日曜日の恋人

 夢を見た。
 焦土となった大地の中央に、良く似た三人の男女が立っている。
 男が何かを言い、女が何かを提案し、二人の間に居た少しばかり幼い少女が笑いながら頷いている。
 そうこうしている内に二人の男女が何かを取りだし、計算式らしき物で空間を埋め一つ手を打ち鳴らすと、音に呼応するよう空気が震え焦土と化した世界に色が戻っていく。
 その光景を笑って見ていたであろう少女が何かに気付いたように動きを止め、振り返る様を男――周防はぼんやり見つめていた。
 見知った姿を幼くしたような少女は周防を見つめ破顔し、白い指先で何かを描くよう空へ向かい手を伸ばす様がアンナに似ていると周防が考えた瞬間、まるで周防の意志を読み取ったかのように少女は動きを止め瞬きを繰り返し、「あんなに可愛くないですよ」と周防が良く知る女の声で空気を震わせた。



「だからー。死にたくないなぁって言ったら助けてあげます、って言われて起きたら病院だったんだってば」
「だってオレらが着いた時十束さん死んでたじゃねーっすか!」
「ええ? 知らないよぉ。今こうして生きてるんだから、死んでなかったってことでいいじゃん? ね、キング」
「えっ!?」
 勢いよく振り返る八田を視界に収めながら、周防はいつもと同じように軋む階段を踏みしめ髪を掻き上げ、身振り手振りで数ヶ月前の話をしていた十束へと視線を移した。
「キング、どうしたの?」
「十束ァ……アイツに電話しろ」
 ポケットに突っ込んでいたタンマツを十束へ投げながら、周防は定位置であるソファーへ背を沈め、慣れた動作で咥えたタバコに火を灯す。
 指先から溢れた赤がタバコの先端を照らし、苦みのある煙を肺の奥深くまで吸い込むと、普段とは違う苦みが胸中を過ぎった気がして、周防は舌打ちの代わりにフィルターに歯を立て湧き出た感情を噛みつぶした。
「アイツって宗像さん?」
「ええっ!? 青の親玉に連絡なんて、何かあったんスか? 尊さんっ」
「……起きた」
「え?」
「それだけ言えば分かる」
 余計な事は言いたくないと、タバコを吹かす作業に戻った周防と手にしたタンマツを交互に見つめ、十束は名前の登録されていない数字の羅列をタップし、耳に押し当てた機械から涼しげな声が響いた事を確認して用件を手短に伝えることにした。



 黄金の王、國常路大覚は、眼前に立っている存在へ無感情な瞳を向けていた。
 青の体現者であり第四の王権を抱く存在と、第二王権者である黄金の間には切っても切れぬ縁があるのだが、今回に限り黄金の王ではなく國常路大覚と宗像礼司という一個人同士が相対している。余分な物が存在しない広間で向かい合い、互いに口を噤んだまま相手の出方を探るのは常の事であるのに、引くに引けない、引きたくないと思わせる感情が國常路の中に存在した。
 それは一人の男として抱く思いであり、一人の人間として抱く願いであり、旧友に対する感傷のようなものでもあった。
「何用か」
「天乃紗代に目通りさせて頂きたい」
 確信を持って紡がれた音に対し、國常路は眉一つ動かさぬまま対峙した男、宗像へ向かい黄金王らしからぬ雰囲気を纏い言葉を吐き捨てる。
「何も知らぬ若造が」
「知らないからこそ、動く事が可能になることもあるでしょう」
 宗像の言い分を鼻で笑い、國常路は自身の背後にある部屋を指さした。
「アレは呪われた存在だ。眠る事により巻き戻る。決して、同じ刻を生きることは叶わない」
「それでも」
 一歩も引かず真っ直ぐに目標物を射貫くような鋭さは、國常路が若い頃に捨て去ったものだ。力があれば全てが解決すると信じていた若い頃の過ちを突きつけられたような気がして、國常路は僅かに口元を歪め己が不要と切り捨てたものを保有している若者へ最後通牒を突きつける。
「起こせるならば、好きにするがいい」
「ありがとうございます」
 葦中事件から約半年。
 蝉が道ばたで息絶えるような酷暑が続く毎日であるというのに、青の王である宗像は汗一つ浮かべぬまま國常路の横を通り過ぎ、目的物がある空間へと足を踏み入れた。
 部屋の中央に敷かれた布団の上に横たわっているのは、宗像の部下であった人間だ。ただ眠っているように見える存在は、宗像が登用した時よりも見た目が若くなっている。当時の履歴書には二十二という年齢が記載されていたが、いま宗像の眼下で眠っている女は十代後半くらいだ。
