「何を怒っているんだ」
「――どこぞの誰かのせいで、一時間以上外で突っ立ってたんだよ。お陰で身体が冷えた」
綾乃は身震いしながら身体をさすった。
校舎から外に出ると、とっぷりと日は暮れていて、風が肌に触れると痛いほど冷たかった。
そんな中で待たせていたのを申し訳なく思った湯川は、持っていたマフラーを綾乃の首に巻いた。
「わ、悪ィ――」
「待たせてすまなかった。栗林さんが最近ずっとあの状態でね。ろくに外出もできなくて困っている」
「あの人研究の為とか言ってるけど、半分以上私怨だろ。バレンタインなのに自分は貰えないから」
湯川の軟禁は、栗林のバレンタインの嫉妬が絡んでいるだろう。あれだけ目をギラギラさせて湯川にチョコレートを渡すまいとしている栗林を思い出すと、綾乃は虚しくなった。
「そもそもバレンタインデーとは男女の愛の誓いの日だ。彼には妻子がいるのだから、そんなものに嫉妬しなくてもいいはずだが」
湯川は不思議そうに首を傾げた。
「日本ではチョコレートを女性が男性にあげる風習になってるじゃん。周りに貰った数がステータスになって、自分の魅力を誇示できるからな。先生みたく」
「栗林さんはそれに嫉妬してるだけ。大人げない」綾乃は最後にそう付け足すと溜め息をついた。
「僕はそんなつもりで、プレゼントを貰っているわけではない。ただ、くれるというのなら貰わないのは迷惑だろう?」
「――そう言って去年はいくつ貰ったんだよ」
「覚えている限りでは、五十六個だ。ほとんどがチョコレートだったので、ゼミの学生達に処理するのを手伝ってもらった」
しれっと答える湯川に綾乃は苛立ちを覚えた。もし自分があげたとしても、そんな風に扱われると思ったからだ。
「はー、モテる人は大変ですね!毎年そんなに貰ってるなら、私のなんていらな、」
「それは駄目だ」
「は?」湯川の予想外の答えに、綾乃は足を止めた。動かなくなった綾乃の前に湯川は立つ。
「綾乃君のは欲しい。たくさん貰うのが駄目だというのなら、今年は誰からも貰わない。それだけ、君から貰う事に価値があるのだから」
何を言い出すんだこの男は!綾乃の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。
「な、なんで!?」
「……強いて言えば。綾乃君の作る手料理は、僕の口に合わなかった事がない。だからチョコレートもそうだろうと思っただけだ」
「なんでっ、私がお前に!手作りなんかっ」
「君の性分なら、何千円もするチョコを渡すはずがないのは僕にもわかる。そこまで浅い付き合いではないだろう」
これ以上ない程赤くなる顔を見られないように、綾乃は下を向いてマフラーで顔を隠す。マフラーからは湯川の香りがした。
――そんな言い方、卑怯だと思った。
さっきまで苛立っていたのが嘘のよう。嬉しさで胸がいっぱいになった。
「……本当に、誰のも貰わないわけ?」嬉しいのを隠すように綾乃はつっけんどんに言うと、湯川は口角をあげる。
「君から貰えるのなら、約束しよう」
「じゃあ、約束な!すごいのやるから覚悟しろよな」
「楽しみにしている」
二人はまた、歩き出す。湯川はにやける顔を見られないように少しだけ綾乃の前を歩くのだった。
バレンタインまで、後二日。