Extra

「選定の声に応じ参上した。オレのような役立たずを呼んだ大馬鹿者はどこにいる?」
 ぼんやりとする意識の中聞こえた声に、これはなんの悪夢かと叫びたくなった。




「……ふむ。認めたくないが、この場にいる人間は君ひとり。」
 見慣れた格好の見慣れた背中が自分の前に立っている。眼前にいる彼が自分の知っている存在ならば、改めて問うような愚かな手順は踏まないだろう。だって、彼は私、ではなく彼女、のサーヴァントなのだから。振り返らぬ背中を焦点の合わない目で必死に見つめながら、何故自分はこのような痛みに全身を苛まされているのかと思考を巡らす。
 これではまるで、私が――。
「念のため確認しよう。君が私のマスターか?」
「……」
 私の思考を遮るようにかけられた声に温かみはなく。
「どうした、答えられないのか」
 落とされる音は鋭利な刃物を思わせる冷たさを含んでいて。
「――……」
 口を開いても上手く言葉が出てこないのがもどかしい。音が紡げないのが痛みによるものか、精神的なものかは分からないけれど、このまま答えを先延ばしにしていていいはずがないことだけは理解出来たから。痛みを訴える咽を重い手で支え、ゆっくりとだが確実に相手に伝わるよう言葉を紡ぐ。
「あなたが、わたしの?」
「聞いているのはこちらだが」
 奇妙な空間に存在するのは私と目の前の存在だけ。始めに彼が言っていた言葉が事実を裏付けている。となると、何の因果か知らないが彼――アーチャーが《私》のサーヴァントとなるのだろうか?
「現実から推測するに、Yesと応えるしかないんでしょうね」
 どこか他人事に呟いた台詞にアーチャーが眉を顰める。
「……そうか。こちらに拒否権はないとしても、またおかしなマスターにぶつかったな。しかし契約は契約だ、力を貸そう」
 アーチャーの言葉と共に、左手に浮かび上がる令呪。見慣れた……けれど懐かしい文様に目を細め、私は今一度前に立つ存在を見上げた。見知った姿、聞き覚えのある声。
「どうした。呆けるのもいい加減にしてもらいたいものだな」
 けれど、《アーチャー》は私を、知らない?
「……」
 上手く思考が纏まらない。そもそも、どうして私は此処にいるのだろう? こんな訳の分からない空間に足を踏み入れた覚えはない。今日という日だっていたって普通に過ごしていたハズだ。朝起きて皆で賑やかな朝食をとって、昼間は買い物に行って。これまた賑やかな夕飯を食べ、自室へ戻ったら……ここにいた。しかも呼吸をするのも辛いような痛みを伴って。
「――っ、は……」
 痛みを押して立ち上がった私の前に木偶人形が襲いかかってくる。
「下がっていろ、マスター」
 ぐらぐらする意識の中で聞き慣れない呼び名と。
『たすけて』
 聞き覚えのない声を聞いた。



