祭リク29・38

 黄昏に染まる景色を思い出す。景色というには些か綺麗すぎる造られた空間は、誰かの心象風景を模したものだったのだろう。
 青い空間をぼんやり眺めながら思い出すのは、無情に引かれた境界線の数々だ。
 ある者は私を友だと形容した。
 ある者は楽しみの為に、またある者は生きる為に。
 誰しもが理由を持ち、たった一つの願望器を手にすべく戦い抜いた。
「虚しいものね」
 水滴の付いたグラスがカランと軽やかな音を立てる。濃い目に淹れたアイスコーヒーを掻き混ぜて、ささっているストローの先を噛む。僅かな隙間から咥内に滑り落ちた苦みに目を細め、青い風景から目を逸らした。
「どうなさいました」
 清楚に整えられた室内に誂えたかのような存在は、私という貧乏クジを引いたサーヴァントだ。正々堂々騎士道精神万歳な真っ直ぐすぎる男。
「ディルムッド」
 持っていたグラスを窓の桟に置き、綺麗な立ち姿で控えていたサーヴァントの名を呼ぶ。
「楽しかった?」
「……何が、ですか?」
 主語の無い言葉にディルムッドは秀麗な顔に疑問を乗せ、こちらの出方を窺うべく口を閉ざす。
「ほら、貴方と違って私は騎士道精神からはほど遠い存在だから。実際の戦闘は任せっきりだったけど、つまらなかったんじゃないかなぁって」
「そのような事は」
「ここまで連れ回しておいてなんだけど、無理はしなくていいんだからね?」
 いざとなれば自分一人で戦う術もある。ただ、己が直接動くのが面倒だからサーヴァントである彼に任せてしまっていただけで。
「主よ」
「んーなぁに?」
 座る私の前で片膝を折り、ディルムッドは騎士の礼をとる。そういうのは必要無いと始めに言ったのに、この堅物さんは断固として己の意志を曲げることはしなかった。それが清々しくもあり、痛々しい。
「私は――幸福でした」
 予想外の回答に、椅子から滑り落ちなかった自分を褒めてやりたい。
「何をどうしたら、そんな感想に辿り着けるのかしら?」
 純粋な問いにディルムッドは口元を綻ばせ、「私は」と涼やかな音を紡ぐ。
「我が望みは主への忠誠を貫くこと。その点においては、貴女に不満などあるはずがない」
「ってことは、他の箇所にはあるってわけね」
 ディルムッドと自分の考え方が見事なまでに破綻しているのは、始めの戦闘で気が付いた。いかなるものにも真摯であるディルムッドに対し、私は結果良ければ全て良しなグダグダタイプだ。戦闘面で彼と言い争いになりそうになったのは一度や二度じゃない。結局戦闘方面は全て任せてしまうという結果で片が付いたが……今となって初めて、これでよかったのだろうか? という疑問が胸中に去来する。
 消えゆく者に対して必要以上の感情はない。否、なかった。それは私という存在の根本に根付かないものだからだ。
「私としては、指示を出すだけで楽させてもらったけど」
「十分です」
「そう?」
 会話が一段落ついたところで、置いたままのグラスを手にしアイスコーヒーを口に含む。千振のような苦みは溶けた氷によって緩和され、口当たりの良い苦みとなっていた。
「彩香、どうなさいました?」
「なにが?」
「笑ってらっしゃいますよ」
「……そう?」
「はい」
 時間を置くことによってまろやかになったコーヒーが、まるで自分達の関係のようで自嘲が漏れてしまっていたらしい。
「あとちょっとだなぁって思ったから、つい笑っちゃったのかもね」
「なるほど」
 私の嘘をディルムッドは疑わない。
「第七の星も墜ちて、残ったのが私達っていうのがね」
 運命とは斯くも残酷で道化なものなのか!
