薙さん。
 早く美味しい昼食にありつきたいという気分と、いつまでも肉を焼くという素敵サウンドに耳を傾けていたいと思う気持ちが半々。
 以前試しに本音を漏らしてみたら、鎌本さんみたいだと言われたので、それ以降は心の中だけで思うようにしている。
「紗代ちゃん、悪いんやけど、尊とアンナを――」
「起きてきたみたいですよ」
 階段を軋ませる音と共に、吠舞羅のデコボココンビが姿を現す。
「紗代」
「アンナちゃん久しぶり!」
 特徴的な制服を来ている私を気にする事無く隣まで歩み寄ってきたアンナちゃんの為に、一度椅子から降りアンナちゃんの身体を持ち上げて、隣の椅子に座らせてあげる。
「紗代、げんき?」
「うん、お陰様で毎日楽しくやってるよ」
「……ここに、いたときよりも、たのしい?」
「こら、アンナ」
 苦笑しながら窘めた草薙さんに「ごめんなさい」と謝罪するアンナちゃんは可愛い。
 セプター4にもこんな可愛い子がいたら、と一瞬思ったけれど、いたらいたで色々問題が沸き起こりそうなので、やはりあの空間は男性比率が多めの方が良いのかも知れない。
 私も淡島さんも、女性という括りには入っていないみたいだし。
「アンナちゃんは元気?」
 私の問いに小さく頭を上下させながら、出されたジュースに口を付けるアンナちゃんを見ていたら、なんとなく視線を感じたのでソファーに腰を下ろしている周防さんの方へと顔を動かした。
「周防さんもこちらに来ません?」
「……行かねぇ」
「まぁまぁ、そんな事言わずに」
「……」
 面倒だと全身で語り、気怠そうに煙草を銜え指先の火を移す周防さん。
 いっそ青服の近くには行きたくない、とかそういう具体的な回答を出されればこちらとしても納得しやすいのに、動くのが面倒だと言われると邪魔をしたくなってしまう。
「まぁまぁ、気にせんと食べや」
 カップとお揃いの白磁の皿に、サラダとメインが綺麗に盛りつけられたワンプレート。
 バーに通う切っ掛けになったといっても過言ではない料理を前にすると、胸の中に溜まっていたもやもやが綺麗さっぱり消えていく気がするから、やはり料理の持つ力は偉大だ。
「アンナちゃん」
 カウンターに置かれた皿を持ち、隣に座っていたアンナちゃんに目配せすると、こちらの意図を読み取ったアンナちゃんが軽やかな足取りで椅子から飛び降り、周防さんの元へと歩いて行き定位置に腰を下ろす。
「ん、アンナはそっちで食べるんか」
「紗代も」
「ん?」
「もっちろん!」
 首を傾げた草薙さんを横目に、自分の分とアンナちゃんの皿を持ちソファーの前に置かれているローテーブルの左右に料理の皿を置く。
 一つは周防さんの右側に座るアンナちゃんの前に。
 もう一つは、誰も座っていない周防さんの左側に。
「……オイ」
「草薙さーん、食器三人分でお願いします!」
「畏まりました、マドモアゼル」
 堪えきれないと肩を揺らしながら曇り一つ無く磨かれた銀の食器をトレーに乗せ持ってくる草薙さんを、隣に座っている周防さんが睨んでいるような気がしたが、別に気にしたところでどうなる訳でもないので無視しておいた。
「頂きます」
「いただきます」
「……」
 小さな音を立てて料理を食べ始める私達と極力視線を合わせないようにしているのか、背もたれに身体を預け天井を仰いだままの周防さん。
「食べないんですか?」
「ミコト、イズモのごはん、おいしい」
「食べさせてあげましょうか?」
「……」
 無言のまま視線だけをこちらにやった赤の王の口元に、有言実行だとフォークに刺したプチトマトを近づけてみる。
 このまま口を開けて食べたらそれはそれで面白いし、食べなかったら食べなかったで新鮮なトマトは私の血肉になるだけだ。
「……」
「周防さん、あーん」
「ミコト、あーん」
「いやぁ、我らが王様はもてもてやんなぁ」
「……」
 無視、無言を貫く赤の王も、両サイドを陣取った女性陣からの攻撃にはどう対処したらいいのか分からないらしい。
