中編

 二度目から目覚めすっきりとした頭と共に起床すれば、すでに伏見さんは床に腰を下ろし胡座をかいてノートパソコンに向かっていた。
 黒縁の眼鏡に映る数字の羅列をぼんやり見つめながら、何故カーテンが開いていないのかと小さな疑問を脳内に住まわせる。
 側にあったタンマツで時刻を確認すると、午前9時を少し過ぎたところ。きっかり6時間睡眠をとった頭はクリアで、今日一日有意義に過ごせそうな予感すらした。
 伏見さんがいなければ。
「おはようございます」
「……」
 返事の代わりに舌打ちが響いたが、気にしたら負けだと聞かなかったことにし、とりあえず閉まったままのカーテンを勢いよく開け放つ。
「……オイ」
「なんですか」
「閉めろ」
「えー。まさか張り込み気分を味わいたいから、なんて言いませんよね? 人間朝日を浴びないと体内時計が狂っていくんですってよ」
 言外に伏見さんが夜行性で青白い理由を述べてみたけれど、気付いているのかいないのか、伏見さんは関係ないとばかりに口をつぐみ規則正しいキーボード音で室内を蹂躙する。
 インカムを付けていることから、庁舎の人間と連絡を取っているのだと推測出来るが、個人的希望を述べれば私の居住地をあまり周囲に知られたくない。
 入隊する時の届け出に所在地を記載しているけれど、やはり赤の他人に住まいを知られるというのはどうも抵抗があるのだ。
 最悪引っ越しも視野にいれ……とそこまで考え、職場のせいで余分なお金を使うのも癪だと浮かんだ選択肢を却下した。
 特務隊の人達はどうか知らないが、私が受け取る一ヶ月分の給与は普通のサラリーマンとほとんど変わらないと思う。残業手当を受け取ってしまうと、自分の無能ぶりをあの青の王に見られてしまうような気がして、意地でも受け取らなかった結果が薄給に繋がっているのだが、やはり一度決めた事は貫き通したいと思ってしまうくらいには青の王、宗像礼司が気にくわないので、今のまま現状維持に努めるのが最善だと言えよう。
 実際は割り当てられる仕事量が多すぎるだけなのだが、一度啖呵を切った手前泣き言は言いたくない。
 我ながら面倒な思考だと口元を歪めながら窓から差し込む朝日を全身に受け、何度か深呼吸を繰り返せばようやく冷静な思考が戻ってくる。
「伏見さん、朝ご飯買いに行ってきますけど、何かリクエストありますか?」
「肉」
「……朝から肉ですか」
 お元気なことで、と内心で付け足し、そういえば伏見さんはこう見えてもピチピチの十代だったという事実を思い出した。
 着替えを持ちリビングを後にし、狭めのバスルームで軽く化粧を施せば普段の自分が戻ってくる。
「肉ねぇ」
 ひとえに肉と言っても多種多様。しかも午前中に食べるとなれば、なるべく胃にもたれない物が好ましい。
 コンビニのお弁当には大抵野菜が入ってしまっているし、ファーストフードが安泰だろうかと最寄りの店を脳内でピックアップしていく。
 一番近い店で使えるクーポンをタンマツに表示しながら選択できる商品に目を通してみたが、伏見さんが食べてくれそうな商品名は載っていなくがっかりした。
 こうなったら一番安い物で手を打ってもらおう。元々食にはあまり興味がなさそうだし、特にこれといって文句も言われない……否、言わせない。
「奢られる側が黙ってるのは当然よね」
 己の意思を呟きながらタンマツを上着のポケットに突っ込んで、財布を片手に玄関へと向かう。何気なく振り返ったリビングでは伏見さんが真剣な面持ちでパソコンに向かっており、改めて自分の部屋に他人がいることの異質さを面白いと感じた。



「で、これなわけ」
「返品交換は受け付けませんのであしからず」
 安っぽい紙袋の中身を一瞥し、案の定否定的な言葉を口にした伏見さんをよそに、自分用に取り分けた袋の中から少し温くなったジャンクフードを取り出す。
「伏見さんのために、野菜抜きにしてくださいってお願いした私の優しさを噛みしめてくださいね」
「チッ」
 聞き慣れた舌打ちを一つ落とし、乱暴な手つきで取り出したハンバーガーを囓る伏見さん。
「なんだよ」