 全知全能の神と呼ばれる存在がいるならば、よほどの天の邪鬼に違いない。でなければ、私のような異分子が勝ち残ることなどなかっただろうに。
 始まりと終わりがあるというのならば。
「基本概念から逸脱した存在は、どうすればいいのかしら」
「彩香?」
 ディルムッドから視線を外し、窓の外に広がる青さを睨み付ける。
 冷酷さを兼ね備えた存在に求めるものなんて何もない。ただ、もともとあった権利を奪い返しにいくだけ。
「馬鹿馬鹿しい」
 言峰神父を模した存在は言った。
 誰が、観測機に願望を叶える機能があると認識したのだろう、と。
 ありとあらゆる「もしも」を計算しつづける存在。
「観測機ならそれ相応の仕事だけしてれば良かったのよ」
 何気なく呟いた言葉に、ディルムッドが息を呑む気配を感じた。
「主は、聖杯が欲しくはないのですか?」
 掛けられた声に答えるのは、グラスの中の氷だけ。
「ねぇ、ディルムッド」
「なんでしょう」
「貴方には申し訳ないと重々承知してるけど……私は、ね。絶対とか完璧とか、そういった単語が大嫌いなわけ」
 ゼロかイチかで割り切る世界。
「ほら、私性根が歪んでるでしょ? だからなんていうのかな……こぅ、真っ直ぐなものとは相容れないのね、きっと。だからね、どんな願いでも叶える、とかそういった眉唾紛いの存在は砕いて踏みつぶしてやりたくなるっていうか……まぁ、信じてないって一言でいえばいいのかな、うん」
 聖杯を手にする権利を有しておいて吐くべき言葉ではないと分かっているが、言わずにはいられない。
 ただより高いものはない。どんなものにでも、代償というのは発生するのだ。
「でも、今まで戦ってくれたことには感謝してるよ?」
「それは……暗に私が用済みということですか?」
「違うって」
 これだから真っ直ぐな男は扱いづらいのだ。
「ほらほら、暗い顔してると折角の美形が台無しになるよ?」
 椅子から立ち上がれば、ディルムッドが私を見上げる形となる。
 絵に描いたような光景に出てくるのはやはり自嘲だけで……どこまでも私という人間は騎士道に似合わないのだと再確認した。
「ディルムッド・オディナ。ランサーのクラスに該当する、衛宮彩香のサーヴァント」
「……主?」
「忠誠を貫く生き方を求める貴方に、私が与えられるものなんてないけれど……」
 私がディルムッドに対してとっていた態度は、騎士が仕える王ではなく、ただの無関心だ。
 戦ってくれるというならばそれでいい。結果として勝ち上がっていたのなら尚良い。
 ディルムッドは主としての私に不満はないといっていた。己を幸福だと形容していたが、満足していたとは言っていない。
「貴方が聖杯に願うことはなに? ただ、忠義を尽くしたいという願望だけ?」
 私の視線を正面から受け止め、ディルムッドは瞬きせず見つめ返す。
「と、いいますと」
「自分の生き方以外にも、願いは存在するんじゃないの? 全ての願いを叶えてくれる絶対的な存在ならば、不可能も可能になるわよ?」
 ある王は新たなる肉体を求め、ある王は己の過去を改竄したいと願っていた。
 全ては遠い遠い、物語。
「私は――」
 言いかけた言葉を止め、ディルムッドは頭を垂れる。
「叶うならば、今暫く貴女と共に」
 告げられた願いに目が点になった。何をどうしたら、そういう願いが発生するのか。おもちゃ箱をひっくり返しても私では到底出せない答えに、眩暈に似た感覚が全身を支配する。これだから英霊と呼ばれる存在は厄介なのだと舌を巻き、負けたと私は両手を挙げた。
「貴方に聞いた私が間違ってたのね」
 紡いだ音にディルムッドは面を上げ、「彩香?」と耳障りな声を上げる。
 ディルムッドという存在が、私には重い。彼の発する言葉も態度も、なにもかも私には重すぎる。彼の英雄の悲運とも言うべき顔の良さは好ましいが……彼という存在が吐き出す音は重量級の鉄球を投げつけられているようだ。
