2

 案内され連れてこられた先はと冬木ハイアットと書かれたホテル。一泊いくらかは知らないが、内装から察するにも安くはないだろう。ディルムッドさん曰く、そんなホテルのワンフロアを丸ごと貸し切っているというのだから、お金持ちの考えることは分からない。
「今日が生きられれば十分なのにねぇ」
『何か言ったか?』
「特に、なにも」
 声は聞こえるのに姿が見えないというのは奇妙な気分だ。夏の夜の定番ともいえる心霊現象とやらに遭遇した人々は、皆このような不可解な気持ちを抱くのだろうか。
 振り返っても姿はないのに、気配だけはある。恐怖を呼び起こすには十分すぎる不快感は、エレベーターという狭い箱の中に入っているとより一層高まってしまう。
「最上階を貸し切りかぁ……さぞかし見晴らしがいいんでしょうね」
 聖杯戦争は夜に行われるというし、昼間は部屋に籠もり眼下に広がるであろうパノラマの景色に目もくれず、戦争の準備でもしてるのだろうか。折角違う土地に来たのだから観光くらいすればいいのにと、日本という土地に来てからすっかり日本贔屓になってしまった私は思うわけで。
「ずっとホテルに居て飽きないのかしら」
『どうだかな』
 若干投げやりな回答に、おや? と思う。
 私の知るサーヴァントは誰しもが個性的だが、比較的マスターとの仲は良かった記憶がある。共に死地を駆けるパートナーになるのだから当然といえば当然なのかもしれないが、ディルムッドさんの纏う雰囲気から察すると主従仲に問題があるようだ。気にはなるが、私が口を出していい問題ではない。抱いた好奇心を押し殺し、一定の速度で変わっていく階数をぼんやり眺めた。
「で、ここからどうしろと」
 目の前で実体化したディルムッドさんが首を傾げる。主従関係が不良だったとしても、サーヴァントがマスターの味方であることに変わりはない。だが、私という他者はランサーのマスターからしてみれば敵か味方かも分からぬ異分子だ。
 足を踏み出したら爆発でも起きそうな違和感を全面に押し出した、見た目は至って普通なホテルの廊下。
「抱えていってもらうにわけにはいかないし」
「疲れたのか?」
「そういう訳じゃないんだけど……これってあれかしら。一種の力試しと捉えた方がいいのかしら?」
 部屋まで辿り着く力の無い者は謁見するに値しないと、そういうことなのだろうか。
「売られた喧嘩は買っても良いけど、なんだか面倒だわ……」
 自動で閉まりそうになる扉をボタン一つで押しとどめ、仕方がないと意識を切り替え。
「感知出来ると、誰が決めたの」
 意志を持って紡いだ音と共に足を踏み出し、エレベーターの閉まる音をバックミュージックに踵を打ち鳴らした。
「じゃ、行きましょうか。あまりお待たせしても申し訳ないしね」
 眼前で揺れる前髪を引っ張ってみたい衝動に駆られながら、踏み心地の良いカーペットの上を音無く進む。ランサーのマスターはどのような人物なのだろうか? 僅かな期待と悪戯心を胸に、薄い笑みを口元に引いた。



「ランサー」
 扉が開かれると共に響いた神経質な声に、眼前に立つ存在の肩が揺れる。中途半端に開かれた扉から中の様子を窺う事は出来ないが、なんとなくディルムッドさんが私を庇護しているのだということは理解出来た。隙間から視認出来るのは質の高そうな布地だけで、声の持ち主を確認するには至れない。
「貴様はみすみす敵を誘導してきただけか?」
「……と、申されますと」
 敵と呼ばれたのは他の誰でもない私だろう。ディルムッドさんは彼の主が庇護を容認したと言っていたが、私の聞き間違いだったのだろうか。
「あのー……」
 雰囲気を悪くするために願い出たのではない。私が居ることによってディルムッドさん達の不仲が加速するならば、違う都市で寝泊まりでもすればいいだけの話だ。この時間軸に来てしまった理由は皆目見当付かぬが、突然来たのだから突然帰れるのだろう。考えても答えが出ない時は前向きに考え進むのが上策だと、どこかの誰かが言っていた気がする。
「お言葉ですが、我が主」
 私の考えを否定するような力強さで、ディルムッドさんが音を紡ぐ。
 見知らぬ背に見知った姿が重なって、心臓が不規則な鼓動を刻んだ。
「私はこちらへ来るまでの間、何もいたしておりません」
「なんだと?」
「彼女は自らの足のみで、此処まで到達したのでございます」
 ちらりとこちらを振り返り、ディルムッドさんは塞いでいた視界を返すかのように己の体を横にずらした。
「……初めまして」
 椅子に深く腰掛け、高慢そうな視線を向けてくる存在と視線が合う。神経質そうな声に似合いの張り詰めた雰囲気は、絵に描いたような魔術師像を彷彿させた。濃紺の衣装に金の髪が良く似合う。同じ色合いでも持つ存在によって随分イメージが変わるものだと感心しながら、彼等のいる部屋へと足を踏み入れた。
「お前がアーチャーの知人か」
「そうなりますね」
 問いに答えれば面白いように凍り付く周囲の空気。息苦しさすら感じる重圧の中で、部屋の主だけが浮き出ているような錯覚に陥る。実際眼前の人物から発せられている攻撃的な魔力が、周囲の空間に影響を与えているのだろう。
「どうやってここまできた、娘」
「――娘!?」
「どうした彩香?」
「い、いえ。なんか違和感がありすぎて、つい……」
 早くなった鼓動を胸の上から押さえ、問われた事に回答すべく口を開いた。
「えっと、どうやってと言われましても普通に歩いてきたとしか」
「ありえん」
「でも実際この場にいますから……。んー、そうですね。では、どうやって辿り着いたかは秘密ということにしておきましょうか」
「なんだと」
 遠目からでも分かるほど米神の血管を浮き上がらせ、金髪の青年が椅子から立ち上がる。
「ランサー」
「はっ」
 軽く頭を垂れディルムッドさんはマスターである人間の言葉を待つ。
「その娘を、殺せ」
「――ッ! 主、それは!」
 サーヴァントにとってマスターの命令は絶対。知ってはいるが、殺人の対象が自分となると微妙な気持ちである。反論しつつもディルムッドさんの手には二色の槍が握られているし……はてさて、どうしたものか。
「ランサー」
 支配者の温度を持って紡がれる音に抗うのは大変だろうに、申し訳無いことをしている。カタカタと震えるディルムッドさんの片腕にそっと触れれば、大げさなリアクションで私の方を振り返った。
「とりあえずリラックスリラックス」
「悠長な事を言っている場合ではないぞ、彩香。君は自分の置かれている状況が――」
「心配してくれてありがとう、ディルムッドさん」
 感謝の意を込めながら、「でも」と続く音を口に乗せる。
「申し訳無いけど、貴方達じゃ役不足だわ」
 貴方、ではなく貴方達。複数形であるのには意味がある。その事に気付いたのか、金髪の青年は唖然とした表情を浮かべた後、般若のような形相を前面に押し出した。部屋に存在する気配は三人。一人は目の前の青年。もう一人は隣に居るディルムッドさん。そして未だ見ぬ最後の一人が室外からこちらを監視しているのだろう。
「貴方のお名前は存じませんけれど、私という存在を亡き者にしたいのならば少しばかり準備が足りないようですので、綺麗さっぱり諦めてくださいな」
 身を守る為の嘘なんて必要無い。
「ならば、試してやろうではないか」
「お好きなように」
 聖杯戦争に参加する魔術師と英霊。絶対的な力を有する存在だと認められていたとしても『私』を終わらせるには力不足だ。なにより、人の命を奪う重みに対する覚悟が足りない。
「識らない人に、幕引く権利はないわ」
 死を……業を背負う覚悟がない者は同じスタートライン上にすらない。必要最低限の要素すら満たさぬ者と対等に張り合えると考えること自体が既に烏滸がましい。
「小娘の分際で、デカイ口を……!」
 空気が軋む音がする。
「大人気ないわよ、ケイネス」
 肌を刺すような緊張感の中、凛とした透き通る音が一方的な勝負に待ったをかけた。
「ソラウ!」
「面白そうなお嬢さんじゃない、ねぇ? ランサー」
 ソラウと呼ばれた人の言葉にディルムッドさんは一礼し、安堵の色を顔に乗せる。
「初めまして、お嬢さん。貴女のお名前を伺ってもよろしいかしら?」
「初めまして、ソラウさん……でよろしいですか? 私は彩香と申します。この度は一時的な……」
 差し出された手を握り替えすべく片手を浮かせ言葉を紡ぐが、最後まで言い終わる前に不可思議な衝撃が体を襲った。
「……あ、の……?」
 差し出した右手は宙に浮いたままで、差し出されていた手は何故か私の胸元にある。
「あらあら、やっぱり思った通り!」
 嬉しそうに声を弾ませながらソラウさんは細く綺麗な両手で私の胸を好き放題に揉み……。
「なっ、何するんですか!」
「着やせしてそうって思ってたのよね」
 むにむにと音がしそうな勢いで変形を繰り返す脂肪の塊。止めてくれとお願いしてもソラウさんは聞き入れるどころか、さらにヒートアップし人の体をペタペタと触ってくる。なんだこの人、まさか痴女と呼ばれる分類に……いやいや、こんな綺麗な人がそんなわけが。
 相変わらず楽しそうに体を触ってくる存在を前にし、人間とは奥深く繊細且つ難しい生き物なのだと己の持つ常識という単語に蓋をした。
*<<>>
BookTop
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -