【世界にとっては普通の日】




 執務室に誂えられた畳の間でお茶を点てていた室長に視線を合わせると、「天乃くん」と私の名が呼ばれる。
「ご用があると伺いましたが」
「結婚しましょう」
「は……?」
 目覚めて恋人同士になってから数時間。
 まさか一般的な付き合いをすっ飛ばし、求婚されるとは思いもしなかった。
「冗談にしては笑えませんが」
「私はいたって真面目ですよ」
 私の動揺をよそに、室長は相変わらずの涼しい顔で手を動かしている。
 普通、結婚というものは仲を深めた男女の終着点ではなかっただろうか。勿論互いの利を得るための政略結婚なども存在するが、一般的には好き合った男女が婚姻を結ぶものだ。
 そういう点で言えば、一応恋人同士という枠組みに入った私と室長の間に、結婚というコマンドが使用されてもおかしくはないが、いかんせん恋人という枠組みに収まってから片手の指で足りるほどの時間も経っていない。
 そもそも、恋人というのも名前だけの関係なのに、何故急に結婚という単語が飛び出してくるのだろうか。
 意味がわからないと動きを止めた私に注がれる視線は、いつもとなんら変わりない。
 甘さの欠片もなく、温度すら感じさせない。全てを見通すような凪いだ瞳。
「考えさせてください……といいたいところですが、おそらく決定事項ですよね」
「はい」
 はい、じゃないだろう。と内心でツッコミを入れながら、いつ、どのタイミングで承諾の返事をしなくてはならないのか考える。
 セプター4の室長という立場を考慮すれば、たぶん将来は安泰。お金に困る生活はしなくてすむだろう。問題があるとすれば、それは私の方だ。
 こちらに視線を寄越さぬまま見慣れた動作を繰り返している室長をじっと見つめ、とりあえず判明している事実を改めて声に出し確認する作業をしてみることにした。
「私はこんな身体ですから、貴方の子孫を残す事が出来ません」
「構いませんよ」
「私はこんな身体ですから、貴方と共に逝く事も出来ません」
「構いません」
 数時間前にしたものと似たようなやり取りを繰り返し、言うべき事の無くなってしまった私は口を噤む事で白旗を上げる。
 青の王たる宗像礼司がちょっと……というよりも、かなり通常の人間とは違う思考回路を持っているのは、宗像礼司という人間と一度でも関わりを持った者なら誰でも分かる事だが、仮にも王権者という地位を有し、セプター4の室長という将来有望株であるのだから、政略的な婚姻などもこれからわんさかと出てくるのは馬鹿でも予想出来ることなのに。
 名ばかりの恋人と将来を決めてしまうのは、些か短絡的ではないだろうか。
 そんな私の無言を読み取ったかのように小さく笑いに似た息を漏らし、室長は「天乃くん」と心地よく響く声で私の名を綴る。
「貴女には、私の名を守っていただきます」
「名前、ですか?」
 私の言葉に頷き、室長は「血縁は求めませんので名を継いでください」と、解釈に困る返答をよこした。
「私は死に、貴女は生きる。つまりは、そういうことです」
「それは――また、酔狂なことで」
 呪いを受け、死と疎遠になった私に与えられた任務は、随分と長期戦になるらしい。
 茶器を私の前に置き、互いに正座をした状態で向き合うこと数分。
 どうせ元から考える余地などない決定事項ならば、拒否を、躊躇いをみせるだけ無駄なのではないだろうか。もしも、いま目の前にいるのが伏見さんだったなら、大量の舌打ちと共に「じゃあそういうことで」と音を残し猫背で去ってしまっているだろう。
 王たる故の狂気か、はたまた私のソレが伝染してしまったのかは分からない。
 ただ、無言で前に座し回答を待っている存在が、ひどく眩しいもののような気がして。
 触れたいと思ってしまう欲求は、どこから沸いてくるものなのだろうと考える。自分のものにして閉じ込めてしまえたら、どれほどの甘美を得られるのかと、つい思考してしまう。
「室長」
「はい」
 いけないと分かっているのに、誘惑に抗えない。
 ここで受諾してしまえば互いの不利益になると冷静な思考で判断を下す事が出来るのに、愚考と呼ばれる類の衝動が胸中に居座り出て行ってくれない。
 手にしたい、閉じ込めたい。揺れ動き不確かなものなど何一つ存在しない世界において、凜と一本筋が通っているソレは眩しくも美しいから、触れたくなってしまうのは仕方のないことなのだと、自身に免罪符を与えてしまえば、残った回答は一つだけ。
「宗像の姓を――貴方を表す音の片方をお預かりします」
「ええ、そうしてください」
 青の王たる宗像礼司の時間が終わり、輪廻の果てに出会ったならば、預かった音を返す。
 それがこの私、天乃紗代に与えられた業であり、今この時をもって無期限の使命となった。
「恋とは、人を愚かにするものの総称のようですよ」
「実感致しました」
 普段と変わらぬ作法で差し出された茶器に唇を寄せ、一口分を飲み干してから室長の方へ器を渡すと、今度は室長が私と同じ動作を繰り返し、盃を交わす結果となる。
「これで一蓮托生というわけですか」
「残念だが手放してはやらん、紗代」
「望むところです」
 こうして、まるで敵対者のようなやりとりと共に、私達は二人だけの密約を結んだのだ。







