懐かしい……とても懐かしい夢を見た。
 文明が発達し自然が失われた世界で、不自由なく暮らす平凡な毎日。見慣れた日常が夢だと確認するのに時間は必要なかった。平日だと言うのに友達同士で居酒屋に行って、互いの愚痴をこぼし合って。明日も頑張ろうと上辺だけの励まし合いをし帰宅する。
 昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
 淡々と紡がれていく日々が壊れる日がくるとは考えたこともなかった。
「――! ――……!!」
 遠くの方で自分を呼ぶ声がする。それは聞き慣れた音であり、また一度も聞いた事がないような音だった。心地の良い音に耳を傾けながら、眼下に広がるビル群を見つめる。高層ビルの屋上から、沈みゆく夕陽を見るのが好きだった。風が強く空気が澄んでいる時にのみ見える、富士山のシルエットが好きだった。
「夢、ね」
 視界に映る景色があまりに綺麗すぎたから……だから、やはりこれは夢なのだと自身に認識させ沈みきっていた思考を浮上させる。
 次第に霞掛かって消えていく景色に、戻りたいと思う郷愁の念は発生しなかった。



「――白蓮! しっかりしなさい、白蓮!!」
 肩付近に置かれている手が凄く熱い。
 動かそうとしても動かない四肢に苛立ちを覚えながら、重い瞼を持ち上げようとしたがやはり上手くいかない。体全体の感覚が鈍くなっているのを脳が感じとり、各所に動けと指示を飛ばし始める。
「……白蓮?」
 返事をしなくてはと無理矢理開いた口からは、声の代わりに咳が漏れた。
「白蓮!」
 私を呼ぶ声は、紛れもない上司のもの。いつまでも眠りこけているわけにはいかないと今度こそ瞼を押し上げる。無理矢理開いたせいか不鮮明な視界の中で、陸遜が今まで見たことがないような表情でこちらを覗き込んでいた。
「……り……ごほっごほ」
 名前を噤む代わりに出たのは無様な咳。陸遜に咳が掛かっては後で何を言われるかと、慌てて顔を背けようとしたが思うように動かない。何かがおかしいと指先に力を入れてみても動いた感覚はなく、おそるおそる視線を指先に向けたら、ちゃんと腕がついていたので安心した。
「白蓮、大丈夫ですか!?」
「……はい」
 何が大丈夫なのか分からなかったが、とりあえず返事をしなくてはと肯定しておいた。
「陸遜様……私、は?」
「……落ちたのですよ、貴女は」
「……はぁ」
 視界から陸遜が退けば、残るのは目が痛くなるような青い空と白い雲。
「あぁ」
 そういえば今日は甘将軍と合同演習だったな、と今更ながらに思い出した。水上戦を行うにあたっての説明を受けている時に……誰かに突き落とされた。
「ご迷惑、おかけ……しまして」
「本当です」
 嘘でも否定してほしいと思ったけれど、声色とは裏腹に陸遜が私を離す気配はない。そこまで考えて、今の自分が陸遜に抱きしめられているのだと改めて気付いた。
「今度こそ、死んだかと思いました」
「あぁ……なるほど」
 水に落ちて意識を失っていたから、この四肢は動かないのだ。再度感覚を全身に向けてみれば、ずぶ濡れの服が体に張り付いて重りの役割を果たしていた。
 感覚が麻痺するくらい冷たい水の中にいたのか。
「じゃぁ、あれが三途の川だったのかなぁ……」
「……白蓮?」
 懐かしい光景に目の奥が痛くなる。忘れたと思っていたが、見慣れた風景や生活は自分という人間の奥底に根付いているらしい。
 目を閉じればはっきりと思い出せる光景に、泣き出したい気持ちになった。
「……熱い」
「白蓮?」
 陸遜が触れている部分が発火するように熱い。全身が鉛のように重いのに、一部だけ燃え上がるような熱さを感じるのは、忘れられない過去を彷彿させる。
 私という人間が変わってしまった、あの日のことを。
「りく……そん、さま」
 熱いけど心地良い。今ならばこの熱に縋ってしまっても怒られないだろうと、ゆっくりと瞼を下ろす。
 指先一つ動かす力は残って無くて、焼かれた目では鮮明に物事を捉えられなくて。ただ強い感情を有した意識だけが鮮明に音を拾った、あの日。
 あの時私を生かしたのは郭嘉だった。
 そして、今度は――。
「あなたが、私を……生かす、んですね」
 紡いだ音に傍にいる陸遜が息を呑む。
 二度繋がれた生は、運命というよりも執念に近い。
 成さねばならぬことがある。その為に、この国に来た。忘れようと思っても忘れられぬ音が耳の奥で木霊する。声の主を確認し、殺すまでは……私は、死ねない。
 だから今は、縋ってしまおう。
 緩やかに落ちていく意識の縁で感じる熱さは、痛みではなく安堵を与えてくれるものだった。
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