アンラッキーボーイ

「紗代、これあげるわ」
 書類の積み重ねられたデスクの上、わずかに開いたスペースに押し込まれたあんこの山に首をかしげながら淡島さんへ感謝の言葉を告げると、涼しげな目元に優しい光を宿し淡島さんは「ご苦労様」とねぎらいの言葉を向けてくれた。
 それだけでも充分心は温まったけれど、甘い物まで頂いてしまってお礼をしないというのも失礼な話だろう。
 そのことを正直に淡島さんへ尋ねれば「一ヶ月後を楽しみにしているわね」と、意味深な事を言われてしまい、私の中に悩みの種となる疑問が残される。というのも、日頃は副長という立場で忙しなく動いている淡島さんの数少ない休日に、みっしりと隙間無く予定が詰められているのを以前聞いたことがあるからだ。
「うーん」
 一ヶ月後の同じ日付を確認してみても紙面の色は平日を表すもので、淡島さんが楽しみにしているような休日ではない。あの淡島さんがわざわざ楽しみにしていると何かを仄めかすような発言をしたのだから、やはり来月の今日という日は特別な意味合いを有すると考えて良いだろう。
「どうしよう」
「なにがなにがー?」
 思考に囚われペンを止めた私の背後から響いた明るい声に振り向くと、特務隊のムードメーカーの一人である道明寺さんが妙にソワソワとした気配を纏ってこちらに歩いてくるのが見えた。
「お疲れ様です、道明寺さん」
「なぁなぁ天乃、俺に何か渡すものなーい?」
「道明寺さん宛の書類なら今日はありませんけど」
「ちーがーうって! もっとこう、黒くて甘いものあるでしょ?」
「黒くて甘い……? コレですか?」
「おっ!」
 バックに花を背負ったかのような笑みを湛え私との距離を一気に詰めた道明寺さんは、机上に置かれた黒い塊を目にした瞬間「ぴゃっ!」と男性らしからぬ可愛らしい声を上げ、先程までとは一転し警戒心に溢れた気配を撒き散らし数歩分の距離を後退した。
「げぇっ! なんだよそのアンコ!」
「淡島さんがくれました」
「うへぇ……み、みただけで胸焼けが……」
「そうですか? 美味しそうだと思いますけど」
 あんこの根本に突き刺さっていた小さな銀スプーンを片手に装備し、そびえ立っている頭頂部を切り崩して口の中に運んでみると、上品な甘さが舌の上を滑り喉奥へと落ちていく。
「淡島さんに失礼ですよ。それに、淡島さんこだわりの一品なのか、ほのかな甘みで美味しいですよ、これ」
「ぜってぇ嘘だ!!! 俺、信じないもんねー!!」
 顔の前で大きく両手を交差されバツ印を作り、視界にも入れたくないと顔を背ける道明寺さん。たしかに淡島さんのあんこへ対する執着は恐ろしく、悪食といっても過言ではないけれど、何も人の好意をそこまで無下にすることもないのはないかと、私は二口目を咥内に迎え入れながら道明寺さんの観察を続けた。
「道明寺さんだって疲れたときには甘い物食べたくなりませんか」
「アンコだけは食べたくならない」
「美味しいのに」
「見た目がだめ、絶対にだめ、もうだめ」
 道明寺さんが勢いよく頭を振る度に、明るい色の髪が左右に広がるのがなんだか面白い。
 あんこ憎しと言わんばかりの視線で黒い塊を睨む道明寺さんは、きっとあんこに親でも殺されてしまったのだろう。
「とりあえず、私が今保有している黒くて甘いものはこれしかないので……ご期待に添えず申し訳ありません」
「えー! 絶対天乃なら用意してくれてると思ったのにぃ!」
 わざとらしくブーイングをしている姿をみると、本当にこの人は撃剣機動課第四小隊の小隊長だったのかと疑問を抱いてしまうのだが、日高さん達が時折懐かしそうに当時の事を話しているのに遭遇するので、自己申告の捏造過去なのではないのだろう。
「なんでそんなに甘い物欲しがるんですか?」
「バレンタインじゃん!」
「……はぁ?」
「バレンタインっていったら女の子からチョコが貰える日だろぉ! 空気読めよ天乃!」
「えっと……なんか、その、すみません」
 そういえば最近行きつけのマーケットで特設コーナーが組まれていたなとは思っても、まさかセプター4という組織においてバレンタインを気にするような人がいるとは思っていなかった。
 日頃お世話になった人達へ感謝の気持ち、という意味合いでなら納得出来るけれど、特務隊の経理という仕事を一手に引き受け、日々好き勝手暴れてくれた荒くれどもの尻ぬぐいをしている身としては、私こそが甘味を貰うべきなのではと考えてしまう。
 というか――定期的に熟考してしまうのだけれど、私はちゃんと庶務課の所属なんだよね?