 幾星霜を経ても変わらぬものがある。それは季節だったり特殊な存在だったりと様々で、今年も蝉の死骸がニュースに取り上げられるほどの酷暑が連日続いている。
 世の中には王と呼ばれる種類の人間が存在して、今日も異能者と呼ばれるストレインと一戦を交えているらしいが、一般市民たる自分にしてみたら交通網が麻痺する原因となっている存在達を好ましいとは思えない。
「暑い……」
 普通ならば大学という機関に所属する身としては、このような日に外出しなくて良いはずなのに、額に汗を浮かべながらも男が熱されたアスファルトを踏みしめているのは、親友というカテゴリに属す友人から図書館へ呼び出された為だ。
 カレンダー上では休日に当たるため、図書館へ繋がる道の人通りは少ない。
 今にも潰えそうな苦しい蝉の羽音を耳にしながら、なるべく日差しの少ない木陰を選んで男は目的地へと向かう。
 じりじりと焼け付くような日差しを手にした鞄で遮り、靴底から伝わる熱さに辟易しながら歩き続けること数十分。異能同士の攻防戦による道路封鎖が解除されたのか、貸し切り状態の道路を走り抜けた都市バスを見送って、男は額に浮かんだ汗を真っ白なハンカチで拭った。
 耳鳴りのように木霊する夏の風物詩に、アスファルトから立ち上る陽炎。
 暑い、という単語を紡ぐことすら煩わしいと、体内にこもった熱気をため息に乗せ吐き出しながら、ゆっくりと瞼を下ろし束の間の休息を得るべく肩の力を抜く。
 そうして、一拍の猶予を経て重い身体を再稼働すべく瞼を押し上げると、夏という季節に不似合いな青さを纏った女が数メートル先に立っていた。
 清涼な渓谷を思わせるような、凜とした音が聞こえそうな。
 涼しげな気配を纏った女は逃げも隠れもせずに、男の眼前に立ち続ける。
 誘われるように男は一歩を踏み出し、女と数歩の距離を開け立ち止まった時には、初めからそうであったと言うように男の全身からは汗が引いていた。
 見ず知らずの女と向かい合い何がしたいのかと男は自問したが、何故だか相対せねばならないという使命感じみた感情が男の足を縫い止める。
 そうして見つめ合ったまま互いの胸が数回上下すると、女は花が綻ぶような笑みを浮かべゆっくりと唇を動かした。
「初めまして、こんにちは。貴方が好きです。結婚してください」
 名前も知らない、下手をしたらストーカーと判断されてもおかしくない物言いをされたというのに、男は黙って女を見つめ一呼吸の後「ありがとうございます。お受けします」と、常人では考えられないような台詞を相手に告げた。
 ある、煩い夏の日。
 暑さを感じさせない男女が並木道を歩いている。
 ふと、男が何かを思い出したかのように歩みを止め、同じ速度で歩いていた女も男に習うよう足を止め互いの視線を交差させた。
「ああ、そうだ。俺はきみが好きだ」
「ええ、知ってます」
「覚えていたのか」
「約束ですから」
「やはり君に頼んで正解だったな、――」
 名を知らぬはずの男が女の名を口にし、女が男の声を受け微笑むと、二人の周囲に青さが広がる。
 一見異質で理解しがたい応酬だとしても、不思議に思うことなどなにもない。
 なぜならば。
 永遠と刹那が同居する。ここは、そんな世界なのだから。

 END
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