 こういう所が人間ぽいのだと言ったら多分馬鹿にされるんだろうけれど、本来二十四歳なんて社会人二年目で半死半生モードに陥っているのが多いのだから、少しばかりこの王様も苦渋を味わってみるべきなのではないか。
 まぁぶっちゃけていえば、自分の所の上司に出来ないことを、同じ立場にいる存在へやることによって憂さ晴らしをしているとも言う。
「ちわーっす……って何やってんですか、あんたら!?」
 吠舞羅の切り込み隊長で周防さんが大好きな、ヤタガラスの八田さん。
「って紗代じゃねぇか!」
「お久しぶりです、八田さん」
「おまっ、そ、その、青服着て尊さんの隣に座ってんじゃねぇよ!」
「えー早いモン勝ちですよ、弱肉強食な世の中ですよ、八田さん」
 真っ赤な顔をして怒鳴ってくる八田さんがなんとなくプチトマトを連想させ、周防さんに食べさせてしまうのは勿体ないと意識を切り替え、突き付けていたフォークを回収し自分の口の中へ入れる。
「てか何でお前が此処にいんだよ」
「お昼ご飯食べに」
「はぁ?」
「はぁ? ってなんですか、はぁ? って。青服になったらご飯食べに来ちゃいけないんですか? そういう法律でもあるんですか? あるなら教えて下さいよ、戻ったら資料室調べて始末書作成しますから」
「ん、んな、こと、言って……ねぇだろ」
 唇を尖らせ、先程まで私の座っていた場所に腰を下ろす八田さん。
 少しばかり背が伸びたような気がしなくもなかったが、恐らく成長期は終わっていると思われるので、スニーカーか何かを厚底のものに新調したのだろうと推測しておく。
「八田ちゃんは紗代ちゃんの事が大好きやから、会えなくて寂しかったんよ」
「はぁ!? ンンンなッ、んな訳、ねーし!」
「えっ、私八田さんに嫌われてたんですか……悲しい」
 わざとらしく肩を下ろすと周防さんを挟んで反対側に居たアンナちゃんが身を乗り出し、私の手に小さな手を重ね「げんき、だして」と慰めの言葉を掛けてくれる。
 まるで作られたような光景に付き合いきれないと私達の間に居た周防さんは特大級のため息を吐き出し、そんな周防さんを楽しそうに見つめながら草薙さんが定位置であるカウンターの内側へ戻っていく。
「ち、ちがっ、違ぇよ! べ、べべ、べつにっ……」
「じゃあ好きですか?」
「は!? な、ななっ、なんでそうなるんだよ!」
「嫌いの反対は好きじゃないですか。ねーアンナちゃん」
「うん」
 真っ赤な顔で言葉を詰まらせている八田さんをおかずにサラダを食べ進めると、普段よりもなんとなく甘いような気がするのは、人の不幸はなんとやら、というスパイスが効いているせいだろうか。
「おっ、お前の事は……その、嫌いじゃ……ねぇし……その、なんだ。落ち着くんだよ……べっ、別に変な意味じゃねぇからな!? ダチみたいとか、そういうやつで……あーくっそ!」
「分かってますよ、八田さん。ちょっと疲れが溜まっていたのでからかってしまったんです、すみません」
「別に、謝る事じゃねぇだろ……。てか、そんなに忙しいのか」
 カリカリに焼かれたベーコンに舌鼓を打ちながら、急に真面目になった八田さんをチラ見して、食事に手を付ける気配のない周防さんへと視線を移す。
「暇ではないですね。時に周防さん。食べないなら貰っても良いですか? 私ものすっごくお腹減ってるんです」
「……食う」
「それは残念」
「紗代、わたしの、たべる?」
「ううん、大丈夫。アンナちゃんありがとうねー」
 人受けの良い笑みを張り付けながら、狙うのは手つかずのベーコン、肉だ。
 この世は強い者が総取りする世界。
 食べると意思表示をしただけでは甘いし、隙を見せた方が悪いのだと自然な動作で隣の皿へ手を伸ばし、何食わぬ顔でベーコンを捕獲し己の咥内へ迎え入れれば、「テメェ、何してんだ紗代!」と八田さんの怒声がバーの内部に響き渡った。
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