3

 帰りたいと冥界に来てから何度思ったことだろう。長い階段を上りきった後にあるのは、裁きの館と呼ばれる冥界での法廷だ。静寂さを尊ぶルネという人が判決を代行しているのだと、案内人であるマルキーノさんは言った。
 まぁ星矢君達にマルキーノさんの言い分が通用するハズもなく、今まで以上に騒いでいるわけだけれど……。
「沙希、そろそろ諦めたらどうだ」
「いやです、絶対に嫌」
 カノンさんの言葉を即否定し、前を歩く腕を引っ張るようにしてついていく。
「本当大丈夫だって、沙希さん。もうアイツラはいねーからさ」
「信じられない」
 小さな石に躓き思いっきりカノンさんの腕を引っ張る私の頭上から、諦めたような呆れているようなため息が降ってくる。だってしょうがないじゃない、何度も言うようだけどホラー関係だけは苦手なのだ。いつからなんて覚えてないが、気付いた時には夏の心霊特集も見たくないほど苦手だった。
「ぜ、ぜったい居るに違いないモン」
「本当にいませんよ?」
「しゅ、瞬君が言ったって、信じないからね!」
「……お前よくそれで今まで生きてこれたな」
「死者の国は死んでから行けばいいとこですから」
 裁きの館に来る途中、石段を上がっている時は良かった。ただ、問題は館の前に存在していたのだ。油断大敵という言葉を噛みしめたくなるような光景が目の前に広がっていて、反射的に叫び声を上げてしまった。後に星矢君は、あの時のあげた私の悲鳴こそが凶器だと、しみじみ語るのだが……それはまぁいい。
 館の前に溢れかえる亡者亡者亡者。以前飛ばされた積尸気もびっくりな光景に、卒倒しなかったことを褒めて貰いたいくらいだ。
「なぁ、どうしたら信じるんだよ、沙希」
「……絶対居ないって、分かったら」
「はぁ……」
 これ以上ショックを受けたら寿命が縮まってしまうと、私がとった行動は目を瞑ってカノンさんに連れて行ってもらう、ということだった。せめて視界に入らなければ、まだなんとかなるかもしれない。早鐘のように鳴り続ける心臓にツバを飲みながら、館の内部までカノンさんに誘導してもらう。
「ったく、抱えた行ったほうが……」
「それはヤです」
「……強情」
「なんとでも」
「――ご歓談中申し訳ありませんが、着きましたよ使者殿」
 バレンタインさんの小さな嫌味を聞き流し、着いたという単語にうっすらと目を開けてみる。慎重に見回した風景の中に、亡者と思われる存在はいない。
「はー……疲れた」
「こっちの台詞だ」
片手で胸を撫で下ろし、ようやく一息――。
「静粛に!」
「ひあああああああっ!?」
 中途半端に吸った息が器官に入り噎せる。何故こうも冥界の人というのは空気を読まないのだろうと心の中でバッシングしながら、凛とした声の発生源へと視線を向けた。
「私が現在この法廷をミーノス様に代わって司る、バルロンのルネであります」
「……はぁ、ご丁寧にどうも」
 壇上から重々しく自己紹介をしてくれた美人さんに、会釈を返しておく。クールビューティーという単語がぴったり当てはまるルネさんは、なんとなくサガさんを彷彿させた。
「ルネよ、こちらが聖域からの使者殿だ」
「水上沙希です、初めまして」
「……ふむ」
 私の名前を耳にし、机上に置かれている大きな本を捲り始めるルネさん。一体何をしているのかと首を傾げる私の横で、焦ったようにバレンタインさんが声をあげた。
「ルネ、変な事は考えるなよ」
「変とは失礼ですね」
 優雅な手付きで紙を捲り続けるルネさんは、不意に「おかしいですね」と小さな呟きを漏らした。
「水上沙希といいましたか。貴女からは生よりも死の香りが濃く感じるので、亡くなっているのかと思いましたが」
「……いやいや、聖域からここに来てる時点でちゃんと生きてるから」
 美人なのに頭が弱いのかな、この人。考えて、隣に立つカノンさんを見上げたら軽く肩を竦められた。十中八九関わるな、と言っているのだろう。まぁ私も面倒事にはあまり関わりたくないというのが本音だ。出来れば冥界観光なぞせず、呼び出した本人に書状を突きつけてとっとと帰りたい。
「沙希さん気にすんなよ? こいつらちょっとおかしいぜ」
「口の利き方に気を付けろ、ペガサス」
「あぁ!? やるっていうなら、受けて立つぜ!」
「静……」
「おやおや、騒がしいですね」