「なーなーチョーコーレーエート!」
「……」
 わざとらしく机の端を叩き催促をしてくる姿は歳相応――よりもかなり幼く……むしろ、幼稚に見える。こんな人が上に立っていたなら当時の部下だった人達は大変だったのだろうなぁ、と思いつつ、馬鹿と天才は紙一重という言い回しを思い出しながら三口目のあんこをスプーンの上に取り分ける。
「むぐっ!?」
「お望みの甘いものですけど」
「むーっ!」
 飲み込むのも嫌なのかスプーンに歯を立てて防御しているのか、私の手から離れた銀色はあんこではなく道明寺さんの口に突っ込まれたままになってしまった。
 これでは私が淡島さんから貰ったあんこの山を切り崩せないではないか。というよりも、これがバレンタインデーのチョコ代わりなのだとしたら、ホワイトデーにお返しをしなくてはならない。
「ホワイトデーって三倍返しが妥当なところなんでしたっけ?」
「むー!! むーっ!!」
 未だあんことの攻防戦を繰り広げているのか、素直に一口分飲み込んでしまえばいいのに、道明寺さんは相変わらずスプーンを咥えたまま身振り手振りで何かを訴える。
 私はエスパーではないし、そこまで道明寺さんとの付き合いが長いわけではないのだから、身振りで異議らしきものを申し立てられているような気がしても、正確に道明寺さんの言い分を把握することは出来ないのだから、ちゃんと言葉で説明すべき――と内心で駄目出しをしつつ、わめかれたらわめかれたで厄介だと現状を肯定することにした。
「このあんこいくらなんだろ……」
 大量のあんこを脳内で紙幣に換算しながら、三倍になりそうな数字を頭の片隅で算定していく。
 副長として凜とした大人の女性の見本となっている淡島さんが、意外と可愛いもの好きだと知ったのはセプター4に入ってすぐのことだ。
 となれば、ぬいぐるみなどなら喜ばれるかもしれないと、足裏に名前を入れてくれる熊のぬいぐるみを思い浮かべながら思考する事数十秒、ようやくあんこの攻撃に打ち勝ったらしい道明寺さんがスプーンを片手に眉根を寄せたまま、「ひどい……」と恨み言を口にする。
「美味しい物は別腹、でしょ?」
「アンコは美味しくない!」
「それ、絶対淡島さんの前じゃ言わない方がいいですよ……」
「うっ」
 あからさまに肩を落とす道明寺さんのせいで、すっかり仕事をする気が失せてしまった。
 時間的にも遅いランチくらいなら食べれそうだし、あんこのお詫びにご飯でも誘ってみようか。
「道明寺さん、お昼食べました?」
「食べてないのにアンコ突っ込まれた俺の気持ちわかる?」
「すみません……。お詫びといってはなんですけど、バレンタイン兼務で中華でも食べに行きませんか? 歩いて数分くらいの距離ですけど、結構遅くまでやってるところがあって――」
「え、いくいく! 全然行く!」
 先程までの鬱々しさが嘘のように晴れ晴れとした笑顔で飛び跳ねる道明寺さんを見ていると、伏見さんと同じ歳とは到底思えない。
 最近の十九歳って良く分からない、と知り合いの顔を脳内に並べ打ち込み中だったファイルを保存し、モニターの電源をオフにする。
「とーぜん、デザート付きだよな」
「あまり高いのは遠慮してくださいよ? 私だってそんなに余分なお金があるわけじゃないんですから」
「もっちろん! あー他人の金で食べる飯って美味いよな!」
「それには同意します」
「話が分かんじゃん、天乃ー!」
 ウキウキと足取り軽く前を軽く道明寺さんの背を見つめながら、来月のホワイトデーには三倍返しなフレンチを奢って貰おうと心に決めた。
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