03おもいこみ



「おいクロノー、またかぁ?」
「クエストはもう終わったんですから、いいでしょ」
「そうだけどさ。たまには俺ともファイトしてくれよー」
 どこか呆れたようなカムイさんを振りきって、俺はカードキャピタルを飛び出す。そしてゆりかさんの家に向かう。
「こんちは」
 鍵は開いてるから、呼び鈴も鳴らさずドアを開けて、靴を脱ぐ。ゆりかさんもわざわざ迎えには来ないで、こんにちはークロノくーん、と奥の部屋から声だけ返してきた。
「衣装、新しいのできたんですか」
「そうなの! 見て見て」
「これはまた気合い入ってますね」
 一着作るごとに技術に磨きが掛かって、再現度や着心地がよくなっている。モデルがいいからつい張り切っちゃうんだよ、と彼女は楽しそうに笑う。俺はあれから、彼女の専属モデル紛いになっていた。彼女は今まで作った衣装を引っ張り出してきて、俺に着せては写真を撮る。別に依頼されたわけでもないのに、俺はただ彼女を喜ばせたいだけなんだと思う。
 それに……それに、ただ、単に。口実が欲しいんだ。
「でも本当に……着てくれるの? これ。女の子の……だよ?」
「すっげー作りたいって言ってたじゃないっすか。見事な出来栄えですよ」
「うん……。クロノくんがじゃあ作ればいいって言ってくれたから。いままでで一番、楽しかったよ。これを作るの」
 彼女は本当に、愛おしそうに衣装を撫でる。
 作るのが楽しくて楽しくてたまらないというのが伝わってくる。
「だったら、誰か着ねーと。俺以外に誰か、見つかったんすか?」
「……ううん。依頼は……出さなかったの。サイズ、クロノくんに合わせちゃったし」
「じゃあ、いいじゃん。貸してください。着てきますよ」
 いまさら、スカートの一枚や二枚、どうってことはない。結構奇抜な格好ばっかりしてきたから慣れちまった。ゆりかさん以外見る人もいねえし、問題ない。
「うん。じゃあひとつだけ……お願いがあるの」
「なんすか?」
「毛を、剃って欲しいの」



 風呂場に移動して、ドアの向こうでゆりかさんが着替えているのを感じて、俺の心臓はいよいよやばいことになった。なんで俺は女の人んちの浴室で、パンツとタンクトップ姿になっちまったんだ。アホだろ。アホだろ!
 変な意味じゃねえってわかってるし、ゆりかさんはそんな人じゃねえってわかってる。俺のことなんか、モデル人形か何かだとしか思っていないに違いない。だいたい年下のガキンチョだし、大抵かわいいって言われるし。
 でもだからって、だからってこれはおかしいだろ。
 俺は人形じゃなく健全な男子中学生で、身も心も健康でエネルギーに満ち溢れてる。そんな俺が、大人の女性と、浴室に入るっていうのは、絶対、ヤバい。すでにヤバい。
 だめだやっぱりやめよう!
「クロノくん、入るよ」
「うわっ!?」
 ドアを開けようとしたらゆりかさんがちょうどドアを開けて入ってくるところだった。狭い浴室で、危うくぶつかりそうになる。
 Tシャツにショートパンツ。足と腕がむき出しで、白い肌が露わになってる。
 いっつも隠れていた部分が、無防備に晒されてる。ああだめだ、そういう考え方はだめだ、単に濡れないように着替えただけだっつーのに!
 そもそも、自分で剃れるって言えばこんなことにはならなかったんだ。なんだ、剃ったことねえからやり方がわからねえって。俺は何を期待しちまったんだ。じゃあ剃ってあげる、なんて言われて、単純に喜んでた俺は馬鹿か、幼稚園児か。
「最初にクリームを塗って、これで剃っていくからね」
 ゆりかさんは動揺を隠せない俺にまったく気づかず、俺に椅子に座るよう促す。この人、もはやいかに美しい写真を撮るかしか頭にねえ。そのために被写体を磨き上げることしか考えてねえ!
 俺はこんなにいっぱいいっぱいになってるってのに、それはねえだろ。むごい。むごすぎる。
「冷たいかもしれないけど」
「わっ、くすぐってぇ……」
 ゆりかさんが俺の足を掴み、ふくらはぎへクリームを塗り広げる。ひんやりとして、むずむずする。
「あっ……」
 ゆりかさんの、指が。俺の足を。
 屈んだゆりかさんの足は柔らかそうで、丸みを帯びていて。前かがみになったTシャツの胸元が緩み、中の方まで見え……。
 ってだから! 変なこと考えるな俺!
「クロノくん、毛薄いね。剃らなくても大丈夫だったかな」
「き、きれいに撮りたいっつーから……。だったら妥協すんなって」
「……クロノくん、優しいね」
「はぁ!?」
 ここでそんな微笑むか! なあ!
 それ、ずりいだろ……。
「じゃあ、剃るね。動かないで」
「わ、わかった」
 ゆりかさんは慣れた手つきで俺の足にシェーバーを当てる。クリームごと、俺のすね毛が剃り落とされていく。
 ゆりかさんの手つきは優しくて、まるで撫でられてるみたいだ。毛を剃るって、すっげーへんな感じ……。女の人は、いっつもこんなことしてるのか? ゆりかさんの肌はつるつるしてるし、必要ねえのかな。でも慣れてるし……。まさか、俺以外にも、モデル相手にこういうこと……?
「クロノくん、痛かった?」
「……別に」
 ふいに声を掛けられて、また口に出しちまったかと一瞬焦る。あぶねえ。そろそろ限界かもしれない。
「クロノくん、肌綺麗だね。うらやましいなぁ」
「男に肌綺麗って……」
「変だよね、ごめんごめん」
「つーか、うらやまなくたって、ゆりかさんの方が綺麗だし」
「そんなことないんだよ。ケアはしてるんだけどね」
 彼女は自分の腕を撫でてみせる。思わず手を伸ばして触ってみた。
「……つるつるじゃん」
「も、もう、そんなことないってば!」
「あっそ」
 ゆりかさんは俺の右足を剃り終わり、左足に取り掛かった。少し身を乗り出してきて、俺の足の上に、ゆりかさんの上半身が覆いかぶさる。Tシャツの裾が右足に触って、ヒリヒリした。
 動くに動けず、ぼーっとゆりかさんの作業を眺める。ゆりかさんが腕を動かすたびにTシャツが擦れて、中身が揺れるのが見えた。思ってたより、大きいな……。着痩せするタイプ、ってヤツなのか。
「はい、終わり」
「え、もう?」
 ぼーっとしてるうちにゆりかさんが顔を上げて、俺は夢から醒めたような心地になる。ゆりかさんの手が薄情に離れていっちまって、物足りなさを感じた。
「あとはクリームをシャワーで流してね。上から下に、撫でるようにそっとね。ちょっと寒いかもしれないけど、ぬるま湯がいいよ」
「はい……」
 ゆりかさんはクリームの着いた手とシェーバーを洗おうとして蛇口を捻る。シャワーから水が吹き出した。
「きゃっ」
 水はゆりかさんに掛かる。ゆりかさんは慌てて蛇口を閉めたが、かなりの量を浴びてしまった。
「あちゃー、やっちゃった」
 俯いていたから、頭と背中側に水が掛かった。背中側のTシャツが透けて、肌に張り付き、下着がくっきり浮き出ていた。
「クロノくん、掛かっちゃった?」
「いや、大丈夫っす……」
「私も着替えてこよう。クロノくん、後でね」
「……はい」
 ゆりかさんがドアを閉め、浴室から遠ざかっていくのを聞いて、深く、息を吐いた。心臓、すっげえバクバク言ってる。
 もう、ダメだ。
 俺、これ以上無理。
 ゆりかさん。
 あんたが欲しくて、たまらねえんだ。
 あんたは俺が、着せ替え人形なんかじゃなくて、一人の男なんだって知ったら。
 受け止めて、くれんのかな。

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