ばたんと、扉の先から音が聞こえて、延朱が何事もなく戻ったことを教えてくれた。
 貰ったチョコレートを手に僕はリビングに戻った。
 この部屋は、一言で言うとショールームのようだった。彼の部屋意外はほとんど使った形跡はなく、まるで生活感が感じられない。僕が少し掃除しただけでこうやって綺麗な部屋になった。
 ただただ広い部屋の真ん中のソファーに僕は深々と座った。
 僕はどうして彼女を誘ったのだろうか。
 隣に住む年端もいかない少女が、まともな食事を摂っていないことが気になったのだろうか。
 普段の僕であれはそんなことで手を差し伸べることはなかったはずだ。隣人との交友関係なんてものはあり得ないものだと思うし、そもそも他人とは必要最低限でしか関わりあいたくなかった。
 僕はこの世にいなくても良い人間なのだから。

 ――なら、僕は、どうして延朱を誘ったのだろう。

『食べるってことは、生きなきゃいけないってことだから――私なんか食べなくても……』

 諦めたように呟いた彼女は、まるで僕を見ているようだった。
 全てを失って、絶望して、自堕落に、何の希望を持たずに、ただ毎日を過ごすだけ。生きていても死んでいるような生活を、僕はこの先ずっと続けていくのだろう。そして、彼女も同じなのだろう。
 ――ああ、そうか。僕は思わず笑っていた。
 どうして彼女を誘ったのか。簡単なことだった。僕は彼女と傷を舐め合いたかっただけなのだ。
 直感的に同属だと決めつけて、同情しあって、彼女を哀れんで、僕自身を哀れんで欲しかったのだ。
 そうすれば少しでも生きている意味が軽くなる。そう思ったのだ。
 確かに一緒に居て気分は軽くなることができた。ただ、僕にとって限りなく甘く優しい時間だった。
 他人との繋がり。独りではないことの幸福。似た者同士の空気感。
 全てがどうしようもない程に心地よくて、一緒に居るだけで僕の存在する理由さえもが生まれてしまいそうになって。
 それだけはあってはならないのだ。僕はこれ以上何を望むことも許されない罪人なのだから。
 これ以上、彼女と接するのは避けた方が良い。罪を背負った僕が、これ以上生きることに対して希望を抱くことは更に罪を重ねることと同じなのだから。
 僕はソファーに寝転んで目を閉じた。真っ赤に染まった部屋で、今でも愛する人が微塵も動かない瞳で僕を見上げている姿が鮮明に思い出された。膨らんだ腹は裂け、中からは見えるはずのないものが赤い血と共に溢れていた。
 思い出した記憶を拭う為に僕は片手で顔を押さえながら固く目を閉じた。目の前にあった光景は消え、黒い世界が広がった。
 僕の手にあった物が甘い香りを放っていた。握りしめていたせいで中身が少し溶けてきてしまったのだ。
 包みを拡げると、案の定チョコレートは柔らかくなっていた。
 延朱はとても律儀な少女なのだろう。玄関に行くまでのことを思い出す。
 夕食を終えてから、断っても断っても、何かお礼をするとの一点張りだった。それでも僕が頑なに拒んだのでこのチョコレートをあげることしか手はなかったのだろう。そうじゃなかったらこんな物をくれるだなんて発想はそうそう出てこないだろう。
 そう考える捨てるのも申し訳ない気がして、僕はそれを口の中に放り込んだ。
 甘い香りと味が口一杯に広がる。同時に、先程まで一緒にいた少女を思い出してしまっていた。

「――関わらないって、決めたはずなのに」

 未だに治りきらない腹の傷が、息をする度に傷んだ。それはまるで胸の痛みにさえも感じられたのだった。


|


TOP
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -