▼痛い目も憂き目も様変わり
「どうしよう……」
はぁぁ、と深い息を吐く。真正面に座っている鳴ちゃんは、私とは真逆で生き生きとした顔をしていた。心なしか、顔も赤くテンションも高い。まったく、ちょっとは憐れむ顔をしてくれないかな……。
「どうしようって、もういいじゃない。名前ちゃん、要するに恋してるんでしょ?」
「してないっ、絶対してないよ!」
「あらそう? でも、わざわざ生徒会長の『fine』をプロデュースするなんて、昔のアンタなら絶対言わなかったじゃない? それって、生徒会長のこと、そこそこ悪くないって思ってるんでしょ」
「ち、違う、絶対違う。えっと……そう、弓弦くんにも頼まれたし、桃李くんも来ていいって言ったし、渉だって……」
「誘いに来たのは、生徒会長。良いよって言ったのは、名前ちゃん」
「うぐっ」
「変な子ねェ。なんでそこまで否定するのよ?」
仕方ないだろう。
だって私は、英智と賭け事の真っ最中なんだから。
……ことは数か月前に遡る。英智が私に告白してきた。
と簡潔にそれで終了なら話が早いのに……何をとち狂ったか、私は彼に猶予期間を与えてしまったのだ。
『私は絶対、貴方に好きって言わない。言わせることが出来るもんなら、やってみなさい!』
という類の、挑発行為を……行ってしまったのだ……。本当に反省している。挑発してごめんなさいと言っても、この戦いから降りてくれるほど英智はやさしくないことも分かっている。だから、降りるに降りられないチキンレースが続いている訳で……。
「でもほんとに熱烈よねぇ? 一緒にご飯を食べようとか、紅茶部の活動に付き合ってほしいとか、あの手この手でお誘いかけてるもの。ついにプロデュースまで手を伸ばした訳ねぇ。さすがやり手よね、生徒会長サマは」
「感心してる場合じゃないよ……」
「羨ましいわねぇ、名前ちゃん。アタシも素敵な恋がしたいわぁ」
「恋じゃない!」
「ハイハイ。……あら?」
こんこん、とスタジオの扉がノックされた。司くんだろうか。なんの気もなく扉を開けた。
「司くん?」
「残念ながら、違うかな」
「えっ、英智!?」
ふわりと優しく微笑んだ英智。しかも、ユニット衣装を着てのご登場だった。窓からの日差しが、彼の金糸のような髪を優しく照らしていた。眩しい、と思ったのは光のせい。
おかしいな、と思って時計を確認する。まだ、『fine』との約束の時間ではないはずだ。
「ど、どうしたの? まだ時間じゃないよ」
「その通り。でも、君も忙しい訳じゃないようだね。どうせだから、ちょっと早くから、僕に付き合ってくれると嬉しいのだけど……」
「ん。……分かった」
後ろからじわじわと感じる鳴ちゃんの生暖かい微笑みが痛い。そそくさと逃げるように、私は英智の後をついていくことにした。
*
で、着いた場所は防音練習室でも、講堂でもなく。
「……ここで練習するの?」
「そうだよ。ああ、熱中症にならないように気を付けてほしいね」
「そっちこそ……」
歯切れ悪く、私が言ったのも許してほしい。
何を隠そう、ここは校舎からずいぶん外れの方にある、植木の傍。……私と英智が最初に出会った場所だった。
何もかもが、始まった場所。……そんな風に、今なら思える。
「ふふ。とはいっても、激しい動きはする予定はないよ。このあと『fine』としてのレッスンも控えているしね。体力がないのは、身に染みて分かっているから」
ちょっと意地悪に英智が笑う。心当たりがありすぎるので、私の視線はゆらゆらと迷子だ。
「う……わ、悪かったって。でも、あれくらい英智も織り込み済みだったでしょ」
「まぁ、そうだね。……でも、こうしてまたここに戻ってこれた」
「そうねぇ」
悪意も、策略も、意味もなく駄弁る。
それはずいぶん久しぶりで、泣きたくなるほど懐かしい空気だった。私と英智の間に、一番最初に流れていたものだ。
進展も停滞も、ここにはなく。ただ、あるのは……穏やかな日差しと、彼の夢のかけら。純粋で、とっても弱い灯だった。英智が後から付け足した業火に呑まれ、消えたと思っていた。
「英智、今日は何するの」
「うーん……そうだね……と悩むのも一興だけれど」
彼はやさしく、私の手を取った。いつもなら抵抗してしまう私も、今日はなんだか出来ない。いや、したくないと思ったのだ。彼に連れられるままに、木陰へと入りこむ。
「実はもう、決めてあるんだ」
「……それ……!」
「うん。……やっと、約束が果たせると思ったんだ」
彼が取り出したのは、楽譜だった。
誰でもない、私の手によって渡したもの。
「名目上は歌の練習だけど、そうじゃない。――名前、どうか僕の目を見てほしい」
「英智……」
「そう泣きそうな顔をされると、困ってしまうよ。……やっぱりもう、僕じゃこの歌は歌えないかな」
レオの楽譜だ。
私の大事な人に、歌って貰えと渡された楽譜。普通科の私は完全にそれを持て余し、そのまま使い道をうしなうと思っていたけれど……あの日、英智を助けたことで、楽譜の行き先を見つけた。
その後、結局私と英智は道を違え、また楽譜は行き先を失ったと思っていた。
けれど今は……。
「ち、違うの……ちがう。嬉しいの」
「本当に?」
「ほんとに決まってるでしょ! 私、二年間待ったんだから! ちゃんと最高の曲にしてくれないと、いや。私だけの曲にしてくれないと、いやだからね?」
ほろほろと涙が零れ落ちる。でも何とか笑顔を見せたくて、口の端を上げて微笑んだ。英智は少し驚いた様子で私を見たけれど、やがて彼の親指が、優しく私の目じりを撫でた。
「これは君の歌だ……僕が、名前に捧げる為の。……やっと、君の前で歌える。泣きたいのはこちらなんだけどね」
「えっ、英智も泣いたりするの……?」
「こらこら、僕を何だと思っているんだい」
英智は苦笑した。なんだかその顔は無性に好きだと思えて、ごく自然に私は英智の手に頬を寄せた。彼はまた、驚いた顔で私を見るものだから、ちょっと面白い。
「あはは、今日の英智はコロコロ表情を変えるなぁ」
「それは……君のせいって自覚はあるのかな?」
「あるよ」
に、と英智を見据えて笑う。ずいぶん気持ちが軽くて、ああ、今ならなんだって言えると思えた。
だからだろうか。私は、もっと彼の表情が見たいことを、認めることが出来たのだ。だから、……だから、
「ねぇ、英智。良いこと教えてあげようか」
「なんだい、またからかうつもりかな?」
彼の軽口も心地よい。なんの気負いもなく、次の言葉は滑り落ちた。
「好き」
「……え?」
「貴方が好き」
ざぁ、と風の音が響いた。
日の光は柔らかく、包み込むような温かさ。けれど、英智の頬は赤かった。たぶん、熱で倒れこんでいたあの日よりも、ずっと。そんな気がした。
「……驚いた。君は、負けを素直に認めてくれる訳かな?」
「認めるよ。それとも、英智はもう私は好きじゃない?」
「っ……」
「……良かった。セーフみたいね?」
言葉に詰まる英智なんて初めて見た。途端になんだか恥ずかしい気持ちが湧いてきて、つい軽口のようなことを言ってしまう。自分の頬も、赤くなっている気がしてならない、なんてぼんやりと思っていたら。
「うわっ!?」
突然、英智に手を引かれた。抱きしめられている訳でもない、けれど後頭部に彼の少し体温の低い掌を感じられた。唐突すぎて、順番に理解をしていった私が、最後に出した回答は一つ。
「え、英智っ……まっ、待って……」
「待てないよ……大体、君が強情を張っていなければ、僕はこんなに待たなくても良かった。そうは思わないかな?」
「ひぇぇ」
既に英智はいつもの調子に戻っている。冷や汗をかく私と、余裕の表情で笑う英智。最近いっつもこういう構図だったことを思い出す。
「痛い目、見てもらおう。僕らには、その約束もあったからね」
「うっ……うう、悔しいけど、でも」
ちょっと嬉しい、かも。
そう呟いた私の声は、すぐに英智の唇に塞がれてしまった。
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