だるさを訴える体に鞭を打ち、無理矢理開けた視界に広がるのは見たことのない天井。此処は何処だと声を上げようとしたが、咽がカラカラに渇いていて変な音が漏れただけだった。
「――……」
 行儀が悪いと分かってはいたが、傍にあった水差しを拝借し直に口を付ける。水が咽を通過する度、激しい乾きを覚えて自分の体に疑問を抱いた。指先も足も、硬直しているのか上手く動かせない。今も水差しを手にしようとしただけで取り落としそうになったし、半目状態の眼球もありえないほど乾いていて熱い。
 それ以前にここは何処だ。
 目覚めて一番に感じた疑問に戻る頃には、水差しは空になっていた。
 一息ついて改めて周囲を確認する。部屋に置かれている調度品から推測しても、ここは自分に宛がわれて部屋ではない。そもそも、下っ端の自分に一人部屋が与えられるわけもなく常に同居状態だから、部屋に褥が一つしかない時点で自室ではないと理解出来た。
「……」
 まだ上手く声の出ない咽を片手で押さえ、格子の向こうに広がる色を確認する。
 日が沈みかけているのか、これから登ってくるのか。曖昧な景色から時間を推測することは出来なかった。
「あ……」
 動かした視線の先から漏れる光。どうやらこの部屋と隣の部屋は繋がっているらしい。部屋の主に起きた事を報告しなくては。ゆっくりと冷たい床に足を下ろし、立ち上がる。少しふらついたがちゃんと歩ける事に安堵し、改めて隣の部屋へと意識を集中させれば人の居る気配。今向かえば無駄足にならなくて済みそうだと一歩一歩着実に歩を進めれば、こちらの気配に気付いたのか隣の部屋から人が動き出す音がした。
「……白蓮」
 後一歩というところで室を遮る扉が開かれる。
「……陸遜、さま」
 目の前に立つ予想外の人物に、掠れた音が咽から漏れた。
「……もう大丈夫なのですか」
「あ、はい」
 ぼんやりとした意識のまま答えだけ返せば、それをどう捉えたのか陸遜が私の手を引き臥所へと戻した。
「……その、ご迷惑を……」
「本当です」
 これ見よがしにつかれたため息に罪悪感が沸き上がる。陸遜が居たということは、ここは陸遜に宛がわれた部屋ということで、嫌っている存在を己の室に入れるのはさぞかし嫌だっただろうと推測すると、本当に申し訳ない気持ちになってくる。
「貴女、一週間も眠り続けたままだったんですよ」
「……は?」
 水に落ちたのを助け出されて、そのまま眠くなってしまったのは覚えているけれど……まさか一週間とは。どうりで体の機能が落ちているわけだ。
「食事はとれそうですか」
「……はい、たぶん」
 淡々とこちらの状態を聞く陸遜から余計な感情は汲み取れない。私の言葉に頷き一つ返して、陸遜は室を後にする。
「混乱、してきた……」
 陸遜が戻ってくる迄に己の意識を整理させなくては。そう思っていたのに目を閉じた瞬間睡魔が襲ってきて、戻ってくるまでだと頭の隅で考えながら上体を倒した。



「そのままで良いから聞きなさい」
 次に目を開けた時辺りは真っ暗になっていて、始めに目を覚ました時が夕暮れだったのだと理解する。結局陸遜が戻ってくる迄、と思っていたのにすっかり寝入ってしまったようだ。
「年に一度、武闘会が開催されてるのは知ってますね?」
 陸遜が持ってきてくれた果実を口に含みながら、頭を上下させる。私自身武闘会を見たことはないが、噂で耳にしたことはある。たしか、一般兵に競わせ成績が良いものは護衛武将や将として取り上げられる可能性もあるとか、ないとか。
 何にせよ日頃の成果を発揮する試験のようなものだと認識している。
「基本的に私達将は口を出さない事になっているのですが……」
 そりゃ試験監督が口を挟む事はないだろう。囓った果実を咀嚼しながら、また頷きを返す。
