9

 午前二時。焦燥感に似た感覚に囚われ、ふいに目を覚ます。静寂が支配する世界において、何かに呼ばれた気がした。それは自分が冬木の土地に踏み入れた時と良く似た感覚で、急かされるよう身支度を整え屋敷を後にする。
 大気が軋む音がする。
 寝静まった民家を蹂躙するかのような気配は、冬木大橋の方から漏れ出ているようだった。冬木という小さな土地で行われている聖杯戦争。マスターと呼ばれる魔術師と、サーヴァントと呼ばれる英霊がタッグを組んでのつぶし合い。
「確かめなきゃ」
 私という存在を呼び寄せた原因を、確認しなくては。
 早足で向かった先で、見知った顔を視界に捉えたのはまったくの偶然で。相手もそうだったのか、互いを認識すると同時に歩みを止めた。
「えっと、ウェイバーさん、でしたよね」
 乾ききらぬ涙で両頬を濡らしている存在は、バツが悪そうに相貌を歪める。
「アンタ、なんで……」
 心底驚いたといった表情で言葉を紡ぐウェイバーさんから視線を逸らさず観察すれば、以前とは違い何かが物足りないような印象を受けた。
「えっと」
 向ける言葉を模索しながら観察した結果、ある事実に思い当たった。先日まで手の甲を彩っていた文様が、今はない。それが何を意味するのかなんて知らないけれど、マスターと呼ばれる彼の顔を濡らす涙。用意された答えから推測するに、イスカンダルさんは敗北したのだろう。
「行くのか」
 主語のない問いかけに言葉を探す思考を止める。
「うん……確かめないと」
「アンタの目的がなんなのか知らないけれど」
 気を付けろ。すれ違いざまに掛けられた言葉にウェイバーさんを振り返る。無言の背中は何も語らず、ひたすら前を見据え生きて行く者の強さを感じた。

 探さなくては、と思う。
 見つけなくてはならないのが、原因なのか理由なのか、はたまた予測の付かない他の何かなのか分からないが、とにかく探さなくては、という強迫観念に似た衝動が私に眠る町を徘徊させる。
「はっはっ……」
 上がる息を整えながら向かった先は公園だった。
「――ぁ」
 暗闇に広がる芝生の上には何もない。何もないのに、居ると感じる。
 本能に任せ思考を音に変換したら、会えるだろうか。人でも幽霊でもない、あの不思議な存在と今一度言葉を交わす事が出来るだろうか。
 悩み、躊躇い、結局音を発する事も出来ず立ち尽くす私を笑うよう、一陣の風が通り抜ける。身を切るような寒さに肩を竦め、視界を遮った己の髪を押さえつける。
「……」
 前触れもなしに与えられた温もりに、背後から抱きしめられているのだと認識するまで一拍の時間を要した。何度か目にした金色が、私の前で交差している。背中に感じるごつごつとした感触は甲冑だろうか。分厚いコートの上から伝わってきた冷たさに更に身を固くすれば、苦笑とも失笑とも付かない吐息と共に回される腕の力が強くなった。
 背後の人物は何も言わない。ただ、私を静かに抱きしめているだけ。
 元より彼の考えなど私の理解範疇をあっさり超えているが、今だけは何故か理解出来る気がした。何も問わず、何も言わず。金色の王は己の庭を荒らす賊を退治するのだろう。結果がどうであれ、彼が最後まで残っているという事実は否定しようがない。聖杯戦争を勝ち抜いた一組がどうなるのかなんて知らないけれど、彼――ギルガメッシュが私に対してある種の答えを提示しようとしているのは分かる。
 ギルガメッシュの持つ答えが、私が欲していたものと一致するかは分からない。……それでも、選ばなくてはならない。
 冷えた空気に体が震えぬよう注意を払い、緊張などしていないと自分を偽って。
 言葉ではなく、確固たる意志を。
 口を開けばきっとこぼれ落ちてしまうだろうから、音がしそうなほど奥歯を噛みしめきつく目を閉じ、ゆっくりとした動作で片手を動かす。
 ぽんぽん、と二回。目の前で交差された金色を掌で叩く。
 それが私の意志。私が、選んだ答え。
 無言の回答にギルガメッシュが耳元で笑う気配がした。それはいつもの高笑いとは違い、しょうがない。とでも言いたげな諦めの混じった音。
 風の音だけが木霊する空間で金色の檻が緩慢に開かれる。どこか幻想的な色彩を視線で追いながら息を詰めた。目を閉じたら消えてしまう。分かっているから、乾いた目を無理矢理開け続け、虚空に溶ける金色の最後の一欠片を見届けた。
 自分以外の存在が消えた空間で詰めていた息を吐き出す。
 選んだ答えに後悔はしない。
 ただ、少しだけ……寂しくて、悲しい。



 空が赤く染まっている。朝焼けにしては異質な時間帯であることを確認し、私は死が蔓延する都市へと足を踏み入れた。
 灰と化していく世界に見いだすものなどあるはずはないのに、ここにこそ答えがあるのだと本能が呼びかける。崩れゆく世界を終わりにするよう空は黒く染まり、あと数時間もすれば周囲は大雨で満たされるだろう。小康状態になったとはいえ、未だ火は高く死の香りを撒き散らす。
 赤く染まる世界を歩き続けながら、ふとギルガメッシュは大丈夫だろうかと考えた。眩しいほどの金色と、雄弁に語る赤い瞳。常に悦を求めていたあの赤さを今一度目に映したいと思うのは、私の我が儘だ。
 二度はないと理解していた。それでも、別離を選んだのは私。
「後悔するだけ、面倒だもの」
 幾多の出会いと別れを繰り返してきた。ギルガメッシュとのことだって、数え切れない別れの一つでしかない。自身に言い聞かせるよう結論を出すが、反論するとばかりに胸の奥がキリリと痛む。
「それにしても……見事に、何も無いわね」
 生きる事を許さないと浸食し続ける炎。頬を撫でる熱気に目を細め慎重に足を進めていく。
 私を呼んだのは、何か。
 念頭に置いた疑問を解決すべく歩き続けた死の街で、私の視界に今までとは違う色が混ざり込む。
「生きてる」
 届かぬはずの呟きに、踞っていた男が顔を上げた。
 黒い外套は見るも無惨な状態で、男自身相当なダメージを受けているように見て取れる。ふらりと引き寄せられるよう男の方へ足を向けると、男が子供を腕に抱えているのが見えた。
 互いが認識出来る距離で一度足を止める。こちらを見上げる男と視線が合い、何故かこの人はマスターだったのだろうな、と漠然とした答えを得た。
 こちらを驚いたように見つめる男に見覚えはないが、男が聖杯戦争の生き残りであることに変わりはない。いつの世も戦争というものに破壊はつきものなのだと過去を振り返り、嘆息したい気持ちを押し込めながら男を見つめ続けていたら、突然パズルのピースが嵌るような奇妙な感覚が神経を揺さぶった。
 暗い瞳をした男の腕の中、絶望を理解した色を濃く宿しながら生に縛られた歪な存在。
 この存在こそが私を呼んだのだと瞬時に理解し、ようやく男に向かって言葉を紡いだ。
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