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 近場の屋台で買ったクレープを片手にベンチへ腰を下ろし、本日の日付が入った新聞を捲るのが冬木市に来てからの日課となっていた。
「連続殺人ねぇ……嫌なタイミングで来ちゃったこと」
 甘酸っぱいイチゴの部分を咀嚼しながら、独特なインクの香りがする新聞を捲る。政治問題やスポーツニュースなど様々な情報が書き込まれているが、自分が興味を引かれる項目はない。せいぜい連続殺人者と出会さないのを祈るのみである。
「おい、女」
「……?」
 背後から響いた声に紙面を辿る視線が止まる。
「我を無視するとは良い度胸よな」
「…………?」
 声に促されるよう顔を上げ周囲を見回してみるが、自分の他に「女」と形容されるような人影はなく、改めて声のした方に顔を向けてみた。
「……あなた、は」
「本来ならば処断してやるところだが……我は寛大ゆえ見逃してやろう。女よ、己が幸運を噛みしめるがいい」
「……はぁ、どうも?」
 服装こそ違うが、こちらを見下ろす視線は冬木市に来た晩遭遇したあの男だ。闇夜でもはっきりと分かる赤い色は忘れたくても忘れられない強烈さをもって、私の記憶を占めている。
「……あの?」
 腕組みし見下ろしたまま動かない男にどう対処すべきか考えていたら、男の視線が片手に装備されているクレープに釘付けなのに気付いた。
「……タベマス?」
「献上を許す」
「……はぁ、どうも……」
 凄まじく上から目線だが、金髪の男はクレープに興味津々なようだ。流石に食べかけを渡すわけにもいかず、屋台から新しいものを購入し一歩も動かない男に手渡した。
「あの……」
「なんだ、女」
「座ったら、いかがです……か?」
 ベンチの端に詰め空いている場所を指させば、「よかろう」とこれまた不遜な態度で金髪の男が腰を下ろす。スラリとした長身が足を組む姿が様になっていて、口さえ開かねば。という単語が脳内をぐるぐる回り始めたところで読んでいた新聞を折りたたんだ。
「美味しいですか?」
「悪くはない」
「イチゴチョコは個人的オススメなんですけど」
 相手に買ってきたクレープを指さし言えば、まじまじと観察した後男はイチゴの部分を一気に食べた。なんてもったいないことをと思いつつ、美丈夫がクレープを食べているという絵柄は眼福だと今更ながらに考える。
「おい」
「――はい?」
 いつの間にクレープを食べ終えたのか、赤い瞳が最初と同じく観察するようこちらを見つめていた。なんなのだこの状況は。ものすごくクレープが食べづらい雰囲気に、このまま食べ進めてもいいものかどうか躊躇が生まれた。
「名はなんという」
「……名前、ですか?」
 鸚鵡返しで問えば不機嫌そうに細まる赤。高慢な上に我慢がきかないなんて、どれだけお坊ちゃんなのだと僅かな苛立ちが胸中に生まれたせいで、ぶっきらぼうにな口調になってしまった。
「彩香ですけど」
 渋々名乗れば、相手の眉がピクリと動き、数秒の後急に金髪の男が大声で笑い出す。
「な、なななんなんですか、貴方一体!?」
 慌てて周囲を確認するが、中途半端な時間が幸いしたのか周囲に人気がなく失態をおかさずにすんだ。しかし、人の名前を聞いていきなり笑い出すとは……失礼な人だ。
 爆笑する男を眺めていても、初めて会った時感じた感覚はなく少しだけ胸を撫で下ろす。心臓が破裂しそうな鼓動は好んで体感したいと思わないし、なにより逃げようとしてもこの男は逃がしてくれなさそうだ。
「というか、人に名前聞いておいて自分は名乗らないってのは失礼なんじゃないんですか?」
 この金ぴか野郎、と鎧姿を思い出し内心で毒づけば。
「ほぅ」
 聞こえるハズのない悪口が聞こえたとでもいいたげに、一転する雰囲気。捕食者の色を宿す赤色を真っ正面から見てしまい、これはマズイのではと本能が警鐘を鳴らす。
「よかろう。我の名を耳にする栄誉を賜らせよう」
 鮮烈な色と力をもって音が紡がれる。
 音に宿る力。現代の人間が忘れてしまった畏怖を、この男は有している。ゆっくりと男の口が開くのを見つめながら、危険だ、と再度本能が警告を発した。名を聞いてしまったら……捕らわれて、しまような気がする。
「ギルガメッシュだ」
「……」
 警鐘を鳴らし続ける本能とは別に耳に届いた音はゆっくりと内部に浸透し、奇妙な安堵感を与えてくれた。まるであるべき場所に収まったかのような、知っていたはずのものを、思い出したかのような……。
「ギル……?」
「敬称が足らぬ」
「……ギル……様?」
「ふむ、なんだ」
 こちらの呼びかけに応えたということは、金ぴかさんの呼称は「ギル様」でよさそうだ。とりあえず応えられてしまった手前、何か質問をしなくては。
「この前の夜、時代錯誤な鎧着てましたけど……貴方何してる人なんですか?」
 当たり障りのない話題を選んだつもりが、口を開けば出てきたのは直球も直球。曲がることをしらないストレートだけだった。
「知る事を望むか」
 目の前の男――ギルガメッシュの赤い目が愉悦を宿して細まるのを見、やってしまった、という後悔が思考を占領する。聞いてしまったら厄介なことになりそうな予感がひしひししているのに、聴覚はギルガメッシュの言葉を逃さぬよう神経を尖らせる。
「よかろう。目下に教示してやるのも王の務めよな」
「?」
 一人で納得していたギルガメッシュが、改めて私に向き直り喋り出した内容といえば……見事なまでに想像を超えたものだった。
「じゃあ、その聖杯っていう物を巡って争いをするわけ?」
 目の前に存在しているギルガメッシュが人間でないとは……。いや、でも現存している人でないと考えるならば、あの時見た時代錯誤な衣装にも納得がいく。しかし、古代の王様が現代に居るというのが妙に面白可笑しい。
「彩香」
「はい?」
 突然呼ばれた名に思考を中断し、ギルガメッシュに視線を合わせる。
「……ギル様?」
 赤い瞳に宿っているのは、いつかどこかで見たような色。
「お前は面白い。明日もここに来るがいいぞ」
 フハハハハ、と何故か高笑いを残し、ギルガメッシュが去っていく。
「――暴風のような、人だったなぁ」
 いきなり沸いて出たかと思えば、明日も来いなんて命令を残していく。そもそも、ギルガメッシュの話は突拍子もなさすぎて信じろというほうが無理だと思うのに……。
「信じちゃってるのは、なんでなんだろ」
 古代メソポタミアの王様が現代という時間軸に存在するハズなんてないのに。夢幻のような話を信じてしまったのはギルガメッシュの醸し出す貫禄のせいなのだろうか。
 分からないから面白い。久方ぶりに浮き立つ心に瞬きを数度繰り返し、もしかしたら自分はあの存在に出会う為にこの街に来たのではないかと推測すれば、妙にしっくり心に収まる。
「聖杯と、サーヴァント……ねぇ」
 お伽噺の登場人物と遭遇したような高揚感を胸に囓ったクレープは、先程食べていたものより数段甘い気がした。
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