金蓮の憂い



「纏足って知ってますか?」
 赤い、ヒールの高い、美しい靴。
「ずーっと昔、大陸のどこかの民族で当たり前にあった風習らしいんですけど」
 靴の形に合わせてつま先がすらりと整えられて、足の甲は丸みを帯び、足首が自然にすっと伸びる。
「小さい頃からね、こうやって、足の指を折りたたんで、かかとの骨を砕いて」
 恐る恐る立ち上がると、つま先立ちのような姿勢になる。親指に力が入って、靴に圧迫される。
「小さく、小さく折りたたんで、これくらいの沓を履かせたんですって」
 高価なのだろう、こんなにヒールが高いのに、まっすぐに立っていられる。バランスは素晴らしかった。
「小さければ小さいほど、美しいとされたそうですよ。纏足できなかった女性なんて、醜いからって結婚できないくらいだった」
 ひどいですよねぇ。
 滔々と立板に水を流す如く語り続けていたレンは、私の緊張したふくらはぎを撫で上げて、うっとりと言った。
「そんなことされたら、歩けないだろうに」
 どうやって生活していたんでしょう。
 彼はどうでもよさそうに嘯いて立ち上がると、私の手を取った。
「よく似合いますよ。ゆりか。きれいです」
「ありがとう、ございます」
「こうして着せてみると、思っていた以上にしっくりきます。アサカに化粧してもらいましょうか。お人形みたいになるように仕上げしましょう」
 レンに手を引かれ、恐る恐る一歩、踏み出す。体重の掛け方がわからず、足首がいやな角度で曲がった。
「おっと」
 思わずレンの手をぎゅっと握ってしまう。
「ごめんなさい」
「そんなに掴まれたら痛いじゃないですか。歩きにくいですか?」
「いいえ……」
 彼になるべく頼らないように、自分の足に力を入れなおし、体勢を立て直す。
「はい、一歩ずつ、ゆっくりと。右、左。右、左」
 歌うように節を付ける彼に急かされるまま、なんとか一歩を踏み出す。かかとに重心を置かず、つま先だけで歩くようにしたらなんとかうまくいった。
「ふふ。まるで生まれたての子鹿ですね。足がぷるぷるしてますよ」
 彼はおかしそうに言って、私の手をとった手を高々と上げる。私は前につんのめり、なんとか保っていたバランスはあっという間に崩れてレンの胸へ倒れこんだ。レンはまるでダンスでも踊っているようなポーズで私を抱きとめる。
「ゆりか。昔の人はどうしてわざわざ、女性の足を砕いたんでしょうね?」
 そして、私の耳元で囁いた。
「こうして、愛する花嫁をどこにも行けないように――自分の元に留めるために、翼を手折ったつもりなんでしょうか」
 ねえ?
 彼は立ち上がろうとする私を離さないように抱きしめたまま、喉の奥を鳴らす。
「どうです? 僕のプレゼントの履き心地は。君の足にぴったりに作ってあるんですよ」
「とても、歩きやすい……素晴らしい、靴です」
「気に入ってくれてよかった! 今夜はダンスでも踊ってみませんか? 僕、ちょっとだけ踊れるんですよ。教えてあげます。簡単ですから」
 ふいに彼の手が緩み、彼は私の肩をとん、と押して後ろへ引き離す。繋がれたままの右手が仰け反った私をしっかりと支え、私はまた彼の胸元へ引き戻された。
 彼の双眸が私を見据える。
 腰に回されていた左手が太ももへと降りる。彼の唇が頬から胸元、腰骨へと降りていく。右手が足首を撫でた。
「ずっと昔に出会えていたら……君にもっと小さな沓を履かせていたのになぁ」
 金糸と銀糸で刺繍した、とびっきりのやつですよ。
 足の甲に落とされた口付けは、自分のものに印をつける行為でしかない。
 主人は彼だ。

 不憫な人。
 翼を折ってしまわなければ、捕まえた小鳥はたちまち逃げてしまうと思い込んでいる。彼もまた癒せぬ傷を抱えた悲しい男の一人にすぎない。
 もしも私があなたを裏切ることがあれば、あなたはこの足を切り取ってくれるのでしょうか。自力で動けなくなった私が息を引き取る最期のときまで、飽くことなく愛してくれるのでしょうか。
 甘美な誘惑だと感じてしまう私もまた、あなたの愛を信じきれない愚かな女なのでしょう。

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