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「お、おい沙希さん大丈夫かよ……」
「まぁその、なんだ。冥界を堪能してもらっているようで何よりだ」
「本当に大丈夫ですか? 沙希さん。無理はしないでくださいね?」
「……」
 三途の川……もとい、アケローン河をゆらゆら揺られている私達。地上ではあんな態度をとったバレンタインさんにまで気を使わせている現状に、もうなんといったらいいのか泣きたい。情けないというか、申し訳ないというか、やっぱり情けないというか……。
「……希望というか、体力気力、おまけに体裁とかなんか社会人として必要な何かすら捨ててきた気がします……」
 ぐったりとした私から漏れた声は自分でも驚くほど虚ろで、やっぱりここは死者の国なんだなぁと変な感心をしてしまった。
「ったくあれしきの事で音を上げるなんてだらしねーぞ? 沙希」
 船のヘリに片肘を付き、視線だけこちらに寄越してカノンさんが言う。
「双子座よ、彼女は生身なのだからしょうがないのではないか?」
 あああ、冥闘士の人に援護されるなんて、やっぱり泣きたい。がっくりと項垂れた衝撃で、ほんのちょっと涙が出てしまったけどきっとバレテはいないよね。
「カノンさん……ふつーの人は、無理だと思います、うん。というか普通じゃなくってもあれは無理だと思います……うん」
 ハーデス城で冥界へ続く穴を前にした時、カノンさんが「面倒臭ぇなぁ」とぼやくのが聞こえた。星矢君と瞬君は慣れた様子で階段を下りていたが、いつまでも尻込みしている私の横で不審な声をあげた後、よりにもよってカノンさんは人の腰に手を回し片手で抱えあげたのだった。
 その後の事は……覚えていなかったら幸せだったと思う。小脇に抱えられた状態でぎゃーぎゃー喚く私に不敵な笑みを向け、「舌噛むなよ?」とどこか嬉しそうな声色を残してカノンさんは飛び降りたのだ。命綱無しのバンジージャンプ……いや、急下降のジェットコースターと言えばおわかり頂けるだろうか。一瞬の内に視界を過ぎ去る星矢君と瞬君。それにバレンタインさん。三者三様驚きの視線を向けていたのだけは認識できた。
 まぁ、どちらかといえば私も絶叫マシン系は強いほうだから、涙を流してはいたものの落下している時は平気だった、が。問題はあれだ、カノンさんが黄金聖闘士と呼ばれる人種で、私の体が一般人だったということだ。
 地面に降りた時腹部に掛かった衝撃。一瞬で息を止めリバースを防いだ自分を褒めてやりたいと思う。
「……思い出したら吐きそうになってきた……」
「お、オイ! 嬢ちゃん! 俺の船で吐くなよ!?」
「吐きませんよ!! ……うっ」
「おおおおい!!」
 出来ることなら船の縁にしがみつきたいが、そうすると河から見てはいけないモノが見えてしまいそうなので、その場で踞りひたすら耐える。
「ホラー系、苦手なのにぃぃ……」
 気分の悪さ二乗モードでもう本当帰りたい。いっそバレンタインさんに預かってきた書状を持って行ってもらうのはダメだろうか。
 僅かな希望を持って彼に視線を向ければ、こちらの意図は丸わかりとばかりに首を左右に振られた。
 やっぱり冥界なんて、大嫌いだ!
「ほら見えてきたぜ、第一獄の岸辺だ」
「……ジュデッカ直通じゃないの?」
「ハーデス様は聖域からの使者殿に、是非冥界を案内して差し上げるようにと」
「……イヤガラセだ」
 ポツリと漏らした声にカノンさんが苦笑する。あーくそう、片肘ついてる姿が絵になりすぎてムカツク。というか、黄金聖闘士って皆美形ばっかりだよなぁ、と今更ながらに思い立つ。中には個性的な面々もいるが、やはり外見のレベルはかなり高い。
「上に立つ人って顔も大事なの?」
「沙希さん何か言った?」
「いーえ、なにも」
「まだ気分が優れないのでは……」
「そりゃー……」
 真っ暗な空と真っ黒な河に、暗い大地。
「ここに居る間は最悪だろうね、私ホラー嫌いだし」
 あっさりと言い切った私に、バレンタインさんとカロンさんの行動が止まった。仮にも女神の使いがお世辞だけ述べると思ったら大間違いですよ?
「クックック! 随分ハッキリ言ったな! 沙希!」
 急に爆笑しはじめたカノンさんに「そうですか?」と問えば、傑作だとの答え。一体何がそんなにおかしいというのだろうか。
「だって、おま……っ! 自分の立場分かってんのかよっ!」
「えー? 聖域からの使いっ走りでしょ?」
「……沙希さん……」
「え、なに?」
 爆笑し続けるカノンさんと、居心地悪そうな視線を向けてくる瞬君。バレンタインさんは私から視線を逸らし、カロンさんは何事も無かったように船を進める。
「お前は女神の代行で来てんだぜ? 不審買ったら戦争の火種になるかもしれないんだぞ?」
「あー……なるほど」
 今になってカノンさんが爆笑してる訳が分かった気がした。そうか、カノンさんは私が普通すぎるのが面白かったんだ。
「まぁ沙織ちゃんとは友達って気分のが強いし……代行者っていうよか、大学とかで代返するくらいの気持ちだよ」
「……貴女は」
「はい?」
 マスク越しでもバレンタインさんが驚いているのが雰囲気で分かる。
「貴女は、何者なのですか?」
 バレンタインさんの言葉にカノンさんが笑いを止め、また不敵な笑みを浮かべて見せた。
「たんなる派遣社員ですよ」
「え」
「だってしょうがないじゃないですか。そちらの出した要求に合う人材が私しか居なかったんだから。まぁグラード財団の社員っていう面では私も沙織ちゃんの傘下に入るんでしょうけど、中立って言う面では私以上にドンピシャな人物が居なかったんでしょうねぇ」
「でも沙希さんココ嫌いだろ?」
「うん、ホラー嫌いだから」
 だからデスマスクさんも苦手だ。あの人からはふとした瞬間に死の香りがする。まぁ本人は結構面白い人らしいけど……一対一では居たくない。
「ここが死者の国じゃなかったら、嫌いじゃないんだけどなぁ……多分。冥闘士の人達は皆人間でしょ?」
「そうですよ」
 中の人まで死人だと言われたらどうしようかと思ったが、人であることが肯定されて安心した。
「まぁ……観光してこいよ」
 いつの間に対岸についたのか、振動ひとつなく船は陸地へと接岸していた。
「観光はしたくないですけど、カロンさんお世話になりました」
 ぺこりと頭を下げれば、驚いたような気配を纏った後、「面白ぇ嬢ちゃんだ!」とカロンさんは笑いながら去っていった。
「では行こうか」
「うううう」
「諦めろって沙希さん」
「また抱えて行ってやろうか?」
「結構です!」
 クツクツと咽の奥で笑うカノンさんを見上げると、暗い空に長い髪が靡いているのがやはり絵になる。本当憎らしいくらい格好いい男だと前を歩くカノンさんの手をそっと握った。
「沙希?」
「い、いいじゃないこれくらい……。減るもんじゃ……ないでしょ?」
「……フッ、構わんさ。せいぜい遅れないように頑張るんだな」
「お、遅れないようにって! カノンさんも道連れだからね!」
 繋いだ手に力を込めれば、カノンさんの瞳が一瞬和らぐ。
「……まぁまぁ、沙希さん頑張りましょう」
「うん」
 一瞬向けた視線がサガさんに似てた。って言ったら嫌な顔するんだろうなぁ……。手を離されないようにと小走りでついていきながら、そんなことをぼんやり考えた。

 裁きの館は、もうすぐだ。
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