船は蒼海をゆったりと進んでいる。
バウルは船からロープを外され、上空を漫遊中だ。
甲板で海を見ているのはカロルとエステルとジュディス。ユーリとラピードは日陰でお昼寝。他二人は船室に閉じこもっている。

「きれいな空ですね」
「気持ちいいね」

エステルののほほんとした呟きに、カロルがのんびりと答える。気持のいい午後だった。
ふと、ジュディスは地平線にぽつりと浮かんだ黒い影を発見した。

「あら、あれは船かしら」
「ほんとだ」

船のスピードは速いようで、瞬く間にそのシルエットが鮮明になった。

「黒い帆?」
「それに、髑髏とバッテンマーク……」
「格好良いわね。私たちもあれ造らない? ボス」

エステルとカロルは船の帆の形に不安を覚える。
ジュディスは見慣れないそのマークが気に入ったようで、そんなことを冗談ともなしにギルドの首領に提案した。

「かっ海賊だぁ!」

叫んだのは舵を切っていたトクナガだった。エステルとカロルも予想的中で仰天する。ジュディスは海賊を知らないらしい。この期に及んで首を傾げているが、とりあえずあまりいい事態でないことは把握した。トクナガの声にユーリとラピードが飛び起きる。

「あの船、こっちむかってるんじゃないか!?」

同じく海賊を知らないらしいユーリ。こちらにすごい勢いで向かってくる船を見つけて訝しげに言った。

「全速退避ー!」

トクナガは逃げようと魔導器のパワーを上げたが間に合わない。あっという間に追いつかれてしまった。黒い帆の船はフィエルティア号に横付けするように船の向きを変え、ロープの付けられた銛を投げ込んできた。
そのロープを伝って続々と船員――海賊が乗り込んでくる。
カロルもエステルも武器を持ち対抗するが、数が数なので追いつかない。とうとう船の舳先がこちらの船の側面にぶつけられた。船が大きく揺れる。

「野郎ども! 根こそぎまきあげちまいなぁ!」

ユーリは目を細めてぶつかってきた船体を見上げた。甲板には、たくさんの男たちに紛れて、赤毛の女性が仁王立ちしていた。――まさか、あれがリーダーか?
一瞬目が合ったような気がしたが、斬りかかってきた三人を間一髪で避けて、一度に跳ね返しているうちに見失った。威勢のいい女の声がときどき投げられる。そのたびに男たちは腹の底から声を出し、刀を掲げた。やはりあの女が頭目だ。

「ちっ、突然人の船に乗り込んできて、行儀の悪いことしていきやがる」
「なにが人の船だってぇ!」

男の一人を弾き飛ばすと、その向こうには腕組みをした女が立っていた。思っていたよりも背が高い。筋肉もついているから余計に大きく見えた。年は二十の中頃か後半といったところか。
鋭い目を不適に見開き、口元には不遜な笑みが浮かんでいる。小麦色に焼けた肌はよく鍛えられており、女性らしい柔らかさを進んで放棄した代わりに強靱な肉体を得ていた。
ふと、周囲から刃物の交わる音がしなくなったことに気づいて、ユーリは視線を走らせる。

「あたしを前にして、よそ見するんじゃないよ」

乾いた音がして、切り裂くような風がすぐ側を飛び去っていった。ユーリはゆっくりと女に目を戻す。女は硝煙の立つ銃口を空に向け、それで良いと笑った。

「ユーリっ」
「エステル!」
「おら、いいというまでそこを動くな」

男の一人に腕を捻り上げられたエステルが引き立てられ、女の側まで連れていかれる。彼女の前に見せつけるように突き出された幅広の刀を見て、ユーリは歯噛みした。

「ごめんなさい。不覚だったわ」

ジュディスが後ろで謝る。腕を捻り上げられたようで、痛いわ、と抗議していた。甲板は全滅だ。だが、船内は。
ばん、と扉が開けられる音が背後でして、やめてよー、と情けない声が続いた。

「んもうっ、気持ちよく寝てたところだったのに! 何するのぉ」
「……おっさんに期待しても無駄だったか……」

ユーリはぐったりと肩を落とした。さらに離しなさいとわめき散らすリタの声まで聞こえてくる。
状況はすでに決していた。ユーリは渋々それを認めると、構えを解いて女に向き直った。

「……これだけ騒がしといて、まさか通りすがりのご挨拶ってことはねえよな」
「はっ、つまらないことを聞くんじゃねェ。あたしらは海賊さ。狙った獲物は、鎖の一つまで飲み込むよ」