「少しばかり問題が起きましてね。白蓮、貴女です」
「……はい?」
 武闘会は全員参加……では無かったはずだ。私が知っている限り、自己申告制だった気がする。
「参加申告した覚えは……ありませんけれど」
「そうでしょうね。だから問題なのです」
 そもそも武闘会を行うちゃんとした日取りすら知らないのだ。そんな私がエントリー出来るハズがない。
「これを見なさい」
 慣れた手付きで竹簡を広げる陸遜。言われるがまま落とした視線の先に並ぶのは、様々な人物の名前。所属ごとに勝ち抜き戦になっているらしく、部隊名と参加者の名前が連ねてあれば、それが武闘会の参加者リストなのだと理解出来るけれど……。
「え」
 理解不明な点も存在した。
「陸遜様、これ……」
「私が聞きたいです」
 嫌がらせもここまでくるといっそ清々しい。申告した覚えもないのに、大将の欄に連ねられているのは己の名前。先鋒でも次鋒でもなく、大将。しかもそれは己が寝込んでいた間の出来事だというから始末に負えない。よりにもよって、と罵りたい気分でいっぱいだが、誰がなんの為にと考えても埒が明かない気がした。
「変更は……」
「もう無理です」
「逃亡するとか……」
「貴女は私に恥をかかせるつもりですか」
「……」
 陸遜の隊に所属する自分が敵前逃亡しては、彼の威厳にも関わる。けれど、今のままでも十二分に迷惑を掛けてしまっているから、今更なのではないか。
「名が出ている以上、出ないという選択肢はありません」
「うっ」
 誰もが、私という存在が使えない者であることを知っている。そんな私が陸遜隊の大将として武闘会に参加する……。たちの悪い冗談だと流してしまえれば、どんなに楽か。無様に負けては陸遜の名に傷が付いてしまうだろう。
 どうすればいいんだろう。焦りが胸中を支配して、ただでさえ鈍い思考が回転しない。
「白蓮、貴女得意武器はなんですか」
「へぁ?」
「……得意、武器は、なんですか」
 文章を区切りながら問いかける陸遜の目に、容赦という文字は存在しない。
「……とくに、ありま……ヒィッ」
 がしり、と音がしそうな勢いで掴まれた肩がミシリと嫌な音を立てる。こんなナリでもやはり陸遜は武将なのだと、変な感心をしてしまった。
「なにかしらあるでしょう! なにかしら!」
「そ、そういわれましても……ウヒッ」
 ありますよね、と地を這う声を響かせながら、陸遜が両肩を掴んでくる。このままでは参戦する前に肩がいかれて不参加になるのではないか。あ、でもそれならそれで好都合かもしれない。そんな私の思惑を読み取ったのか、悪化するまえに陸遜は両手を引いた。
「副将までは使用武器が決められていますが、大将だけは違います」
 本来ならば最も強い者が担う大将。実力を発揮させる為に、大将戦だけは様々な規約がないのだと陸遜が説明する。
「逃げ道はもうここしかありません……白蓮、腹をくくって鍛錬しなさい」
「は、はぁ……」
「細剣くらいなら、使えますよね」
「え? あ、はぁ……たぶ……。ん? なんでもいいんですか? 使用するのって」
「そうですが」
 不信感を顕わにする陸遜から視線を外し、片手を口元に当てて考える。
「それって、防具もですか?」
「ええ」
 普段付けているものを使用しなくていいならば……なんとか、なるかもしれない。
「陸遜様」
 怪訝そうな瞳でこちらを見つめる陸遜に、口元を歪めて。
「なんとか、します。だから……心配しないでください」
 納得出来ないといった彼を横目に、囓りかけの果実を口の中に放り込んだ。
*<<>>
BookTop
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -