2

 トンネルの向こうは、雪国だった……。
 なんて事あるはずもなく。
 目を開けたら同じ場所だった。
 ……悲しいかな、こう言うのが正解だろう。幸いにも先程の映画俳優達は居ないようだ。自分でも良くは分からないが、突然吹いた風に思わず目を瞑り、気付いたら先程の人達は居なかった。取り敢えず衣服に付いた砂を叩き落とし、周りを見回す。
 目を瞑る前と代わり映えの無い景色。もしや先程の突風も映画効果の一つなのだろうか? それでワンシーン取り終わったから移動した……とか?
 うん、そうだ。きっとそうに違いない。
 己の中で答えを出し、私は次の行動へと移るべく動作を開始する。
 まずは出口を探さなくては……。
「にしても人一人居ないってどういう事よ……全く。出口まで案内してくれたっていいでしょうに」
 最近の俳優は冷たいのねぇ……と独り言を呟きながら、来たと思われる方向に足を向ける。
「森を抜けても一緒だったから……森とは別の方へ行けばいいのかしら……?」
 方向音痴の気はないが、見知らぬ場所で真っ直ぐに歩ける程感も冴えていない。手探りという言葉がしっくりくるような足取りで歩くこと数十分。
「…………景色に代わり映えがないってどういう事よ!?」
 広野もここまでくると憎らしい。
 背後に在る森が小さくなっているところを見れば、着実に前には進んでいるはずなのだ……。なのに。見えるのは瓦礫の山ばかり。映画のセットにしたらちょっと大規模過ぎないだろうか?
「いい加減……嫌になるわ」
 愚痴を言っても解決しないのは分かっているが、思わず恨み言が出てしまうこの心境も分かって欲しい。
「もぅ! 一体ここは何処なのよ!!」
「聖域だ」
「……っ!?」
 答えのあるハズのない独り言に、突如乱入してきた音。
 慌てて背後を振り返れば、妙に豪華な色彩を纏う人物がそこにいた。
「えーっと……?」
「お主は何処から来た?」
 何かどっかで聞いた台詞だわ……。
「アクロポリスを見学中に迷い込んだみたいで……」
 同じ答えと。
「ふむ……では、お主は何者だ」
 同じ問い。
 そして……。
「あの、失礼ですが聞いても良いですか……?」
「ん?」
「何故、アナタタチは麻呂眉なんですか!?」
「…………」
 ここは平安時代!? 違うでしょ! ギリシャでしょう!? 映画の撮影中でしょう!? それとも何、ギリシャでは今麻呂眉が旬なの!?
 まるで私の心の叫びが聞こえているかのように、目の前の青年は頭に手をあて左右に振った。
「ここはギリシャの聖域だ。お前は私の言った事を聞いていなかったのか?」
 ……サンクチュアリ?
 聞き慣れない言葉に首を傾げれば、目の前の青年は特大級のため息をつく。
 何よ、麻呂眉のくせに失礼な奴。
「今一度問う、お主は何者だ」
「安月給のルポライターですよ。それに人に物事を聞く前に自分の素性を明かす方が先です。これ世間の常識」
 当然の事を言えば何故か青年はくつくつと咽の奥で笑う。
 何がおかしいのだろうか。全くもって失礼な。
「これは失礼した。私はシオン。牡羊座の守護を持つ女神の聖闘士だ」
「……?」
 これはまだ、映画の撮影中?
 彼が述べたのは演じる役名?
「……ごめんなさい、ちょっと私には理解出来ないわ」
 彼の名がシオンという事は理解した。そして牡羊座という単語も分かる。
 だが、アテナのセイントというのは一体なんだ? 役職か何か?
 分からない事だらけで頭を悩ませている私の前で、目の前の青年は面白そうに目を細めた。
「面白いお嬢さんだ」
「お……っ」
 お嬢さんって何!? これでも23歳なんですけど……。確かに日本人は実年齢よりも若く見られやすい。だが、この歳になってお嬢さんと呼ばれる日が来ようとは思ってもみなかった。もしかして馬鹿にされてる……?
「本当に何も知らずに足を踏み入れたのか?」
「さっきから言ってるじゃないですか! 確かに撮影中に迷い込んだのは申し訳ないと思ってますよ、ええ。でもね、帰り道が分からない状態ではどうしようもないんです!」
 だから早く出口を教えてくれ、と恨みがましい声で言えば、今度は青年が首を傾げた。
「私には映画や、ルポライターと言ったものがどういうモノなのか理解出来ないが、お主の言う事に嘘はなさそうだ」
 本当にただ迷い込んだだけなのか……? と呟きながら何かを考えている青年に、私のイライラは募っていく。ただでさえ見上げる形になって首が痛いのだ。初めから私の言い分を信じてくれていれば、こんな思いもせずに済むのに。
「取り敢えずここは未だ安全とは言い難い。こちらへ」
 促されるままに後を付いて行く。
 ……というか、安全ではない、ってどういう事? 映画の仕掛が何か残ってるとか……? もしかするとこの場所は、リハーサルか何かで使う場所なのだろうか? だからこんなに瓦礫が……。
「ねぇ気になってたんだけど、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「貴方って歳いくつ?」
 身長がある分なんとなく年上に見えるが、よく見れば若そうだ。
「18だが?」
「……じゅっ…………」
 18歳の男性に、23歳の私がお嬢さん呼ばわりされたのか……。
 あ、何かむかむかする。
「ねぇシオン君」