 眠る事により時間が、肉体年齢が巻き戻るのだとしたら、この半年の間に女の年齢は五歳ほど巻き戻ったということになる。
「たしかに、同じ時間は生きられませんね」
 眠る女の横に膝を付き白い頬に指先で触れてみれば、人として最低限の温もりが宗像の指先に伝わった。
 童話に出てくる眠り姫とは、おそらくこのような状態なのだろう。
 そんな青の王らしからぬ浅はかな事を考えながら、宗像は頬から閉じられたままの目尻へと指先を移動させ、一撫でしたのち己の膝上へと戻した。
「きみは知らないでしょうけれど」
 眠る女に向かい淡々と音を紡いでも、女が起床する切っ掛けにならないと宗像も理解している。それでも、青の王として部下たる面々から遠巻きにされていた宗像の隣に立ったのは、女しかいなかったから。手放すのが惜しいと思ってしまうくらいには、宗像の中に傷を付けたのだ。
 あの日、初めて女の名前を見た時に抱いてしまった衝動は、今も宗像の中で燻り続けている。
 消化できない感情に蓋をし続けていたが、それも今日で終わりだと宗像はらしくなく首元に指を差し込み襟を緩め、眠り続ける女に向け大切に仕舞い続けていた一つの音を贈った。
「あなたが、すきです」
 幼い子供が紡ぐような混じりっけのない感情を音に乗せ、大切に鍵を掛けていた記憶の中に存在する人物の幻影を眠る女へと投影する。
 同じくらいの年齢になった時に、もう一度同じ言葉を言ってくれたら。と微笑を浮かべた、月日が経っても忘れる事の出来なかった大切な存在の為にとっておいた言葉は、何の意味も持たず消えるはずであったのに、宗像の予想を裏切り「わたしもです」と記憶の中の女が回答をもたらした。
「……天乃くん?」
「おはようございます、宗像室長」
 長い睫がゆっくりと震え、冷えていた空間に温度が戻る。
 まるで小さな火が灯ったような、敵対者である赤のクランを彷彿させるような温度が、宗像の頬を撫で過ぎ去った。
「あたたかい、ですね」
「生きてる証、ですかね」
 茫洋とした言葉を受け、眠り続けていた女が緩い笑みを口元に引く。
 ふわりと色付く空間。青さで占領されていた宗像の中に投じられる、異なる色。
 自分が求めていたのはこれだったのかと、他人事のように感じた宗像へ向かい女が指先を伸ばすと、始めから決められていたかのように宗像が女の手を取る。
「賭に、勝っちゃいました」
「負けるよりは気分が良いのでは」
「そうですね……良い、気分です」
 くつりと小さな笑いを落とし目を閉じる女を見下ろしながら、宗像は一つの仮説を脳裏に展開させる。天乃紗代という存在の時間が巻き戻るのだとしたら、自分が幼い頃に出逢い、好意を抱いた人間が同一人物である可能性もあるのではないだろうか。
 天乃紗代の年齢が、どれほどの期間眠るとどれだけ巻き戻るのかは分からないが、可能性という点においてはゼロではない。
「天乃くん」
「はい、なんでしょうか」
 繋がった手を見つめながら、宗像は自身が打ち立てた仮説が正しいものであると証明すべく口を開いたが、実際に宗像の口から滑り落ちたのは本人が用意していたものとは異なる音だった。
「私とお付き合いして頂けますか」
 表情一つ動かさず告げられた好意に紗代は瞬きし、「室長とですか?」と問い返すことにより相手の為の逃げ場を用意した。
「そうです」
「お付き合いとは、男女のという意味ですか?」
「そうです」
「言い直すなら今だと思うんですけど」
「このままで」
「はぁ……その、よろしいのですか?」
「ええ、構いません」
 一度決めたら梃子でも動かない。宗像礼司という男の事を理解していた気になっていた紗代であったが、面と向かって付き合いを申し込まれ寝たままというのは失礼だと、全神経を総動員させ上体を起こした。
「勘違いかもしれませんよ」
「構いません」
「重荷になるだけかも」
「構いません」
 何を言っても宗像の意志が変わらないという事に気付いてしまうと、紗代の中を一つの感情が占領し圧迫してしまう。
 賭の報酬としては破格すぎる存在に、手を伸ばしても許されるのだろうか。
 誰の物にもならない存在を束縛する権利を手にしても、許されるのだろうか。
