Super Extra

 世の中には触れてはならぬ領域というものが存在する。それは遙か彼方だったり一寸先に無造作に転がっているわけで、ついうっかり死亡フラグを立てぬ為にも全力で回避せねばならぬ事象に遭遇した際、人がとるべき行動は二つだ。
 一つ、相手に見つからぬようにすること。
 二つ、その場から逃げ切ること。
 上記の行動が難しいのならば、後に残された選択肢は一つ。息を殺し己を殺し、世界に溶け込み厄災が過ぎゆくのをただひたすら待つのみ。
「全てはこちらが発見した場合に限る、って注訳も付くけどね」
 真っ正面からこちらを見据える猫背の人物から視線を逸らさず、私は困ったように片手で頭を掻いた。眼前に在るのは人に非ず。本能の警告を真摯に受け止め足を止めたまではいいが、これからどうしたものか。老人というには若く、成人男性というには草臥れている。連続徹夜明けのサラリーマン。そんな単語が良く似合いそうな雰囲気を纏った存在は、こちらを認識してからというもの微動だにしない。
 ただ気になるのは――彼の存在の手元にある一冊の本である。
「嫌な空気」
 汚水を頭から被ったような苦々しい空気は私の好む物ではないし、なにより私はホラー系が大の苦手だ。
「見た目、大事」
 気付かれない程度に足下を動かし、少しづつ距離を取ってなんとか安全圏まで――。
「っと、わわっ!」
 後退は許さぬと言わんばかりに背後から奇妙な生物が躍り出る。とっても年齢指定な見た目です。ありがとうございました。ドン引きしながら考えて、これは眼前に居た存在が招いたモノだと理解する。
「そっかそっか、一種の魔道書なわけね。どうりで嫌な感じがすると思った」
 距離はあるのに眼前の人物がニタリと笑ったのが分かる。面倒事に巻き込まれたとため息をつきながら、背後から襲いかかってきた奇怪な存在と一歩の間をとった。
「触れられると……誰が、決めたの」
 音と共に私の左右を擦り抜けグロテスクな存在は地へ還る。いきなり遭遇した一般人を攻撃するとは随分と丁寧な挨拶だ。これは少しばかり灸を据えてやったほうがいいのだろうか。
「ちょっと貴方ねぇ……」
「素晴らしい!」
「……は?」
 先程までとは打って変わり、目の前の疲労困憊サラリーマン……もとい、変人は急に諸手を叩き始めた。
「我が傀儡を言葉一つで屠るとは……素晴らしい! 人にしておくのは惜しいですぞ!」
「さらりと失礼な事言ってるって自覚ある?」
 仮にも人族人型の私に向かって、人間にしておくのが惜しいとは。
「というか、いい加減そこ退いてくれませんかね? 私貴方の向こう側に用事があるんですけど」
 通り抜けたら何かされるに決まってる。それも、殴ったり刺したりとかそういう可愛いものじゃなくて、もっと見た目的にアウトな内容が繰り広げられるという確信があるから動けない。
 私がドン引きしている間も、テレビ越しに見たことがあるような顔をした人は陶然と語り続ける。
「貴女の皮を剥ぎ腸の香りを嗅いでみたいものです」
「いやいやいや、それアウトだから。絵的に駄目だから」
 あらヤダ。この人イッちゃってる。
 歓喜に体を震わせながら、危険な単語ばかり繰り替えす狂人に付き合う趣味は無い。全くない。これっぽっちもない。つまり、今私がしていることは時間の浪費であり、一言で言えば、無駄。
「お嬢さん!!」
「うひっ」
 五メートルほどの距離を置き、狂人が謳いあげる。
「私は貴女に興味が沸きました。手始めにお名前をお伺いしましょうか、美しいお嬢さん」
「…………彩香、ですけど……」
「ほう、彩香とおっしゃる! 貴女に似合いの良き名ですな」
「……はぁ、どうも」
 見知らぬ他人に触手っぽい生物をけしかけてきた存在と馴れ合う気はないのだが……聞かれると答えてしまうのが私の欠点である。
「では彩香。率直に聞きます。貴女はどのようにして私の攻撃を避けたのでしょう?」
「その前に。私だけ名乗って自分は名乗らないってのは不公平じゃない?」
「おぉ、私としたことが忘れておりました。私のことは、青髭とお呼び下さい」
「……青髭、ね」
 青髭と聞いて連想するのは一人しかいない。中世フランスに狂気の色を添えた人物……なるほど、この存在はサーヴァントだったのだと認識すれば、今まで感じていた奇妙な不快感が霧散する。サーヴァントなら性格が破綻していても仕方ない。なんらかの歪みを抱え、破綻し、再構築されているのがサーヴァントというものだというのが私の認識だ。
 唯我独尊王や観察対象用イケメン。そして豪快すぎる筋肉と可哀想なマスター。彼等とならまだしも、猟奇要素を網羅し尽くした過去を持つ青髭公とは……天地がひっくり返り大洪水が襲ってきたとしても上手くやっていける自信がない。主に趣味的な意味で。
「聞かれた事には答えますけどね。私は忘れられゆくことをきっちり守ってるだけに過ぎませんよ」
 特別面白くもなんともないから解放してくれと言外に訴えたが、青髭さんは何がツボに入ったのか奇怪な笑いを響かせバシバシと手を打ち鳴らす。
「面白い! 実に興味深い!」
「あー……なんかもう面倒になってきた……」
「貴女ほど見た目と中身がちぐはぐな存在も珍しい! やはり内側を――」
「無理無理無理無理! 言っときますけど、ホラーっぽいの本当駄目だから、アウトだから、場外だから!」
 これだから錬金術とか怪しい事に手を出していた輩は面倒なのだとため息を吐き出し、スーパーの深夜タイムセールに参加することを諦めた。さようなら、私のお寿司詰め合わせ。
「とりあえず、青髭さんは私なんかよりも他に構うべき人材がいるんじゃないですか?」
「……おぉ……私としたことが」
 全身でに嘆きを表現する青髭さん。もういっそどっかの舞台にでも上がってればいいんじゃないですかね、この人。
「ご指摘感謝しますよ彩香」
「はぁ」
 恨み辛みが聞こえてきそうな本を大事そうに抱え、青髭さんはようやくこちらに背を向けた。いやぁ疲れた。心の底から疲れた。こんな日は美味しいラーメンでも食べて帰るにかぎると視線を外せば、私の行動を見計らったように青髭さんはぐるりと方向転換をし一気に距離を詰めてきた。
「うわっ」
 また何かけしかけられるのではと反射的に両手を前に突きだしたが、私の予想に反して青髭さんは突きだした両手を握り、変に紅潮した気を纏って私の名を呼ぶ。
「彩香! 貴女とは良き友になれそうです!」
 見た目どおり骨張った手は、予想に反して滑らかな感触だ。この人も少年達の血を浴びて永遠の美を、とかやってたんじゃないだろうか。そう思うと滑らかさが爬虫類に通じる気がして服の下で皮膚が粟立つ。
「はぁ、分かりました。もうなんでもいいです……友達ですね、トモダチ」
「また語り合いましょう、彩香」
 どこが語り合いだ。殺し合いの間違いではないのか。いや、一方的な攻撃は殺し合いとは言わないのか……?
 とにかく早く離れてほしいと引き攣った笑みを浮かべ続けた結果、「名残惜しいですが」と素敵な言葉を引き出す事に成功し、ようやく私はいつも通りの日常に戻る事が出来た。
 やはりサーヴァントというのはロクでもない者ばかりである。

 ○月×日 躁鬱っぽい友達(仮)が、一人増えました。
*<<>>
BookTop
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -