8

 温かいクレープを口にし、じんわりと広がる甘さに舌鼓を打ちながら、「そういえば」と私は隣にいる存在に話しかけた。
「あれから時臣さんに会ってないけど、元気?」
 最近特に空気がピリピリしているし、聖杯戦争とやらも佳境なのではないかと思い聞いてみたが、私の問いにギルガメッシュは「時臣なら死んだ」と爆弾発言を返してくれた。
「そっかー、時臣さん死ん……って、ええええ!?」
「なんだ、煩いぞ彩香」
「なんだ、じゃないよ。普通顔見知りの人が死んだって聞いたら驚くでしょうよ」
 しかし、時臣さんが亡くなっていたとなると、ギルガメッシュは聖杯戦争に敗北したということなのだろうか? そもそも、マスターありきのサーヴァントではなかったのだろうか?
「ギル様は、戦争に負けちゃった……わけ?」
 素朴な疑問を口にすれば、怒気を孕んだ赤い色がこちらを向く。
「我が負ける? 笑えぬ冗談だな」
「だって……マスターがいないで、どうしてサーヴァントであるギル様が……って、ん? あれ?」
 言葉にして改めて矛盾していると確信する。どちらか片方が欠けても成り立たぬ関係であるハズなのに、今ギルガメッシュは私の隣に座りクレープを食べている。日常の一部となった光景をあっさり認識していたが、やはりこれはおかしい。
「ギル様は一度喚ばれたら戻らない存在?」
「もっと完結に考えよ、彩香。たんにマスターが変わっただけのことだ」
「ああ、なるほど。マスターが、ってええええ!?」
 さも簡単に言い放つギルガメッシュだが、マスターの鞍替えというのはそんなに簡単に出来るものなのだろうか? だめだ、段々頭がこんがらかってきた。どうせ私には関係無いことなのだし、深く考えずともいいだろう。
 時臣さんが亡くなってギルガメッシュは新しいマスターと共に聖杯戦争に参加している。この事実さえ分かっていればなんの問題もないではないか。
「新しいマスターってどんな人なの? その人も魔術師なんでしょ?」
 私の問いにギルガメッシュはいつもの不遜な笑みを湛え、「アレも面白い存在だ」と咽を震わせ笑いを漏らす。ギルガメッシュの眼鏡に適うなんて可哀想な人だと思いながら、相手の名前を尋ねてみた。
「綺礼だ」
「ふぅん」
 キレイ、という響きからして女の人だろうか?
「ギル様が楽しめそうな人と一緒出来て良かったね」
 祝福を向けながらも、胸の奥がもやもやするのは何故だろう。
「浮かない顔だな」
「へ?」
 厭らしい笑みを浮かべながら、ギルガメッシュが顔を覗き込んでくる。一気に縮まった距離から逃げるよう背を弓なりにしならせ後退しようと画策するが、片腕に触れた熱源に行動が止まり、逃げる変わりに膝の上に置いていた新聞紙が乾いた音を立て地面へ落下した。
「何故逃げる」
「別に、逃げては」
「彩香」
「……なに?」
 間近で紡がれる音が甘く感じるのはきっと気のせいだ。錯覚に対して狼狽えるなんて馬鹿馬鹿しい。頭では分かっているのに体が付いてこない。
 人の名を呼んでおきながらギルガメッシュは何も言わずただこちらを見つめ続ける。少しだけ早くなった心音が耳の奥で煩く木霊するのを聞きながら、素知らぬふりしてもう一度ギルガメッシュの名を呼んだ。
「言葉にしてくれないと、分からないけど?」
 僅かに視線を逸らし告げれば、鼻で笑う音と共にギルガメッシュが腕の拘束を解く。
「まぁいい。狩りはじっくりと楽しむものだ」
「はぁ」
 狩りの対象が何かなんて聞きたくない。迂闊に口を滑らせたら最後、確実に後悔するに決まっているのだから。
「ギル様、帰るの?」
 優雅な動作で立ち上がり、こちらに背を向けるギルガメッシュ。来る時も帰る時も唐突だが、今日は何故か向けられた背中に寂しい、という気持ちが募る。
「すべきことは残っているのでな」
「そっか。気を付けて」
 口から滑り落ちた言葉にギルガメッシュは一度だけこちらを振り返り、空間に溶けるよう消えた。
「毎度のことながらあの帰り方を見ると、人じゃないんだって実感するなぁ」
 落ちた新聞を拾い、ギルガメッシュが消えた虚空を見つめる。先程まで煩く響いていた心臓は平常を取り戻し、耳を澄ませても鼓動は聞こえない。囓りかけのクレープを食べすすみながら、華やぎの消えた隣に視線を落とす。
「寂しい、なんて」
 長い年月の間に風化した感情が今更になって甦るとは、やはりこの地は危険だったのだと遅い後悔を覚えた。
 独りで生きる強さを手に入れたハズだった。
 誰に縋ることなく、生き抜く強かさを手に入れたハズだった。
 なのに、たった数日。たった数度の邂逅で、金色の存在は私の無くしたものを甦らせた。