 呪いの体現者である己と清廉潔白を具現化したような存在では、天地が逆さまになっても釣り合いがとれないと理解しているのに。純粋に向けられる好意に浸ってしまいたいという欲望が紗代の精神を蝕み、愚かな単語を口にする衝動となってしまう。
「……わたしも、あなたが、すき、です。お付き合い……して、いただけますか?」
「喜んで」



「そういえば室長は何処行ったんだ?」
 トップがいないせいで決済が完了されない書類を片手に日高が問うても、答えを持っている隊員は誰もいなかった。
「意味も無く消えるような人ではないだろう」
「いや、でも結構頻繁にいなくなってるよな?」
 秋山がいれたフォローを打ち砕き、日高は手にした書類を軽く叩いて、この場にいないセプター4のナンバー2とナンバー3の姿を脳裏に描いた。
 副長である淡島は外せない用事があると出勤していないし、ナンバー3の地位に就いている伏見は、舌打ちと共に朝早く法務局へ出向いて行った。
 常日頃から枷と成っている二人がいないせいか、宗像は一本の電話を受けた後忽然と姿を消してしまったのだ。
「休日出勤なんだから早く帰りてぇよー」
「天乃がいないと期限までに書類が終わらないのだから、休出になるのも仕方ないだろう」
「あいつ、今頃何してるんだろうなぁ」
 半年前から姿を見せなくなった存在の名を口にし、日高は空いているデスクに書類の積み重なっている幻影を見た。
 一ヶ月間で機嫌の善し悪しがローテーションしているような女に対し少々の恐怖心を抱きながらも、姿が見えないと寂しいという感情が小さな痛みを胸の中に落としているのは、日高に限らず特務隊に所属する誰にでも言えることだ。
 あの伏見でさえ空席のデスクへ視線をやり、日に何度も舌打ちをしているのを日高は知っている。
「急な出張でも入ったんじゃないの? 彼女は元々庶務課の所属でしょ?」
「そうだけどよぉ……せめて一言あっても良かったんじゃね?」
「誰も彼女の連絡先を知らないんだから、仕方ないじゃない」
「伏見さんなら知ってんのかなぁ」
「さぁ……気になるなら本人に聞いてみたら?」
 男子寮の空調が壊れた事により、三割増しで機嫌の悪い伏見と雑談をする勇気は日高にない。セプター4に入隊する前から知り合い同士らしかった二人の間に流れる空気は独特で、二人が話していると他の人間が近寄れないような事態が発生したのも一度や二度ではない。
「あーあ、戻って来ないかなぁ」
 書類を振り回し日高が伸びをすると、まるで見計らったようなタイミングで最強の鎮静剤が姿を現す。
「暇そうですね、日高くん」
「しっ、室長ッ!?」
「お帰りなさい、室長。何処に行って――?」
 宗像に一番近い位置に立っていた秋山が中途半端な状態で言葉を切った事により、執務室に居た全員の意識が宗像の後ろにいる存在へと向けられる。
 そのことに気付いたのか、青い隊服を身に纏った存在が宗像の背後から顔を出し、そのまま宗像に並ぶように歩を進め「お久しぶりです」と誰もが聞き覚えのある声で挨拶の言葉を口にした。
「アンチエイジングに成功した天乃紗代です。改めてよろしくお願いします」
「え……えええ!? 本当に天乃か!? お、おまっ……なんか若くなってねぇ!?」
「だからアンチエイジングに成功した、って言ったじゃないですかー。ちゃんと聞いてました?」
「いや、だっ、えっ!?」
「今日付けで天乃くんは正式に特務隊の一員となりましたので」
 動揺を隠しきれない隊員達の意識を引きつける一言を受け、一旦は場静まりかえった室内であったが、宗像の言葉を理解した面々が喜びを片手に紗代との距離を詰めようとし――。
「それと、彼女は近々宗像の性になるので、そのつもりで接して下さいね」
 これまた宗像の放った攻撃の前に、行動を停止させる事となった。
「……はぁ!? ちょ、え、えええ!?」
 さりげなさを装って全力投球された爆弾に特務隊の面々は凍り付いたというのに、一人だけ凍結とは無縁だというような雰囲気を携えた紗代が、宗像の横顔を見つめ幸せそうに眼を細める。
「な、なぁ、マジで!? ちょ、嘘だろぉ!?」
 日高の悲鳴が木霊し、仕事で離れていた伏見が舌打ちと共に現れ、宗像が涼しい顔のまま同じ言葉を伏見に向かい繰り返す。
 ある残暑の厳しい、日曜日の一幕。
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