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 最大心拍数





走って走って

走って走って走って
ひたすら走って

息ができなくなって
心臓が1分間に193回拍動したのを自覚する、その瞬間

『もう、知らねぇよ』

同時に浮かぶ灼けた空と、
鳩尾から響く声

(俺だって、しらないよ)

そういえたならと、
     思って  もう






「紀田くん紀田くん。みてみて、うさぎさん」
「……嫌味ですか」
「ううん、お礼です。」
「相変わらず嫌な奴だなアンタは」
チッとわざとらしく舌を打って、紀田くんがお皿に飾った林檎彫りのうさぎさんをお口に放り込んでしまった。
ひどいと口を尖らせると、今度はシャリシャリシャリシャリ音を立てて咀嚼し始めた。よくあるリンゴのうさぎさんをくれた優しい紀田くんに心ばかりのお礼だというのにあまりに素っ気ないじゃないか。今夜はうさぎさんに鍋の具材にされる夢でも見ればいいと思う。
「紀田くんも嫌な奴になったよ」
「あんたに嫌な思いさせれてんなら褒め言葉っすねソレ。あざす」
「……紀田くん、ちょっとおいで」
「……なんすか」
「…………」
わかってるくせに。
さっき林檎を彫った指先で、紀田くんの頬を撫でる。背が高くなったと、思ったのはこれが初めてではない。再会して紀田くんが気まずそうに自分から目を逸らした瞬間、不意にとなりに並んだとき、紀田くんの息が飲み込まれる度に、幼かったはずの少年の成長を感じて胸が痛くなった。今も、すこし だけ。
2年、長かったと思う。
自分にとっては一仕事終えた後の長期休暇程度のあっけなさだった気がするけど、事実は恐ろしく残酷だ。
18才へ成長を遂げた紀田くんは、俺が久しぶりと笑いかけた直後容赦なく顔にグーでパンチを入れてきた。紀田くんがそんな凶行に出たことにまず驚いたし、避けれなかった自分にも驚いた。でも一番目を白黒させることになったのは、「ばか!」と罵声を浴びせられながら少女漫画よろしく思いっきり抱きしめられたことだ。
自分の胸で泣き出す少年に、目頭が熱くなったことなんて誰にも言うつもりはない。だってあれはたぶん、いや確実に、自分の罪悪感を薄めるための自己防衛手段でしかなかった。
自分はあのとき、紀田くんに会うより早く会いに行ったやつのことを、自分を忘れて人間じみたしあわせを謳歌していた化け物のことを、あんなやつにきずつけられたじぶんのやわすぎたかんじょうせんを
見たくなくて、見なかったことにしたくて、
見つけた都合の良い存在に、都合の悪い感情をぜんぶまとめて転嫁しただけなんだ。
「…は、いざやさん……ん…」
重ねた唇に、最近は恐る恐るだけど舌で応えてくれるようになってきた。りんごのあじがする。あまい、あまい。紀田くんとのキスはあまいばかりでいつもどこかむずかゆい。8才も年下なのだから、それはまぁ可愛いキスになるのも分かるんだけどさ、なんていうかこう、こう
「……臨也さん…?」
「……え?」
「……パンケーキいります?」
「いる、いちご、あるよ」
「生クリームもお願いしますね」
「はーい」
……拗ねちゃった。
そう、あの、ううん。慣れない。慣れない、気恥ずかしい……!
キスの最中に考えごとしてて分かりやすく拗ねられるだなんて初体験でどうしたらいいかわかんないよ紀田くん。頬が火照る。ドキドキする。心拍数が、急にー…あ、これはだめだ。だめ、だめだっつってんのに。

『もう、』
「……ーーッ」

「臨也、さん」
「ッ、ぁ」
「いざやさん、大丈夫、ですよ」
「……え?」

おちる、に、重なるようにあったかいがきた。抱き締められてる。
背が伸びたから、耳元に声が響く。鳩尾から響く声より、はやく心に届いたみたい。薄く冷えた空気が、やわらかく熱を帯びていく。
「大丈夫ですよ、俺がいます。俺には、アンタが、臨也さんが必要です。」
「は、っ…はぁ、は…っぅ、ッ」
「臨也さん、臨也さん、ずっと待ってました。探してました。どうせあんたにとっては一瞬だったんだろうけど、俺には長くて仕方なかったです。ねぇ臨也さん、臨也さん、俺にはね、アンタが必要なんです。」
「ハ…ぁ……っ、……、……きだ、くん…?」
「生クリームとイチゴ、ここですよね。もう臨也さんは使えないからそこで見ててくれていいですよ。パンケーキ作る格好いい俺を!」
「……はは、期待…してる……」
「はい、任せてください」
「…………」
また、やってしまった。