男たちの歓声が上がった。ユーリは動揺をひた隠しながら、あくまで表面上は冷静に、女だけに注意を払う。
この状況で虚勢など、鼻息一つで吹き飛ばされてしまいそうだが。

「つまり、海賊ってのは強盗ってことか。それもガキ捕まえて、泡銭取り上げて喜んでるような最下層の」
「あたしらをそこらのつまらねェ輩と一緒にしないでもらいたいね。まあ、実際お前らのねえ懐漁ったところで魚の骨ほどの価値もなさそうだがね」
「期待はずれだったな」

ユーリのからかいに、女はいや、と笑みを深くした。す、と細められた双眸は、血の臭いを嗅ぎつけた鮫のように歪んだ。

「あの女の船を乗り回してる奴の顔でも拝んでやろうかと引っ掛けたが、思ったより面白いもんが掛かったらしいねェ」
「女って、カウフマンか」

となると、この状況の元を辿ればあの賢しい眼鏡の女性に行き着くわけか、とユーリは多少げんなりして納得した。

「後ろのクリティアもいいが、あんたはそれ以上に面白いね」
「さあ、ごく平凡なもんだと思うけどな」
「その態度だよ。このあたしを前にしてその余裕。まったく頭に来るじゃねェか。もう少し慌ててみせるっていう可愛げはないのかい」
「これでも、結構焦ってるぜ。こんな最悪の状況を、どうしたら打開できるか……」
「そんな方法、あるわけねェだろ」

女は勝ち誇ったようにそう言うと、肩に掛けていたローブを脱ぎ捨て、銃を放り投げた。側に控えていた茶髪の男がそれを受け止める。

「あたしに目を付けられて、逃げきった魚は一匹たりともいない。なあ、そうじゃねェか野郎ども!」

そうだとも! 頭の言うとおり! 一斉に男たちは声を張り上げて賛同した。これが彼女の力かと、ユーリは改めて感心する。冗談ではなく、ここから逃げ出せる方法なんてありそうもなかった。
女は腰に吊した刀をすらりと抜いた。見た目にも重そうなそれを、彼女は片手で軽々と振り回してみせる。

「だが、今回の獲物はただの魚じゃなさそうだ。ギガントモンスターほどの手応えは望めないだろうが、楽しませてはくれるだんろ。ん?」
「……好き勝手言ってくれるな」

ユーリは一瞬視線をエステルに走らせる。女はそれを察して、おい、とエステルを捕えていた男に命じた。

「その娘を離してやんな」
「えっ、でもお頭ぁ」
「聞こえなかったのかい」

男は渋々エステルを解放した。エステルは戸惑いながらユーリの方へ向かおうとする。

「動いていいとは言ってないよ」

途端にぴりっと背筋を凍らせるような声が制止を掛け、エステルはその場に硬直した。

「いい子だねェ。そのままでいてくれれば、こっちも手荒なまねはしないよ」
「どうだかな」
「これであんたも、存分に腕を振るえるんじゃないかい?」
「どこがだよ」

ユーリはくいっと顎で後ろを示す。女はん、と唸ってまあいいか、と呟くと全員に人質の解放を命じた。

「あんたたちよくもやってくれたわね――!」
「やめろ、リタ!」

さっそく魔術を発動しようとしたリタをユーリが厳しく止める。もう少し遅かったら、女の刀がなにを切りつけていたかわからない。面白そうに笑っている女を、ユーリは改めて見上げた。

「海賊にも、一対一の戦いに外野が手を出さないっていうルールはあるのか」
「もちろん、あたしの楽しみを邪魔するような奴はあたしの船にはいねェよ」

女は目の色を変えたユーリをつぶさに観察しながら、ほう、とこぼした。

「やる気になったみてェじゃないか。そう来なくちゃな」

ユーリも、女から一秒も注意を離さず隙を窺っていたのだが、どうしても彼女の肌に攻撃を当てるイメージすら浮かべることができずにいた。これだけの威圧感を持っている人間を、ユーリは片手で足りるほどしか知らない。

「これで俺が勝てば黙って引いてもらう……ってのはありなのかね」

二重の意味でほとんどありえないと思いながら、ユーリは訊ねる。女は豪快な笑い声をあげた。

「そんなことができりゃあ、あたしは首を掻っ切って海に身を投げるまでさ!」

男たちがどっと笑った。
ふと口を閉じると、女はすっかり雰囲気を変える。吹き付けるような闘気を纏った女に、ユーリは思わず身構えた。刃を持つ彼女の前で、無防備ではいられなかった。
自然と、二人のために甲板が空けられる。
丸く円を描いたその中で、二人は対峙した。

足を開いて腰を落とし、身体を軽く左右に振りながら、ユーリは見定めようとする。と、女の姿が視界から消えた。女は滑るように間合いを詰め、腕を伸ばす。ユーリの肩を狙って鋭い切っ先が落ちてきた。ユーリはぎりぎりでこれを剣の峰で受け止め、滑らせるようにして勢いを殺しながら後ろに下がる。
速いだけでなく、重い。受け止められないほどではないが、確実にダメージは残る。剣を遊ばせる余裕はなかった。
女は間髪入れずに二発三発と打ち込んできた。四発目に辛うじてつけいる隙を見つけ、考える間もなくユーリは反撃を加えた。カウンター覚悟で繰り出されたそれは、彼女が少し身を捻っただけで避けられてしまった。代わりに、彼女が突き出しかけた刀の刃先の向きが変わり、ユーリの右肩は無傷で済んだ。

ここで引いては攻める機会を逸すると、ユーリはそのまま踏み込んだ。恐れを知らない特効に、女は笑みを浮かべて引くどころか間合いを埋めるようにユーリに詰め寄った。
渾身の一撃が空中で衝突し、激しい火花を散らす。ユーリが足払いをしようとしたと同時に女も足を出しユーリを蹴った。ユーリは舌打ちをして、力一杯刀をはじき返した。よろめいて崩れた重心に従うように自分も後ろへ下がる。
二人の距離は最初に睨み合っていたときの幅に戻った。

海賊たちが雄叫びをあげる。
手に汗握る接戦に、仲間たちは瞬きもできず見守っていた。

「……予想以上だ」
「そりゃ、どーも」

にやりと笑った女に、ユーリもなんとか笑みを返した。だが、これ以上は持ちそうにない。神経を限界ぎりぎりに研ぎ澄ませてなんとか食いついたが、そう何度もできる芸当ではないと、自分の身体が告げていた。
決着をつけるなら早期以外にない。だが、決着を付けたとき飛ぶのはどちらの首だ?

「……あっ!」

そのとき、海賊の一人が空を指して短く叫んだ。その声につられて何人かが顔を上げる。海賊が見つけたものを空に求めている間にも、それは流れる雲よりも速く接近してきて、その陰ですっかり船を覆った。

「うわあっ!」
「魔物だ!」
「……遅いわ、バウル」

ジュディスの呟きに答えるように、その巨大な魔物は高らかに鳴いた。
周りがどんなにうろたえようとも、海賊の女頭はユーリから目を離さなかった。ユーリは女を睨み返しながら、短く叫んだ。

「海に飛び込めっ!」

混乱に乗じて、ジュディスはエステルを捕まえ、リタはレイヴンに引っ張られ、ラピードはカロルをくわえて海へ飛び出した。海賊たちのほとんどは上空を雲のように覆う化物に気を取られているから止めるものは誰もいなかった。

「落ち着け腰抜けどもがァ!」

狼狽える部下たちに、雷のような叱責が飛ぶ。視線が外れた隙を付いて、最後にユーリが海へと飛び込んだ。

「ユーリ!」
「全員いるな」

すぐにカロルたちが側へ泳いで来る。ジュディスはバウルの首に繋がるロープへ手を掛けた。
船の上からは、未だに怒っている女頭の怒鳴り声が聞こえる。自分が怒られているわけではないのに、思わず首を竦めて耳を塞ぎたくなった。

「こら、てめえら!」

うひゃあ、とカロルは海へ潜った。今度は本当にこちらに向けられた怒声だった。ユーリが見上げると、甲板に片足を乗せて女頭が見下ろしていた。

「魔物を使役しやがるとはとんでもねェな! こいつらは海のものには怯まねェが、空を飛ぶ奴は苦手でよォ」

まったく情けねェ、と彼女は背後にいる部下たちをぎろりと睨んだ。

「そこの黒いの! 名前はなんてェんだ!」
「人の名前聞く前にやること、習わなかったのかよ!」
「ああ? なんだって!? イカ墨野郎だってェ!?」
「……ユーリだ! ユーリ・ローウェル!」

変な呼び方をされたからではないが、ユーリはすぐに名を明かした。

「ユーリか! あたしはなまえ! ”暁の鴎”の頭、なまえだ! 覚えときなァ!」

そう言って女頭はユーリに何かを投げつけると、さっと後ろを振り返った。

「おう、野郎ども! 撤収だ!」

なまえの号令が掛かると、男たちは一斉に動き出し、来たときと同じ素早さでフィエルティア号から退去していった。
そうして黒地に骸骨が染め抜かれた帆を掲げた船は、嵐のように去っていった。






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