 私が呼べば、ぎょっとしたような表情で彼が振り向く。
 だって年下の子を君付けで呼ぶのは普通でしょう?
「私の方が5歳も年上なんだから、君付けで呼ばれたって普通でしょう? 何か異論は?」
「………………別に……」
 苦虫を噛み潰したような顔とは、まさにこの事。
 多少気分がすっきりしたところで、辺りを見回せば瓦礫の数が増えてきている事に気付いた。
「なに……あれ?」
 突如視界に飛び込んできたその光景に思わず絶句する。
 パルテノン神殿によく似た作りの神殿が、遙か上空の方まで続いている。
 だが……。
「ここが十二宮だ」
 今にも崩れ落ちそうな、神殿。
「十二宮……」
 私が呟けば、隣でシオン君が今は私以外に居ないがな、と自虐的な笑みを浮かべた。
 シオン君以外に人が居ないって……どういう事なのだろうか?
「ねぇ、シオン君。向こうに見えるのって……何……?」
 木で作られた十字架に似ているそれ。
 もしも、もしも私の予感が当たっていたらどうしよう。
 気付かないようにしていた。
 だけど、私は知ってる……この、錆びた鉄のような匂いを。
「あれは……」
 悲しげな眼をして言葉を綴るシオン君に、やはり聞かなければ良かったと後悔した。
 未だに風に混じっている血の匂いと、先程彼が言った自分以外には、という言葉。そして視界に映った死者を彷彿させるマーク。
 その時、思ったのだ。
 ここは映画を撮る現場などではない、と。
 私は、私の知らない内にとんでもない場所に紛れ込んでしまったのだ、と。
「ねぇ、シオン君……サンクチュアリって……何?」
 墓地と思われる方向から視線を逸らさずに問えば、横から女神の加護を受けた土地の事だ、と端的な答えが振ってくる。
 先程からアテナ、という単語を耳にするが、アテナとはギリシャ神話のあのアテナの事なのだろうか……? もしそうだとすると、ここは……この、空間は……一体……?
 自分を牡羊座の守護を持つと言ったシオン君。目の前に広がる12の神殿。
 未だに不確かな事ばかりだが、これだけは分かる。
 こんな場所、アテネ市内には無い。
 常識とはなんと脆く崩れやすいものなのだろうか。目に見えるものが全てではない、と言ったのは何処の偉人だったか……。
「立っていても疲れるだけだろう、取り敢えず中に入るがいい」
 目の前にそびえ立つ白磁の神殿に向かって歩き出すシオン君。はぐれないようにと、歩を進める私。
「あ」
 神殿に足を踏み入れようとして、妙な悪寒が襲ってきた。
「どうした?」
「……なんか、嫌かも……」
 例えるならホラー映画を観てしまった時のような、思わず鳥肌が立ちそうな嫌な感触。シオン君と居た時はこんな感じしなかったのに。もしや神殿に何らかの霊みたいのが取り憑いているのだろうか? ……いや、でも霊感なんてこれっぽっちもないし……。
 考えてみても答えは出ない。
 意を決してもう一歩踏み込んだところで、自分の感覚がおかしくない事を悟った。
「やっぱり、何か嫌かも」
「ふむ……。嫌とは具体的にどんな感じだ?」
「こぅ……生暖かい風を耳に吹きかけられたみたいな……感じ?」
 背筋を這い上がる悪寒は消える事なく襲ってくる。
「……今一度問うてもいいか……?」
「何を?」
「お主は、本当に一般人か……?」
 私を見つめるシオン君の鋭い眼光に、一瞬息を呑んだ。
 この眼は覚えがある。そう……突風が吹く前にみた、あの人の眼と一緒だ。
「私の名前は水上沙希! 今年23になった旅行会社所属のルポライター! これ以上の事は私だって分からないわよ!」
 這い寄る悪寒に両腕で己を抱きしめながら叫ぶ様に言えば、頭に暖かい感触が降ってきた。それがシオン君の手だと分かるまでに数秒を要したが。
「疑ったりして悪かったな。だが、ここは女神の領域……」
 私の言いたい事が分かるか? と問われ軽く頭を上下させる。
 悪寒がするのは場の空気が合わないから。つまり私が異端者、もしくはこの場にそぐわない気質の持ち主という証。
 やっぱり……私の住んでいた場所とは別世界なのだろうか……?
 漫画や小説等で異世界に紛れ込んでしまう、とはよくある設定だが……。あれは所詮架空の物語。現実にある訳がない。だって……そうでしょう? 普通に大学を卒業して、希望していたところでは無いけれど運良く就職出来て。初めは嫌だったルポライターという仕事にもようやく慣れて来たのに……。普通の生活をして、普通に人生を送ってきた私が。
「ありえないわ……」
 よりにもよって。
「こんなに遅くなるなんて」
「……沙希?」
 無意識に口をついて出た言葉に、冷静さが奪われていくのが分かる。

 頭の中で音がする。
 それは私であり、私では無いモノ。
「沙希、どうした?」
 シオン君の声が、遠くの方から響いてくる。肩に置かれた力も、私を見るその眼も、何もかもが夢の中の出来事のよう。
 遅くなったと、時間がかかりすぎたと、ワタシが言う。
 時間って何? と私が問う。
 早く帰らなくては、とワタシが言う。
 早く帰りたい、と私が呟く。

 そして。
「沙希!?」
 シオン君の声を最後に、私の意識は途切れた。
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