瞳の奥のあなたを 前編
晴れた日だった。
その季節にしては暖かく、鳥がさえずる穏やかな午後。
ずっとこの時間が続けばいいとさえ思った。
……それはあの、忘れもしない事件が起こる、5分前の話。
何が起こったか分からなかった。
そもそもの発端は……そう、野良猫だ。
道路に飛び出した野良猫が昔飼っていた猫に似ていて、思わず私もあの後を追ったんだ。
無事に道路の向こうまで猫を送り届けて、車が止まってくれたのを確認してから彼の元に戻ろうとした。
「……ナマエっ!!!!!」
彼には珍しく必死な声が聞こえたと思った瞬間。
その止まった車の後ろに、トラックが突っ込んだ。
いわゆる、玉突き事故。
トラックの運転手とその前の車の運転手は死亡。
私は……無傷だった。
「……ルーファウス?」
事故直後の喧騒の中、私の声がぽつりと頭に響く。
目の前には頭から血を流した、愛おしい恋人の姿。
白い肌と髪を塗りつぶすように、額から地面にぼとりと深紅の滴が落ちた。
それからは、よく覚えてない。
どうにか一緒に救急車には乗ったらしく、クッション性のないベンチに座りながら様子を聞けば、彼が私を庇った、と。
涙は出なかった。
多分、信じられなかったんだと思う。
無事に治療が終わったのは良いものの、彼は3日間、目を覚まさなかった。
「……ナマエ、そんなに気を落とすなよ、と。」
ぼーっと彼の顔を見つめていた私に、レノが憐れむように呟いた。
「うん、大丈夫。
彼はきっと、目を覚ましてくれる。」
「勘違いするなよ、ナマエ。あんたは何も悪くねえからな。」
ううん、違うよ。私が悪い。
そもそも猫を追った時だって、彼の心配そうな視線には気付いてた。
それを見てないフリして飛び出していったのは、私だ。
「うん。分かってるよ、レノ。
ごめんね、あなたたちの大切な社長なのに。」
笑って見せた私の髪を撫でて、レノが泣きそうな顔をする。
「……分かってるなら、謝るなよ。」
その小さなつぶやきにも、私は聞こえないフリをした。
----------
病室の前、都合のいいときだけ縋る神様に、今日も祈る。
ふう、と息をついて病室に足を踏み入れると、そこにはレノとルード、そしてツォンさん。
見慣れたタークスの面々だ。
彼らは私を視界にとらえると、空けておいてくれたのか、彼に1番近いイスに座らせてくれた。
「目の下に隈が出来ているな。大丈夫か。」
「全然……そんな、ご心配なく。」
「俺がナマエの彼氏でも、社長と同じことしたと思うぜ。
男のサガだ。そう思い詰めるなよ、と。」
「ああ、その通りだ。
社長もナマエのそんな顔を見たくて行動した訳じゃないだろう。」
「うん、大丈夫。ありがと。」
みんなの温かい言葉が、逆に心を刺す。
視線をどこにやればいいか分からなくて、私は未だに閉じたままのその瞳を見つめた。
……あれ?
「ルーファウス……?」
一瞬、その長いまつ毛が震えた気がする。
「うん……?」
その時、ゆっくりその瞳が、眩しさを堪えるように開かれた。
やっぱり、気のせいじゃなかったんだ!
「社長!」
タークスのみんなも、思わず声を上げる。
彼の瞳はゆっくりと周りを見回すように泳いで、それから私たちをとらえた。
「社長、お身体はどうですか?
3日も寝たきりでしたよ。」
ツォンが安心したように小さく笑って、レノやルードもそれにうんうんと頷く。
「……そうか、心配をかけたみたいだな。」
それより、
続いた言葉に、私は目を見開いた。
「誰だ、その女は。」
あからさまに不安げな表情の彼が、私を顎で指す。
「誰って、社長!ナマエは……」
「いい、レノ。」
慌てたように腰を上げたレノを片手で制して、私は大きくため息をついた。
「はーー…………良かった、」
「良かったって……ナマエ?」
「すみません、ルーファウス社長。自己紹介が遅れました。
私、父が神羅カンパニーの武器の下請け会社を営んでおります。
たまたまこちらの病院に社長が入院されていると耳にして、父からご様子を見てくるよう申し付けられたので参りました。」
嘘は、真実を混ぜると信憑性を帯びる。
父が下請け会社を営んでいるのは本当。
全ての業務はうちの会社で請け負っていて、私はいわゆる社長令嬢。
彼と出会ったのも、故神羅社長主催のパーティだった。
失礼します、と頭を下げて、足早に病室を後にする。
良かった、ほんとに。
私のことは忘れちゃったけど、それ以外はどこも問題は無さそう。
これなら、彼は今まで通りきっとやっていける。
……ただ、私が居なくなるだけ。
「ナマエ……ナマエ!」
がしっと掴まれた腕に、はっとする。
「レノ……?」
随分長く追いかけてきたんだろう、少し息が荒い。
「ルーファウス……社長のもとにいなくていいの?」
「こっちのセリフだぞ、と。
お前あんなんで飛び出してきて、良いのかよ。」
「うん、良いの!もう私を忘れちゃったルーファウスになんて興味ないしねー。」
ふふん、と鼻を鳴らした私の目元を、レノが親指でぐいっと雑に拭った。
「だったらどうして、お前は泣いてるんだよ。」