「……怖い」
 とてつもなく怖いと思う。聖杯戦争とやらがどれくらい続くのか分からないけれど、このままギルガメッシュと時間を重ねたら己という存在が揺らいでしまいそうな気がして。
「ああ、そっか」
 自分を抱きしめるよう回した両手を元に戻して考える。
 私はきっと、あの傲岸不遜な暴君を慕ってしまっているのだ。だから、いなくなれば寂しいと思うし、傍に居れば気分が華やぐ。気付いてしまえば、先のない気持ちを抱いてしまった事に対する後悔が胸の奥から沸き上がる。
「馬鹿みたい」
 ちょっと優しくしてもらったからって、好きになることなどないのに。
 人間ですらなく、サーヴァントなんて特異な存在に気持ちを傾けたところで、お先真っ暗なのは分かりきっていることではないか。
 身を縛る不毛な気持ちなんていらない。後悔しつづけるなんて面倒な気持ちはいらない。
「……いらない」
 だから、小さな本音を空に溶かして心に鍵を掛けた。



「おい、アンタ」
 ぼんやりとベンチに座る私の前から発せられた音に俯き加減だった顔を上げると、どこかで見た少年が仁王立ちしていた。
「貴方はたしか……そう、イスカンダルさんの」
「ウェイバーだ」
「あ、どうも」
 ギルガメッシュに連行された酒盛りの場に居た少年が、何故此処に。疑問を口に乗せる前にウェイバーさんは私に人差し指を突きつけ、「アンタなんなんだよ!」と主語のない憤りを向けてきた。
「なに、って言われも……主語がないと分からないんですけど」
「だから! さっきもアーチャーがここにいただろ!」
「あぁ、なるほど」
 どうやらウェイバーさんは私とギルガメッシュの関係を知りたいようだ。よくよく考えてみればサーヴァントと一般市民が会話をしている状況というのは歪である。
「アーチャーさんとは、甘味仲間ですよ」
「嘘をつくな!」
 本当の事を言ったのに嘘呼ばわりとは酷い言い掛かりである。
「じゃあ、愛人とか?」
「じゃあってなんだよ、じゃあ、って! し、しかも、あいっ……ッ!」
 ウェイバーさんが納得してくれるような答えを言ったつもりだが、これもお気に召さないらしい。夜遊びしてそうなギルガメッシュのことだから、愛人という単語を出せば納得すると思ったが……見た目通り若いということか。
「先に言っておくけど、私は貴方が望むような回答は出来ないと思うよ?」
「……なんで言い切れるんだよ」
「だって、アーチャーさんとは毎日一緒にクレープ食べてるだけだもの。時々変な所に連れて行ってもらったりしたけど……それだけよ?」
「だから! それがおかしいって言ってるんだ!」
「えー」
 白い頬を赤く染め地団駄を踏むウェイバーさん。久しぶりにからかいがいのある少年に会ったなぁというのが私からの感想だ。
「こんなか弱い女を捕まえて物騒な話を聞き出そうなんて、ガラが悪いと思いません?」
 しれっと言い切った私を胡散臭い目で見下ろし、ウェイバーさんは特大級のため息を吐き出した。
「ほんと、なんなのアンタ」
「あ、彩香です」
「……あぁ、そう」
 そういば名乗るのを忘れていたと会釈付きで挨拶したが、前に立っているウェイバーさんはがっくりと肩を落としただけでこちらを見ていなかった。
「私はマスターでもなんでもないんで、たんなる異分子程度に思っておいて下さいよ」
「……つーかさ、なんで一般市民って言い張る人間が聖杯戦争のこと知ってるわけ」
「アーチャーさんが教えてくれたから、かな?」
「……はぁ」
 ため息をつくと幸せが逃げるというのは、どこの地域の言い分だっただろうか。とりあえず疲れた時には甘いものだとウェイバーさんに「クレープ食べます?」と聞いてみたが、返ってきたのは否定の言葉だった。
 甘味に罪はない。故に甘味を否定するなんて、人生損をしていると目の前の少年を見つめながら思う。それならば、と今度は一輪の花ををウェイバーさんに向けてみた。
「お花なら、どうですか?」
「……え? どっから出したの、それ?」
「企業秘密ということでひとつ」
 右手にもった白い花をウェイバーさんに差し出せば、誘われるよう片手が動き私の手から花を摘み取った。
「ため息ばかりついてらっしゃるんで、幸運のお裾分けです」
「幸運?」
「ええ、きっと」
 彼に手渡したのは、枯れる事をしらない白い花。聖杯戦争という危険なゲームに参加しているならば、癒しという起源を持つ物質が役に立つ時もくるだろう。
 小さな保険を手渡し、私はウェイバーという一人の人間の未来が途切れないことを祈った。
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