「こんなものでいいのかなぁ」
「君も物好きだな」
 マイルームと呼ばれる教室をカスタマイズし、一段落ついたところで今後の事を考える。
 木偶人形に襲われた後不思議な声を聞き、気付いたら保健室のベッドの上に居た。保健室で眠ったのは地味に初体験で少しばかりドキドキしたのは内緒だ。この世界のアーチャーさんから聞いた話をまとめると、どうやら私は聖杯戦争に巻き込まれてしまったらしい。何をどう間違えたら私が参戦することになるのか、世界とやらに問いただしてみたい気もするが、現状を受け入れてしまうほうが面倒ではなさそうなので受け入れることにした。
 私が居た世界に存在する名を持つ人物達は、少しづつ何かが違っている。基本となる性格は同じようだが、どうもこの世界は現実というより仮想空間……つまり、ゲームの世界と思った方がしっくりくる。実際にいた人物を模したNPCと呼ばれる存在達もいるし。
「まさか凛ちゃんがいるとは思わなかったけれど」
「何か言ったか? マスター」
「いえ、なにも」
 つい見慣れた存在を呼び慣れた呼称で呼んだら、大変な事態になってしまったのは記憶に新しい。
 自分が居た世界とは異なる世界。魔術という力が、失われた世界。
「でも」
 訝しげにこちらを見つめているアーチャーさんを気にしないようにし、自らの中を流れる力に意識を向ける。現在も過去も変わらず自身を満たし続ける力はたしかに存在している。魔術が……魔力が失われた世界というならば、私の中に存在するこの力をなんと呼べばいいのだろう。
「まさかホームシックなどという戯言を紡ぐつもりではあるまいな? マスター」
 座という概念をもって記録を共有する英霊が、私を知らない世界。
「アーチャーさん」
「……なんだと?」
 絶妙なバランスで積まれた椅子にふんぞりかえり、遠目からでもはっきり視認出来るほどアーチャーさんは表情を歪めた。
「私のこと、マスターって呼ぶの止めてもらえます?」
「……何を言っている」
 左手の令呪が契約を交わした事実を物語るが、どうしても呼び慣れた……呼ばれ慣れた呼称というものは存在する。主と使い魔という以前に、英霊である存在は、私の……。
「貴方が私の言葉を聞いてくれるというのなら、これが一つ目のお願いです。私のことは今後一切マスターとは呼ばないでください」
 私の言葉にアーチャーさんは椅子から立ち上がり、数歩の距離を詰めることなくこちらを見下ろした。
「令呪が何を物語るか、分からぬわけではあるまい」
「言われなくても」
 英霊エミヤ、は私ではなく遠坂凛のサーヴァントだ。一度認識された現象を覆すことのほうが難しい。あの時……二週間という短い期間の中で繰り広げられた物語。その中で私の隣に立っていたのは。
「私、自分の名前が好きなの。だから、マスターではなく名前で呼んで貰えると嬉しいな」
 霞掛かる記憶の中で甘さを伴って響く音は、誰かが与えてくれたものだと識っている。自分ではなく、外的要因である存在が己という自己を確立させるために贈った音は、私の宝物だ。
「おかしなことを言う」
「可愛らしいお願い事でしょ?」
 アーチャーというクラスは同じだが、彼ではない。
「……よかろう」
 憮然とした表情で了承したアーチャーさんに笑みを贈り、片手を差し出す。
「私の名は彩香。これから宜しくね、アーチャーのサーヴァントさん」
「まったくもっておかしな存在だな、お前は」
 差し出された手を苦笑混じりに握り替えし、アーチャーさんは困ったように目を細める。やはり、何もかも違う。彼ならマスターである存在が差し出した手を鼻で笑うだろうし、なにより召還されたというより、されてやったのだ、と不遜な態度と高笑いで相手を威圧するだろう。
 だから、やっぱり。アーチャーであっても《エミヤ》は《私》のサーヴァントではないのだ。
「どうした? 彩香」
「そろそろ夕飯の時間になるのかなぁって考えてた」
「ふむ」
「……作ってくれる?」
「誰に言っている?」
「ダメかな?」
「呆れてものもいえん」
「手の掛かる子の方が可愛いって言うでしょ」
「減らないのは口だけのようだな」
 冷笑を浮かべこちらを馬鹿にしながらも、彼が美味しい料理を作ってくれるであろう未来は予測出来る。
「口は減らなくてもお腹は減ってるんだけど」
「やれやれ、手の掛かる存在だな」
 言って、アーチャーさんはマイルームに設置された簡易キッチンへと足を向ける。
 ほら、なんだかんだいって夕飯作ってくれるんじゃない。
「なにをにやけている、彩香」
「にやけてないよ、重力で口角が下がっちゃっただけじゃない」
「……それはそれで、どうかとおもうぞ」
「アーチャーさん。私肉じゃがが食べたい」
「……善処しよう」
「やっぱり、士郎は士郎よね」
「何か言ったか?」
「いーえ、なにも」

 緊張感のかけらもないマイルーム。
 そこに存在するのは、マスターとサーヴァントではなく、理想を追い続けてちょっと歪んでしまった未来の弟と、彼の姉だった存在だけ。
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