椅子に座らされて、差し出されたミネラルウォーターを飲み込んでもまだまだ鳩尾のあたりが痛む気がする。
気付いてる、分かってる。
俺が紀田くんに重ねてるものも、押し付けてるものも、全部知った上で、紀田くんは俺を甘やかす。
その真意は分からない。
彼の持つ優しさが、今の自分の境遇を憐れんでいるのかもしれない。
これまでの報復に、離れられないくらいに依存させて捨てようとしているのかもしれない。
単純に、歪んだ恋心を自分に向けてくれていたのかもー……紀田くんの考えてることなんて、いまはもうシズちゃんと変わらないくらい理解できない。これだから人間は面白い、そう声高に叫びたくなるはずなのにどうも調子が取り戻せない。
滲んでしまった冷や汗を手の甲で拭いながら、宣言通りに格好いい後ろ姿に見惚れる。
こういうとき、比べる相手が一人しかいないのは紀田くんにとってどうなんだろう。あれを恋愛だったとは思わないけど、女の子としたことなんてさして記憶にも残っていないのだから比べようがないわけだし。
それをいうなら、アイツも同じか。
セックス以外はなにもしなかったアイツと、セックス以外ならなんでもしてくれる紀田くんを比べたところで不毛なだけだ。……そもそもなんでアイツ、俺とヤってたんだろう。都合がよかったのかな。俺なら多少腕が折れても肉が削げても気にならないし、なんなら痛みで死ねばラッキーくらいの? ……ありえそうで笑えるな。もうしらないと吐き捨てられたのは、この2年でアイツが力のコントロールを覚えて女の子を抱けるようになったからか、もしくは2年前のあの日を境に俺への興味を消し去ったか。
「…………」
「み、てたよ。うまかった。か、かっこいい」
「かっこいい、ですか」
「うん、格好いいよ。ひっくり返すのもだけど、自分のために料理してくれる後ろ姿って、かっこいい」
「……もうできるんで、いい子で待ってて下さいね」
「うん。紀田くんのこと見て待ってるよ」
「…………」
ぼんやりと浮かんだ部屋から出ていく後ろ姿が、パンケーキをひっくり返して褒め言葉を待つ可愛い顔にかき消される。嬉しそうにしちゃって……出来上がったら、気合いを入れて喜ばないといけなくなった。
まるで、恋人のようだと思う。恋人であればと思う。同じくらい、恋になんかしたくないと思ってる。
彼に抱いた感情をそう認めることは敗北と同義で首を括りたくなるけれど、それでもあれは、今も引き摺るこの醜悪な感情は、自分が誰かを揶揄したあれと、恋と呼ばれる忌々しい現象となにも違いはしない。
アイツに興味を失われて響く琴線があったなんてこと、知りたくなかった。会いになんて、行かなければよかった。
「はい、できました!」
「!な、生クリーム……!!」
「はい、お店のみたいでしょ?」
ぱちん!とウインクをされて、思わず君はこの2年間で一体どこを成長させたんだと突っ込みそうになった。
所詮18才の子どもに救われるだなんて、……ああ、ちがう か。違うのか、この子が成長した だけじゃない。
18才の子どもに救われるほど、自分の心が衰弱してるだけ、だ。
……やっぱり全部、アイツじゃないか。
「……おいしいよ」
「それはよかった。まぁこの味否定したら臨也さん池袋の女の子たちに味覚を疑われるでしょうけどね」
「なに、俺より前に誰かに振る舞ったっていうの?」
「え?」
「え?」
生クリームと蜂蜜に埋もれた甘ったるいパンケーキを切り分けて、会話を円滑に進めるためだけに吐き出した軽口に紀田くんが大袈裟に反応してみせる。
「……なにか、怒らせること言ったかな?」
「いっいえ、べつに……!」
「……?」
思わず目を丸めた俺に、何故か頬を赤らめて慌てる紀田くん。その根拠がわからなくても、照れられるとこっちまで恥ずかしくなる。見つめあって黙り込むとか、本当勘弁してほしい。
「バイトで作ってたんで、数え切れないくらい振る舞ってるなって」
「へぇ、いいね。パンケーキ屋さんでバイトしてたんだ?」
「もうやめましたけどね」
「ふうん、じゃあお店の味なんだ?」
「……飾りは臨也さん仕様ですよ。」
「へえ…かーわいい」
「冷めるんで、はやく食べてくださいね」
「はあい、いただきます」
「……はい、どーぞ」
「ー……、………」
いやもう、本当に。
期待されてもいつもの反応しかできないって。

(勘弁、してほしいんだってば)




走って走って

走って走って走って
ひたすら走って

息ができなくなって
心臓が1分間に193回拍動したのを自覚する、その瞬間

『大丈夫ですよ、臨也さん』

同時に浮かぶ風景より、響く声よりもはやく

優しい君を想い浮かべてあげられたならと
     ろくでもないことを、思い始めてしまうから


(これを恋に、したくないんだよ)



end

(2014/06/02)



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