ルネさんの声が響き渡る前に、静かな音が空間を支配した。
「ミーノス様!」
「……ミーノス?」
 ルネさんがあげた声にカノンさんが眉を顰める。どうやらカノンさんとミーノスさんはあまり仲が良くなさそうだ。生前とはいえ、記憶が風化するには時間が少ない。敵同士にしがらみを捨てろという方が無理だよな、と他人事に考えながら、壇上から降りてくる美人さんその2を眺める。
「貴女が使者殿ですか」
「……初めまして」
「先程ルネが申しておりましたが、私がグリフォンのミーノスです。以後お見知りおきを」
 嫌味なほど丁寧に挨拶してくれるミーノスさんに「こちらこそ」と空笑顔を向ける。一見人当たりが良さそうな人ほど何を考えているのか分からない。それは一般社会も冥界も同じなのだと妙に感心してしまった。
「ルネよ、使者殿に地獄を案内して差し上げなさい」
「……畏まりました」
 ミーノスさんの言葉に口端を歪めながら、ゆっくりと大きな本を閉じるルネさん。一瞬過ぎった嫌な予感に体が反応する前に、「リーインカーネーション!」というルネさんの声が響き渡る。
「てっめ!」
「ルネ!」
 カノンさんとバレンタインさんが声をあげたのは同時。
「沙希さん!!」
 少し遅れて、遠くから星矢君と瞬君の声が響く。
 ――見たまえ、今までしでかした悪の数々が……。
 脳内に響くルネさんの言葉にきつく目を閉じ、深呼吸を一つ。
「……随分な、ご挨拶ですこと」
「ばっ、馬鹿な!?」
 視線に力を込め、技を放ってきた本人を睨み付ける。
「沙希! 大丈夫か!?」
「大丈夫も何も、今私がこの場に立っているのが答えでしょ」
 技を掛けられ浮かび上がったのは漆黒。全てを飲み込むような闇だけが静かに空間を支配する事実に、ルネさんは「有り得ない」と最後言葉を落とした。
「これは、一体どういうことですか」
「ミーノス、さま……」
 ルネさんをけしかけた張本人であるミーノスさん。やはり部下は上司に似るのだと、小さな苛立ちを抱えて二人を視界に捉える。
「生きている間に罪を犯さぬ者などいない……なのに、お前の罪が見えないとは……どういうことだ」
 愕然とした表情で私を見据えたままのルネさんに、「見えてるじゃない」と言葉を返せば、「どういうこどだ?」と同じ言葉が繰り返される。
「今さっき貴方も見たでしょ」
「だが、あれは……」
「だがもなにも、事実であり真実だよ」
 深淵の闇はワタシが犯してきた罪の数々。長い年月を経て凝縮され、たんに漆黒に見えてるだけではないか。きっとルネさんは私の外見から考えて、ありえないと事実を否定したのだろうけれど。
「目に映るものだけで判断すると、痛い目にあうよ? って、もう体感済みだったかしら」
 星矢君達が冥王を討った事実がそれを物語っているのではないだろうか。若輩者と侮り、驕っていたからきっと彼等は敗れたのだ。
「というか、さっきからずっと気になってるんですけど、いいですかね?」
「なんですか使者殿」
 長い前髪で表情は良く分からないが、ミーノスさんが私に対して良い印象を抱いていないことは理解出来る。
「地上でも、ここに来てからも随分と突っ掛かってくれますけど、それって命令だったりするんですか?」
 誰なんて野暮なことは聞かない。彼等に命令を下せるのは事実上一人だけなのだから。
「知って、どうするのです」
「決まってるじゃないですか」
 険悪なムードになる二人を前に、胡散臭い作り物の笑顔を貼り付け言う。
「やられたことは、倍返し。これ復讐の基本ですよ」
 私の言葉に館の中が静まりかえる。人が律儀に答えてあげたというのに、何のリアクションも起こさないとはノリの悪い人達だ。せめて爆笑するとか、「な、なんだと!?」と戦闘の構えでもとってくれれば面白くなりそうだったのに。カノンさんも星矢君達も微妙な表情を湛えているだけで、逆に私が変な事を言ったような雰囲気になってしまった。
 至極当然のことを言っただけなのに。 微妙な空気を振り払うようため息をつき、とりあえず先に進むべく相手方に行動を促した。
「案内、お願いしますね」
 ことさらゆっくり紡いだ音を相手に向ければ、微妙な空気を纏った二人が渋々頷く。

 はてさて、次はどんな場所なのやら。
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