「いえ」
 そういえば伏見さんが何かを口にしているのは初めてみたと妙な感慨深さを抱きながら、甘ったるいシェイクに刺さっているストローに歯を立てると、伏見さんが珍しい物をみたと言うような顔をこちらに向けていた。
「なんですか?」
「チッ…」
 同じようなやりとりでも随分温度が違うものだと不可思議さを噛みしめ、昼食はデザートかなにかで済ませてしまおうと本日の献立を脳内で決めていく。
「伏見さん今日の夕飯なんですけど、肉以外で何か食べたい物ってあります?」
「ねぇよ」
「えっ、そんなキレ気味に言わなくても」
「チッ…煩ぇ」
 わざとらしく強めにキーを叩き、こちらを威嚇するように不機嫌さを前面に押し出す姿は、やはり猫を彷彿させる。
 気まぐれな黒猫。このイメージがどこから沸いてくるのかは理解し難いが、伏見さんを見ていると炉端で通行人を塀の上から見下ろしている猫が脳内でダブる。当人に告げてしまったら確実に舌打ちされると分かりきっているので、この場で具現化するという愚行は犯さないが、つまらなそうな顔でしなびたポテトをつまみ上げ口に運んでいる様は見ていると面白い。
「……アンタでも」
「ん?」
「そーゆーことすんだな」
「そういう……?」
 キーボードから手を離さぬまま顎で示してみせたのは、私に囓られたストローの端。
 可哀想なことになったストローを片手で弄び、温くなりはじめたシェイクをわざとらしく音を立てて啜り伏見さんの反応を見てみるが、こちらを気にしないようにしているのか本部から連絡が入ったのか、ブルーライトの発生源であるモニターから目を離すことはなかった。
「品行方正なお嬢様じゃありませんしね」
「……」
「喫煙はしませんけどお酒は人並みに嗜みますし、愚痴だっていいますし、機嫌の上下によっては他人に対して当たることだってありますし。ごくごく普通の一般人ですよ」
「一般人がセプター4に入れるかよ」
「あ、それは私も常々疑問に思ってることでして」
 何の因果が重なると、単なる一般人が王の私兵じみた場所に席を置くことになるのか。
 事務処理能力が上がっただけの私が、未だにセプター4という場所に居られるという事実こそが一番信じられないのだが、今のところ解雇命令は出されていないのでこのままお金を稼がせて頂こうと思っている。
「王様の考える事は、凡人には理解出来ませんねぇ」
「……そうだな」
タンッ、とキーを強く叩き、伏見さんは視線をこちらに投げてくる。
「紗代」
「はい?」
 名を呼び口を噤んだ伏見さんが、何を考えているのかは分からない。ただ、軽く目を伏せ何かを考えているような素振りの姿は、昔HOMURAのカウンターでよく見た光景だ。
 和気藹々としている八田さん達から距離を取り、独りつまらなそうにタンマツを弄る。
 世界に溶け込めないような、自分の居場所を模索しているような姿は息苦しさを感じ、思わず話し掛けてしまった時の事は今でもはっきりと思い出すことが出来る。
 ゴミクズを見るような視線でこちらを値踏みし、己とは違う世界の人間だと理解した瞬間「無かった事」にされた。
 流石にあの時は腹も立ったし当分の間悲しい気持ちを引きずったので、セプター4に入隊して伏見さんと顔を合わせた時には、してやったり。という妙な笑みを貼り付け相対してしまった記憶がある。
 そう思うと、私の性格も昔から変わらないのだなと実感し――。
「伏見さん、何してるんですか」
 人の片太股に頭を乗せ、眼鏡をパソコン横に置いて……これは完全に睡眠モードではないのだろうか。
「寝る」
「いやいや、伏見さん仕事中ですよね? 仕事で家に上がり込んでるだけですよね?」
「煩い、三時間経ったら起こせ」
「三時間って……ちょっと長すぎませんか」
 だらだらとしていたらもうすぐお昼。これから三時間後というと俗に言うおやつタイムになるのではなかろうか。まさか、それを見越して……と考えてみたけれど、伏見さんの事だから特に理由もなく三時間睡眠を得たいのだろう。
 流石に今朝方無理矢理ベッドに押し込んだので、もしかすると眠れなかったのかもしれない。
 ただでさえ多忙な伏見さんに申し訳ないことをした、と思わなくもないのだが、床で眠られてまた伏見さんを踏んづけてしまったらと思うと、無理にでも同じ位置で眠ってもらった方が互いに安全のような気がする。
「伏見さん、寝るなら枕持ってきますからー」
「……」
「伏見さん?」
 人の気配が気持ち悪くて睡眠不足になったのなら、私を枕代わりにせずともちゃんと用意するし、伏見さんが起きるまでの時間を外で暇つぶししてくるのに。
「まさか、もう寝たとか言いませんよね?」
 おやすみ三秒が売りなアニメの主人公でもあるまいし、と伏見さんの長い前髪を指先で軽く避けてみれば、黒の間から伏せられた瞼が視界に入ってくる。
「え、嘘……本当に寝ちゃったわけ?」
 よほど疲れていたのか、規則正しい寝息を立てながら人の脚を占領した伏見さんのせいで、これから三時間の予定が埋まってしまった。
 このまま座っていても暇だし、読みかけの本に着手しようかとも思ったけれど、残念な事に後数十センチの距離で目的物を入手する事は叶わなかった。
「はぁ」
 暇だ。物凄く暇な時間を持て余すことになってしまう。
 折角手に入れた休日を有効活用すべく色々な事を調べていたのに、全ては真上の部屋に住んでいるというストレインのせいで台無しだ。いっそのこと今すぐ引っ越ししてしまえばいいのに、と自分勝手なことを考えながら、伏見さんの頭を軽く撫でてみる。
 見た目よりも柔らかい髪は寝癖が付きやすそうだ。
 もしかしたら、伏見さんが髪を跳ねさせているのは寝癖隠しなのでは。と考えてみたら、なんだか年下の男の子という感じがして少しばかり可愛いと思ってしまった。
 猫の毛並みを整えるように何度も同じ動作を繰り返していると、ご飯を食べたせいかゆっくりとした睡魔が這い上がってくるような錯覚に陥る。
 連休が終わってしまえば多忙な毎日が待っているのだし、自宅にいる時くらいは贅沢な時間の使い方をしてみるのも悪くない。
 触れた部分から伝わってくる温もりに欠伸を一つ噛み殺し、目が覚めたらプリンでも買いに行こうかとどうでも良い事を考えながら、重力に従い瞼を下ろす。
 昨晩と同じ二人分の呼吸が存在する室内に慣れる為には、もう少し時間が掛かりそうだ。
「伏見さんは全世界が敵って言ってる方が似合うんですから……。こんなところでデレを発揮しないでくださいよぉ」
 眼下で眠る存在に語りかけても、伏見さんが動く気配は無い。
 意図的か、無意識か、届いているのか、無視しているのか。
 どちらにせよ、紡いだ音は行き場を無くし虚空へ溶けていく。
 此処ならば安全だと言うように、トゲトゲしい気配を断ち切って惰眠を貪って。此処は伏見さんの為の場所ではなく、私の愛する住まいであるのに。無防備な顔を晒して眠りこけないでほしい。
 伏見さんは職場の上司で、私はしがない経理担当なのだから、距離が近すぎるのは問題にしかならないだろう。名前も知らない他人のやっかみを引き受けるのは嫌だし、これ以上仕事が増えるのも頂けない。良い人間関係というものは適度な距離感が重要なのであって、一定の距離を踏み越えた場所を求めるのならば、相応のリスクを覚悟せねばならない。
 だから、安心しきった態度で眠らないでほしい。
 この場にいれば攻撃してくる敵は存在しないのだと、確信しきったような雰囲気で安眠を得ないでほしい。
 私が安全だなんて、思わないでほしい。
 伏見さんはセプター4で地位のある立場に就いているのだから、こんな謎の一般人に心を許していいハズがないのだ。
 そうでなくては、困る。
 青の王、宗像礼司の私兵として現世を生きているのだから、こんな何の面白味も無い女に引っ掛からないでほしいのだ。
「あなた、私のこと、嫌いじゃなかったんですか」
 感情のない単語の羅列を音にして空気を震わせる。
 先程まで脳を浸食していた睡魔は、残念なことに何処かへ行ってしまっていた。
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