 何もかもが痛くて重いのに、同じ重さでディルムッドを好ましいと思っている自分がいる。
「やってらんない、って言ったのよ。ディルムッド・オディナ」
 片手で己の髪を掻き乱し、今までとっていた擬態を解く。
「……あ、貴女……は!」
 栗色の髪と瞳は、白とグレーに。
「飽きちゃった。どうせ私達の見た目に拘る存在なんていないんだし、別に良いでしょ? それともなに? 今までの色合いじゃないとマスターとしては認めませんって?」
「そ、そのような」
「いーじゃない。一度くらい反論したって。私は貴方のマスターだけど……唯一、ではないんだから」
「ッ!」
 英霊という立場に繋がれ、彼が何度現世に呼び出されたのかなんて知らない。
 けれど、今は。
「嫌なら嫌って言えばいいじゃない。私は君主じゃなくて、ディルムッドという一人の英霊を使役するだけの存在なんだから。位で言えば英霊である貴方の方がずっと上よ? 気兼ねなんて必要ないんじゃないの」
 どれだけ歪な生に縛られていたとしても、私は一般人というカテゴリに所属しているのだから、気遣いなんて必要無い。
「彩香、私は……」
「私は、なに?」
「願いは、口にしました」
「一緒に居たいって?」
「はい」
「それは、聖杯にかける願いでしょ」
 未来を啓示する願望器にかける願いが、一緒に居たいとは……冗談にしてはつまらなすぎて笑えない。
「衛宮彩香という人間以外にも、ディルムッド・オディナの主たる存在はいるわけだし。もっと有用な願いはないわけ?」
「有用かそうでないかは、私が決めることです」
「お、言ったね?」
 ディルムッドが初めて見せた反抗に、口元が弧を描く。
 それでいい。私は英霊の主でいたいわけではないのだから。貴方が私を主と仰ぎたいならば、もっと私という人間を知る必要がある。
「及第点ってところかな」
 最終局面において、ようやく私達はスタートラインに立ったのだ。
「彩香、私は貴女に聖杯を捧げたい」
「うん」
「貴女というマスターの元で、終わりを見届けたい」
「うん」
「だから、私は――」
「ストップ」
 ディルムッドの言葉を遮り、私は彼の前に右手を差し出した。
「私と貴方の考えは相容れない。でも、別にいいじゃない。まるっきり同じ考え方の人間なんていないんだから」
 静かな瞳で私を見上げるディルムッドに向かい、私は初めて心からの笑みを向けた。
「共に居たいと願うなら、聖杯なんて紛い物じゃなくて私に願いなさいな」
「彩香」
「実のところ、お願されるのには弱くてね。つい叶えてあげたくなっちゃうの」
 生きたいと願う少女の願いに惹かれ、喚ばれた。
 だから、私が願うことは未来の改竄だ。死にゆく運命を書き換え、名も知らぬ存在の延命を願う。
「ディルムッド・オディナよ今一度問う。お前の願いは、なに?」
 一秒が数時間にも感じる沈黙の中で、騎士の礼を崩さぬ男は目を覆いたくなるほど美しい。
「衛宮彩香。我がマスターよ。我が望みはただ一つ。聖杯戦争を勝ち残り、貴女の願いを叶えることだ」
 完全無欠な答えに、私が返せるものは一つ。
「ならば、ディルムッド。ランサーのサーヴァントよ」
 青い光が差し込む部屋において、思い出すのはステンドグラスを模した始まりの空間。
 今こそ短くも長い刻に終わりを告げよう。
「この私に、勝利を――!」
 私の声にディルムッドは満足気に目を伏せ、差し出した手の甲に口付ける。
「Yes my master」
 さぁ、終演の始まりだ。
「いくわよ、ディルムッド」
「御意」
 青く染まる部屋を後にし、静けさを湛える廊下をヒールの音で蹂躙する。

 嗚呼――カーテンコールには、まだ早い。
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