アイスに舌鼓をうった後、桃李くんを引き連れて迷子センターへ行った。おいしいモノを食べて元気が出たのか、ちゃんと自分の足で歩いてくれて何よりだ。
さて、桃李くんとはぐれないように手を繋いで迷子センターへ入ると、そこには一人の青年がかなり動揺した様子で立っていた。前髪は短めに切られ、清潔感の漂う紺色の髪。切れ長の瞳は、普段はもっと落ち着いた色をしているだろうに、今は動揺のせいか頼りなさげな印象が目立つ。その目元に泣きぼくろがあるのに気づいた。動揺していることにはしているのだが、姿勢はきっちりしている。
……まさかこの人も迷子なのだろうか? また高貴なる迷子その2とかかなぁ、なんてぼんやり考えていると、隣の桃李くんが、
「あっ! 弓弦!」
と叫んだ。
「あ、知り合い?」
「は? あいつが『奴隷』だよ!」
「ええええ!?」
全然『奴隷』って感じじゃない見た目! まぁ逆に『奴隷』っぽい見た目ってなんだよって言われたら返答に困るけども!
「坊ちゃま! 今までどこを歩いていらっしゃったのですか!?」
「うげぇ……やめてよねお小言は!」
「これが小言を言わずにいられましょうか。あれほどわたくしの時計など構いませんと申しましたのに、なぜこのような場所に行かれようなどと……」
滔々と流れ出てくるお説教の言葉だったけれど、あまりにも優雅で美しい日本語ばかり流れてくるのでうっとりしてしまいそうだ。これで怒られても、私なら内容が耳に入ってこないな……。
という至極他人事な感想を浮かべていると、ふいに『奴隷』さんがこっちを見た。
「失礼します、そこの貴方様」
「……あっ、はい!」
「もしや、坊ちゃまが多大なるご迷惑をおかけしたのでは……」
「あ、全然平気です! 明日筋肉痛になりそう以外の被害はありませんし!」
「ちょっと千夜っ! しーっ!」
「坊ちゃま? まさかとは思いますが、このお方を足になされたのではりませんね……?」
ズゴゴゴゴ……と背景音が聞こえてきそうなほどの迫力の青年に、あれだけ偉そうな態度をとっていた桃李くんでさえも「ひっ!」と叫び声をあげていた。
このまま美青年の美声による美しい説教を延々聞くコースかな、とか思っていたのだけれど、彼が携帯を取り出しどこかへかけた。すると数十秒後、とっても怖いスーツのお兄さんたちが現れ、あっという間に桃李くんを連れて行ってしまった。
……え? 誘拐とかじゃないよね、これ? 大丈夫だよね?
という私の表情を察したのか、『奴隷』さんがこちらに向き直り、恭しく一礼。
「申し遅れました。わたくし、先ほどのクソガキの使用人をしております、伏見弓弦と申します」
「あ、どうも……うん?」
いまクソガキとか聞こえたような。聞き間違いかな。こんな丁寧な喋り方してるくらいだし。
「不躾とは存じますが、貴方様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい。えっと、日渡千夜って言います。桃李くんとは、ついさっき自転車置き場で会いました。迷子だったみたいなので、ここに連れてきたんですが……」
多少のフェイクは挟んでいる。
桃李くんに「『奴隷』と会ったら、アイス食べたことは内緒にしてね!」と言われたのだ。こんな好青年に嘘をつくのは忍びないが、友達との約束のほうが優先だ。
「ああ、本当にありがとうございます。うちの坊ちゃまは、甘やかして育て過ぎたせいなのか、かなり奔放なきらいがございまして……参ってしまいますね」
「あはは、でも子供は元気なのが一番ですよ。なんだかんだで、桃李くんも貴方のこと心配してましたから……あんまり叱らないであげてくれると、他人ながら嬉しいというか……」
「坊ちゃまが、わたくしを?」
きょとん、とした顔でこちらを見てくる伏見さん。おや、どうやら全く心当たりがないという顔つきだ。……まぁ、桃李くんのあの性格じゃ、素直に心配したとか感謝してるとかは、言えないんだろう。
「そうですよ。件の壊れたって時計も、『ボクのペットが壊しちゃって……あれ、確かお父さんからのプレゼントって言ってたしさ、このままじゃかわいそう……』って言ってました。修理代も、自分のお小遣いから出してましたし。桃李くん、本当にやさしい子なんですね」
「なんと……坊ちゃまが、そのようなことを……」
ほう、とため息を一つつく伏見さん。けれどそれは落胆ではなく、感嘆に近いものだとわかった。
しかも、あんまりにも嬉しそうな目をしているから、ちょっとギャップを感じられて可愛く見えてしまった。
「……なんだか伏見さんって、お兄ちゃんみたいですね」
「え?」
「なんか今のため息も、弟の成長を見て感動してるお兄ちゃん! って感じして。桃李くんが羨ましいな〜って思ったんです」
主人と使用人という関係だ、血縁関係はもちろんないだろう。
けれど、桃李くんの言葉と伏見さんの表情で、まるで兄弟だなぁと感じられたのだ。それほどの絆は、中々他人同士では見受けられないだろう。
「まさか、坊ちゃまの兄など……とんでもございません。けれど」
「?」
「そのようにわたくしと坊ちゃまを見てくださる貴方も、なんだか姉君のようでございます」
「えっ、姉!?」
え、誰の? 桃李くんの?
伏見さんの……なわけないか。どう見ても私より年上だ。
頭にはてなマークを三つは飛ばしているだろう私を見て、伏見さんは優雅にくすくすと笑った。
「日渡さまは、ネクタイの色から察するに……夢ノ咲の二年生さんですよね? わたくし、高校一年生ですので。坊ちゃまから見ても、わたくしから見ても、姉君になりますね」
「えっ、え!? ふ、伏見さん、年下なんですかっ!?」
全然見えない! 大人びた口調、しぐさのせいだろうか。素直に驚いていると、彼は楽しそうにうなずいた。
「いやぁ……もし伏見さんみたいな弟が居たら、確実にダメな姉になっちゃうだろうなぁ」
「そうでしょうか? ずいぶんと自立した印象を受ける女性だと思っておりましたので、その心配はございませんよ。きっとね」
「そうかなぁ? ……って、あれ!?」
あまりにも自然な流れでお喋りしていたので、うっかり失念していたけれど。
思わず自分の格好を見直した。青いネクタイ、ブレザー、スラックス。黒髪のウイッグ……。
「男子生徒の格好してたのに、なんで女って分かったんですか!?」
「……ああ、すみません。観察していましたら、もしや女性の方では? と感じたので、そのまま女性としてお話していました」
「えーっ……ウイッグとかつけてても、分かるものなんですかね?」
だったらあんまり、男装の意味ないんだけどな。
まぁ最低限、アイドル科の棟に入れればいいだけなんだけど。受付を一瞬通るためだから、そこまで細部にこだわる必要もない。
伏見さんはふむ、と腕を組んで言葉を続ける。
「いえ、見た目は完璧に男性のそれです。ですが、今はあまり意識して喋っていらっしゃらなかったのもあるでしょうが……声がやさしい感じがしましたから。あと、所作も女性的な部分が見られました。あと、やはり高校二年生にしては背が低い、というのもあるでしょうか?」
「な、なるほど……背はしょうがないにしても、まだまだ改良の余地があるって感じか……」
声はともかく、所作か。なるほど、盲点だった。
男性的な動きっていうのも、知らないといけないようだ。宗は外見を繕ってくれるけれど、内面は私が何とかしないと意味がない。
「日渡さまは、何か事情があってアイドル科にご入学を?」
「あ、違うんです。ほんとは普通科なんですけど、アイドル科にいる幼馴染のお世話をするために、こうやって男装してアイドル科に潜入してるんです」
「なるほど。日渡さまもまた、誰かにお仕えするお方だったのですね」
伏見さんが少し嬉しそうに言った。
いや、お仕えというほど大した事はしてません。
ペンを渡したり携帯を拾ったりお弁当を届けたり。まったくもって雑務です。またの名をパシリと言うんじゃないかと、最近気づいてきた。
「実は、今度坊ちゃまは夢ノ咲に入学されるご予定でして」
「あ、聞きました。アイドル科って」
「ええ、そうです。わたくしも、坊ちゃまに伴って転校する予定なのです」
「そうなんですか! あっ、科は?」
「おそらくは、坊ちゃまと同じアイドル科かと」
「へぇ、そうなんですか! じゃあ、来年は桃李くんとだけじゃなく、伏見さんとも会えるかもしれませんね」
「ええ、きっと。……わたくしもそれを願っております」
話が一区切りついたことを示す様に、ぴろん、と伏見さんの携帯の通知が鳴った。「失礼」と言って彼が携帯の画面を確認する。
「坊ちゃまが帰られたようなので、わたくしもそろそろ屋敷に戻らねばならないようです」
「そうですか。ちゃんと桃李くんが帰れてよかったです」
どうやらそろそろ、この不思議な主従ともお別れのようだ。
ただの自分へのご褒美のつもりが、妙なご縁を生んだなぁ……なんて思った。
「お話しできて楽しかったです! じゃあまた……」
「お待ちください。坊ちゃまを保護していただいたお礼を、まだ果たせておりませんので……どうぞ、こちらを」
「え? ……これは」
一枚のメモを渡される。
思わず伏見さんの顔を見ると、少し照れくさそうに彼がはにかんでいた。
「わたくしのメールアドレスです。何かお困りの際は、ぜひわたくしにお力添えさせてくださいませ。所作などでしたら、お教えできましょう」
「あ……ありがとうございます! あっ、私のメアド……」
「頂けるのですか?」
「もちろん! ちょっと待ってくださいね」
私も慌ててメモを取り出し、メアドを書き付けてページをちぎった。そっと差し出すと、伏見さんは律義にお辞儀をし、両手でそれを受け取ってくれた。
「ありがとうございます。では、何かありましたら遠慮なくお申し付けくださいませ。今日の貴方様の筋肉痛の代償は、不肖の主に代わり、わたくしめがお支払いいたしましょう」
「あはは。じゃあ、帰ったらメール送りますね! ありがとうございます伏見さん、ぜひ所作とか教えてもらいたいです!」
「ええ。……ああ、それと」
わたくしのことは、どうか弓弦とお呼びください。
そう美しく微笑み、一礼して去っていく伏見さ……いや、弓弦くん。別れ際まであまりにも優雅なひとで、なんだか現実味がない。
スマホに彼のメアドを打ち込み終えたところで、私はようやく、この今日の不思議な出会いを、現実へと変換できた気がした。
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