土曜日のドッペルゲンガー

「ちょ、っとなんで私まで駆り出されるんですか!」
「仕方ねーだろ人員不足なんだし……それに、ほら、経理は天乃の担当だろ?」
「そうですけど……はぁ。胃が痛くなりそう」
 既に戦闘要員は突入済みだと言うのに、今更私が出て行ったところで何の意味もないのではないか。
 いや、実際に建物が破損された被害額をリアルタイムで検証出来ると思えば――。
「ぜんっぜん嬉しくないんですけど」
 後方支援として残っている情報課の人達に愚痴りながら、空に浮かぶ剣を見つめる。
 ダモクレスの剣と呼ばれ、王権者が王として力を振るう場合に出現する巨大な剣。
「あ、おい、天乃。何処行くんだ?」
「折角なので実地検証して、学園の修繕費予算を見積もってきます」
 ペンと紙の代わりに所在なさげに置かれていたメガホンを引っ掴み、向かうのは青と赤が対立している葦中学園。前回の伏見さんと八田さんがはっちゃけた時ですら、目眩がするようなレベルの請求書が送られてきたというのに、クラン同士の対戦となれば想像するだけでも恐ろしい。
 戦闘要員としての役目も果たせず、ちょっと有能な業務職の私に出来る事といえば、出来うる限り被害総額を抑え税金の無駄遣いをなくすことだ。
「はぁ……」
 学園の入り口に立っただけで、青と赤の色が忙しなく交差しているのが見て取れる。
 元々血気盛んな特色である赤のクランを押さえる為には、青側も武器を手にするしかない。分かっては――理解はしていても、容認出来ない事というのは存在するもので。
 呆然と立ち尽くしている側から破壊され飛び散っていく花壇や建造物が視界を横切る度、修理に必要な金額が脳裏で長蛇の列となり流れ始める。
 高速で流れていく数字を見送りながら、映画のエンドロールもこれくらい高速で流れていたら面白いのに、とどうでも良い事を考えてしまった。
「えーっと……とりあえず淡島さんか伏見さんは……」
 セプター4の上位二名の姿を探してみるも、視界に入る範囲にはいないらしい。
 伏見さんは八田さんとやり合っていると仮定して、副長たる淡島さんは何処へ行ってしまったのだろうか。こういう混乱を収めるのは副長である彼女の仕事ではないのだろうか。
 あまり見覚えのない、名前も知らない存在達がいがみ合っている様は見ていて楽しいものではないし、何よりこのまま破壊行動が続くと修繕に割り当てている予算を超えてしまう。
「あーもう!」
 苛々とする感情を必死に押さえ込みながら、片手に携えていたメガホンを構え大きく息を吸い込んだ。
「赤と青、両のクランに告げます! 速やかに戦闘行為を中止し、両者剣を収めて下さい! これ以上は予算オーバーです! 予算オーバーになります!」
 大事なことなので二回言ってみたが、一瞬のざわめきの後再び争乱モードに突入してしまった。
 まぁ私だって自分が戦闘をしていたら、訳の分からない女からの呼びかけなんて無視するだろう。分かっているからこそ苛立ちが募るのだが、こちらとしても引くわけにはいかない。
 せめて、青のクランには自分達のしている重大さに気付いて貰わねば、常日頃後処理に追われている私が報われないというものだ。
「いい加減にーしーなーさーい! 今すぐ戦闘を中止しないと、こちらにも考えがありますよー! 大変な事になっちゃいますよー!」
 脅迫と思える言葉を拡声器に乗せても、両者のいがみ合いは止まらない。
 これだから人知を超えた力を有する存在達は厄介なのだ。なまじ己の有した力を過信している素振りがあるから、厄介さが倍率ドンになるのだ。
 せめて良くバーで見かける人達や、特務隊の人達が近くにいればいいのに。
「苛々してきた」
 構えていたメガホンを地面に置き、埃を含み広がった髪を無造作に掻き乱す。
 私はちゃんと忠告したし警告もしたのに、こちらの言い分を完全無視したのだから、相応の対価を払う心構えが出来ていると断定して良いだろう。
 となればやる事は一つ。
 脳裏に思い描くのは超巨大なハンマーでソレをかち割る光景だ。
 力一杯殴って殴って殴りまくって、そうして粉々にしたところで流れ出たソレを掬い上げる。
 地面から脚を伝い指先に伝わるようにゆっくりと右腕を動かして、ソレがちゃんと形作った事を認識し、柄となる部分を両手で掴んだ。
「煩い、黙れ」
 フルスイングするよう思いっきり握ったソレを振り切れば、軌道上に在ったものが紅い軌跡に犯され息絶える。
「次は、斬りますよ」
 こちらに注意が向いたことを確認し音を紡げば、先程とは裏腹に静まり凍り付いた戦場が眼前に展開していた。
「オイ! 一体何が起こってる! ヴァイスマン偏差が――!? っ……天乃?」
「はい、私です。皆さんに説明を聞いて頂く為に実力行使に出ました、すみません」
「そ、そうか……いや。天乃、お前の持っているソレは」
 駆け寄ってきた弁財さんに見せるよう両手で持っていたソレを一振りし、地面に切っ先を向ける。
「こうした方が見慣れてますか?」
「み、見慣れるもなにも……ソレは、なんだ」
 常日頃から冷静沈着な弁財さんの珍しい表情を見てしまった、と思っていたら、いつの間にか弁財さんの背後から伏見さんと八田さんが駆け寄ってくるのが見えた。やっぱりなんだかんだで仲が良いんだなぁと内心で頷く私に向けられる視線は厳しく、居心地の悪さを感じてしまう。
「紗代、説明しろ」
 端的に告げられた要求を受け入れ、「ダモクレスの剣です」とソレの名前を伏見さんへ告げた。
「ダッ、ダモクレスの剣って……え? ど、どういう事なんだよ紗代!?」
「まぁ女の私が持てる大きさですから、ミニチュア版って表現するのが正解なんですかね?」
「いやいやいや、そんな事どうでもいいだろ! なんでテメェがソレを持ってんだよ!?」
 吼える八田さんを前に首を傾げ、どうしてそんな質問が出てくるのかと純粋な疑問を抱く。
 だって、簡単な事じゃないか。ダモクレスの剣は王と呼ばれた存在と共にある。
 となれば、答えは一つ。
「私が、もと、赤の王だからです」
「はぁ!?」
「知ってます? 王の選定なんていい加減なんですよ。生き残った者に一、二、三、と順番を振るみたいにして――」
「紗代、一旦黙れ」
 米神を押さえながら言葉を選んでいるのか、伏見さんが私との距離を詰め手にしていたミニチュア版ダモクレスの剣に胡乱な視線を向ける。
「お前、王だったのか」
「はい」
「どうやって降りた」
「死んだからですかね」
「なら、どうして生きてる」
「生き返ったからですかね?」
 正直当時の事は良く覚えていない。ただ、赤の王という存在がダモクレスダウンを引き起こす要因が、私に起因しているという事実だけは認識している。
 だからこそ、現世という時間軸において、自分の不始末を回収しようと思ったのだ。
 他の誰でもない、あの人が悲しむから。
「いや、生き死には関係ないのかも……? あ、でも多分確実に数年は死んでたと思います」
「……意味分かんねぇ」
「私も良く分かりません」
「おい! お前ら俺を差し置いてしゃべっ――!?」
 八田さんが声を荒げると同時に地面が揺れ、宙に浮いている二つの剣が激しくぶつかり合うのが遠目からも確認出来た。
「すみません、私行かないと」
「紗代」
 時間の猶予が無い状況において引き留めないでほしいと思うのだが、何故か私の手を掴んだ伏見さんの瞳がいつもとは違う色を湛えている気がして、振り解くのに躊躇してしまう。
「てめぇが壊した分の始末書もきっちり作れよ」
 予想外の言葉に目を丸くした私の前で伏見さんは聞き慣れた舌打ちを漏らし、腰を痛めそうな猫背のまま去ってしまった。
「猿比古!」
 そうして伏見さんの後を追おうとした八田さんの手を今度は私が掴み、驚愕の表情で振り返った八田さんに対し、私はずっと隠していた事実の一つを打ち明けた。
「十束さん、生きてますよ。今は七釜戸の病院――八田さん達の良く知ってるあの施設で療養してると思います」
「はぁ!? どっ、どういうこ――ッ!?」
「種明かしは十束さんから聞いて下さい。それでは、私は急ぎますので」
 手にしていた剣を地面に突き刺し、ヒッと息を呑む周囲の音を聞き届けてから蜃気楼のように歪んだ世界へ足を踏み入れる。憎悪の対象である石版から無理矢理力を引きはがし、空間を歪め向かう先は巨大な剣が足並みを揃えている森の向こう側だ。
 おそらく、私が到着するまで彼は存在していないだろう。
 だからこそ不可思議な空間を走りながら「Auf Wiedersehen」と、懐かしい国の言葉で別れの挨拶を口にした。



「綺麗なまでに無くなりましたねぇ」
 ぱらぱらと降ってきそうな欠片を見上げながら、小規模なクレーターの上に私は立っていた。
 力を存分に使い満足したのか、周防さんは今まで見たことがないような晴れ晴れとした顔で頭上を見上げている。
「天乃くん……?」
 背後に立っていた室長を振り返らぬまま、眼前でこちらに視線を移した周防さんとの距離を詰め、戦闘で汚れたシャツ越し、心臓の上にぺたりと右手を押し当てた。
「自分で撒いた種を回収しに来ました」
「……」
 周防さんの心音を手のひらに感じながら、今にも墜ちてきそうな剣先を仰ぎ見る。
 もしかしたら、周防さんが亡くなる未来があったかもしれない。
 もしかしたら、室長が後悔に苛まれる未来があったかもしれない。
 でも、今――この現実には不要なものだ。
「総てを奪い去ったものに対し憎悪を抱き、総てを破壊し尽くしたいと願ったのは、わたし」
 王としての力を根源を壊す為だけに振るい続け、人が許容出来る範囲を超えた狂気で色を染めた。
 その狂気が王の力と共に引き継がれ、赤の王という存在を揺るがせる結果となってしまったのならば、元凶である私が責任を取るのが道理というものだろう。
「天乃」
「周防さんは分かってたんじゃないんですか?」
 王を降りたと言っても、力が消え去った訳ではない。
 同じ温度を有する色に気づけないほど、王という存在は堕落していない。ただ、少しだけありえないと思える事象だったから、見て見ぬふりをしていてくれただけなのではないだろか。
 吠舞羅の面々が一般市民であった私を受け入れてくれたのも、青のクランズマンとなってからも交流が途絶えなかったのも、全ては同じ色合いを有する同士として無意識の内に受け入れていたからなのではないだろうか。
 そんな疑問を抱いたまま周防さんを見つめると、「さぁな」と普段通りの気怠げな声が落とされる。
「剣は修復します」
「天乃くん、何を言って――」
「本来苦しむ必要の無かったあなた達を苦しめた罰を、制裁を受けさせて下さい」
「天乃くん?」
 最終局面で美味しい所を総取りしたいというのは私のエゴなのだけれど、呪われた身であるからこそ可能になる事もある。石版を壊す為だけに全力を注ぎ続け、その欠片をこの身に宿してしまったからこそ、王という存在に対し直接的な干渉が可能になるのだ。
 深呼吸を繰り返し強く思い描くのは、完全なる剣の形。
 見覚えのある、忘れる事の出来ない姿を脳裏に投影し、滅びつつある時間をゆっくりと巻き戻していく。
「……」
 周防さんの奥で煮えたぎっているマグマを掬い上げ、水に晒して。そうして、焔というのは破壊以外の意味を持つのだと教え込むように。
「周防さんの周りには、周防さんを心配してくれる人が沢山いるんですから……応えてあげて下さいよ」
 私が自らの不始末にけりを付けようと思えたように、自らを変えようと思う意志に期限はない。
 赤の王と成ってからの周防さんのように、眠ることで外界とのリンクを断ち切り、自らの罪から目を背け続けていた私だけれど。
 あの日――あなたに、出逢ったから。変わろうと。変わりたいと、思えるようになったのだ。
 熱くなった目頭から涙が零れないよう先手を打ち瞼を下ろして、背後で事の成り行きを見守っているであろう青の王の気配を背中に感じながら。いつかの昔、真っ直ぐに私という存在を射貫いた紫紺を思い出して、口元を歪める。
 針一つ分、私の時間を動かしたあなたならば、賭をするには充分すぎると勝手に相手として選定して。
 どうか、叶うならばと。
 また、分不相応な願いを一つ、抱いてしまうのだ。
「わたしを起こすのが、あなたであることを」
 決して振り返らず、誰とも目を合わせず。ただの音として具現化したソレに意味などないと軽く扱って。
 それでも、もし気付いてくれるならば。あの日の言葉を、もう一度贈って欲しい。
「――」
 唇だけで形取った小さでささやかな願いを胸に抱いて、瞼の裏に描いた大切な光景に鍵をかけて仕舞えば、呼応するよう私の意識も暗闇の底へと引き摺られ落ちてしまい、ここで私の物語は幕引きを迎えたのであった。
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