‖茶屋にて 「いらっしゃい。って、名前じゃん」 「えへへ……ごちそうになりにきました」 ひらりと紺色ののれんを上げると、中から涼やかな声が名前に向かって飛んできた。この茶屋兼飯処の店主・泉の声だった。 彼はこの茶屋を一人で切り盛りしているのだが、店員一人に比べ、毎日客は大入りだ。これもひとえに、彼の料理のうまさで惹きつけられる紳士たちと、彼の美貌に引き寄せられる淑女たちのおかげだろう。 煉瓦街にしては珍しく木造の建物なのだが、みな居心地よさそうに店内で食事をとったり、お喋りしている姿が見えた。 「ま、いいけどねぇ。さっさと座りなよ、そこにいつまでも立ってたら、売り子やらせるからねぇ?」 「昼休みあと一時間しかないけど、食べたらやるよ」 「え、本当に? ずいぶん殊勝な心掛けだよねぇ、感心感心……♪」 「毎日ごちそうになってるし、これくらいはね」 貧乏な勤め人の名前にありがたいことに、泉とはあるご縁があって、毎日昼ご飯を奢ってもらえるような親しい間柄である。 「えっと、でも席が埋まってるなぁ。どうしよ、団子でも頼んで立ち食いとか……」 きょろきょろと店内を見回していると、ばちっとある人物と視線があった。 「おお、名前! 席を探してるなら、俺の正面に来ると良い! 相席でよかったら、だがな!」 「あ、千秋。ありがとう、お邪魔するよ」 「ああ!」 誘われるまま、警官服を着た青年の真ん前に座る。 彼は、この煉瓦街の巡査派出所に勤める警官の一人である。守沢巡査、と街の人々からは呼び親しまれている。 「千秋、今日はもう交代の時間なの?」 「いや、まだだ。ちょうど俺も昼休みの時間でな。巡回がてらに飯を食おうと思って、ここに寄ったんだ」 「そうなんだね」 「名前も、相変わらず泉の店を贔屓にしているんだな!」 「あはは。というか、ここ以外に行きつけとかないよ。お金ないし」 「巡査の薄給でも食えるからなぁ、ここは!」 千秋もまた、泉の店の常連だった。 ここは煉瓦街で勤めるいろんな人物が集まるので、いろんな職種の人物が見れてなかなかに面白くもある。今日だって、千秋と相席したおかげで、煉瓦街で起きたここ最近の事件を知ることができるのだ。 「最近、なぜかまた妖怪が流行りでなぁ。何でもかんでも、新聞屋は事件の犯人を妖怪だと書き立てるものだから、少々困ってるんだ」 「へぇ……なんでまた、今になってあやかしが?」 「結局、何でもかんでもあやかしのせいにすれば、大した情報がつかめなくても記事が書けるから……とかじゃないのぉ?」 どうやら客の入りも減ってきたのか、泉が千秋と名前の机に寄って雑談に参加してきた。 千秋はうんうん、と泉の意見に頷いている。 「難しいことは俺にはよくわからないんだがな。鬼龍や蓮巳などは、不謹慎だと怒っているぞ。ま、人間の悪事をあやかしに押し付けるのは、俺もどうかと思うがな」 「悪いことしたやつは、人間だろうがあやかしだろうが、さっさと捕まえてちょうだいよねぇ。俺みたいな一般人は、物騒なこととかゴメンだからさ〜」 「そうだよね。ここはそこまで都会じゃないけど、銀座の方とかに出れば、もっと危ないって聞くし」 一般人二人の凡庸な感想だったが、千秋は楽しそうに笑った。 「心配するな! 煉瓦街の平和は、ヒーローが守ってやろう!」 「ひぃろぉ?」 泉が怪訝な顔をして首を傾げた。 「英雄、って意味でしょ? 外来語よ」 「そうだ! なんだか良い響きなのでな、最近俺は多用してるぞ!」 「外来語なんて、好きじゃないんだけどぉ」 「ははは、泉は京の人間だからな! 古いモノのほうが好きなんだな?」 「まぁね〜。けど、俺も東京にいるわけだしねぇ。いつまでも選り好み出来るわけじゃなさそうだよ」 「京のはんなりした喋り方、泉がするの? うぷぷ」 「うわぁ。その笑い、チョ〜腹立たしいんですけどぉ」 江戸が終わって早数十年。けれど、意外にも東京には、目立たない場所に江戸の風貌を残していた。 東京に来て数か月たつが、煉瓦街にはまだまだ昔の面影がたくさんある。木造の茶屋、新聞屋の妖怪話、由緒正しい名家の女中仕事……。 昼のひと時の雑談は、いつも通りに進んでいく。名前は仕事場へ、千秋は巡回へ、泉は使った皿の片づけへ。みな、昼のうちに為すべきことを為し、今日もつつがなく一日は回っていくのだった。 [*前] [次#] [戻] |