「………………」

やらかした。
そう、少女はうんざりとしながら思った。
目の前には、如何にも不機嫌そうな顔をした葉王がいる。着物の下の傷が、その気まずさに比例する様にジクジクと痛んだ。
事の起こりは数日前。少女が、葉王の失脚を目論む陰陽師にさらわれた所まで遡る。

『なんだ、怯えて声も出ないか?』

そう下品な笑みを浮かべる陰陽師に、不可視の何かで手首を拘束され、自由を奪われた少女は何も答えなかった。
やはりというか何と言うか、一癖も二癖もある麻倉葉王という陰陽師には、どうやら敵も多いらしい。そういう輩に限って、何故か葉王の妻である彼女に目をつける。巷での噂話を信じるならばそれも尤もかもしれないが、事実は全く違うのだ。
第一、あの頭の切れる男が彼女の持つ危険性に気づかない訳がない。曰く、薄く淡く、よっぽどの術者でなければ気づかない程度に追尾用の術を張っているそうだ。術をかけられたらしいその日に「なんか変な感じがする」と零したら、「さすが、僕の奥さんだ」とどこか楽しげに笑いながら教えられた。恐らく、もうその術は効力を発揮しているのだろう。もう暫くとしない内に、式神を連れた葉王が到着するはずだ。相変わらずとんと見えはしないが、気配を感じることくらいならば少女にもできる。葉王曰く、それさえも修業を積んでいない彼女が出来るのは稀なことだそうだ。

『安心しろ、貴様に用はない。用があるのは、あの"化け物"だ』

何も言わない彼女に勝手に納得したのか、名も知らぬ陰陽師はそう続けた。
その言葉に、少女は僅かに眉根を寄せる。「またか」と、再びうんざりとしながら心の中で溜息をついた。
さらわれる度に彼女が耳にする言葉。それがこの"化け物"だった。
まったく、こいつらはいったいあの葉王をなんだと思っているのか。
暇さえあればマタムネと一緒に寝ている程の昼寝好きで、苦い野菜が嫌いな、夢中になると寝食すらわすれてひとつのことに没頭してしまう、幼い子供の様なあの男を。
そう、彼女はその言葉を耳にする度に思う。確かに驚く程頭が切れるし、彼が知らないことはないのではないかと思うくらい知識も豊富だ。初対面の彼女を嫁にする様な変人でもある。けれど、それだけだ。それ以外は、彼女の周りにいた"人間"となんら変わりはしない。少なくとも、彼女はそう思っている。
そんな事を考えていた矢先、爆音と共に扉が破られた。

『お招き頂きどうも。さて、僕の妻を返して貰おうか』

燃え落ちる扉の向こうから現れた葉王は、激しい先制に似合わない涼やかな声音で告げた。途端、ふわりと彼女の身体が浮かび上がる。恐らく、彼の式神達だろう。葉王に気圧された陰陽師を無視して、姿の見えない彼等は少女を葉王の元へと送り届けた。

『お待たせ、お姫様』
『おせぇ』

そう文句を言う彼女に小さく笑い、葉王は口の中で短く何かを唱えると、拘束された彼女の手首にそっと触れた。

『解』

途端、腕が自由に動く様になる。それに小さく吐息をついて、少女はそっと手首をさすった。

『くそっ…!』

そう毒づいた陰陽師が、術で生み出した水龍で葉王と少女を襲う。けれどそれを放った術で呆気なく相殺し、葉王は冷たく笑った。

『ちっちぇえな』

その声が響いた瞬間、炎蛇が瞬く間に陰陽師を襲う。炎の蛇は一瞬で鉄の楔へと姿を変え、敵を捕らえた。

『くそっ…!』
『まったく、大人しくしていればいいものを』

そう告げる葉王に、陰陽師はにたりと口端を吊り上げた。

『貴様の悪運もここまでだ!この化け物め!』

そう陰陽師が叫んだ瞬間、背後から無数の氷の刃が葉王へと襲い掛かる。恐らく、葉王が陰陽師に近づくと同時に発動するよう仕掛けられた、時限式の術だろう。振り向いた葉王へと迫る鋭利な刃。それを目にした瞬間。

少女は、葉王を庇う様に刃の前へと飛び出していた。

ここで、話は漸く冒頭へと戻る。
氷の刃は少女の胸や腕を浅く切り裂いたものの、その命を奪いはしなかった。何故なら、葉王が咄嗟に術を放ち、刃の殆どを相殺したからだ。並の術者ならば、おそらく彼女は死んでいただろう。いくら術の類にうとくても、それくらいはわかる。性格や言動はともかく、葉王の実力は折り紙つきだ。

「………何故、前に出た」

そうぶっきらぼうに問う葉王に、少女は僅かの沈黙を挟んでから、気まずそうに答えた。いつもなら真っ直ぐに他者を見つめる亜麻色の瞳は、床へと落とされている。

「………おまえが、危ないと…おもって」
「馬鹿か」

少女の答えをばっさりと切り捨て、葉王は淡々と続けた。

「あれくらい、予想出来ているし対策もしてある。君が前にでる方がよっぽど迷惑だ」

葉の言葉に、少女は更に深く俯いた。
確かに、そうだろう。葉王は強い。そして頭も切れる。力のない自分の出る幕はない。
けれど、それでも。

「君は、ただ僕を盾にして守られていればいい」

その言葉に、目の前が真っ赤になった。
骨と骨が皮膚ごしにぶつかり合う鈍い感触と同時に、右の拳がジンジンと痛みだす。
気づいたときには、目の前の馬鹿男を殴り飛ばしていた。

「………………ふざけんじゃねぇ」

喉から搾り出した声音は、地を這う様に低かった。
少女の腹の底からふつふつと感情が溢れ出してくる。固く握りしめた拳は、小刻みに震えていた。

『いきなさい』

そう、泣き出しそうな顔で自分を見送った両親の顔を思い出す。
両親が死んで故郷さえも亡くしたあの時から、ずっとずっと考えていた。不思議な術を使う陰陽師。そんな術者に傾倒していく村の人々。山奥の小さな村は、その時奇妙な熱気に包まれていた。ある時、村の土地を豊かにする呪いをかけると宣った陰陽師の手によって、村中に不可思議な紋様が描かれた。その完成をもって術を発動し、村に繁栄を齎すという。
余りにも怪しい、都合のいい話だ。
けれど、当時貧困に喘いでいた村人達にとって、それは希望以外の何物でもなかったのだ。大きな呪には相応の触媒がいる。そう告げた術者は、模様が完成する日の正午に、村人達が村からでないよう村長に通達する様言い渡した。それを聞いた両親が不審に思い、少女を山菜採りに行かせるふりをして、わざわざ逃がしてくれた。
そう、故郷を失った今だからこそ思う。
最初は、ただの偶然だと思っていた。けれど、よくよく考えてみれば、仮に術者を信じきっていた両親が娘をそんな大事なときに使いに出すわけがない。
そう思い至ったのは、膝をついて呆然と目の前の光景を見つめた時だった。
彼女が昼過ぎに村へと戻ったとき。慣れ親しんだ故郷は、血生臭い匂いと薄汚れた跡を残して跡形もなく無くなっていた。
その日以来、送り出す前に自分を強く抱きしめた両親の腕の温かさを、忘れた日など一日もなかった。

「…オイラは、いてぇのは嫌いだ。ムチで叩かれんのも、刀で切られんのも御免だ。ましてや、死ぬのなんかまっぴらだ」

流れついた屋敷の主人達から振るわれる暴力。下卑た笑い声をあげながら自分に切り掛かってくる男達。何度も何度も死にかけて、それでも必死に生き延びてきた。他人にとっては踏みにじり、利用するだけの価値しかなくても、両親がそれこそ命懸けで守ってくれたものだ。行く先々での扱いは、決していいものばかりではなかった。けれど、必ず誰かが手を差し延べてくれたのも事実だった。様々な人に助けられて、自分は今尚生きている。何故生きるのかもわからないまま、それでも向けられた想いを裏切るものかと、それだけの為に生き延びてきた。他人からすればちっぽけな理由かもしれない。それでも、少女自身にとって自分の命は決して安くはない。死ぬことは、酷く恐ろしい。簡単に投げ出せるものでもない。
けれど、それでも。

「それでもおまえを守る為なら、惜しい命だってかけてやる」

そう告げた瞬間、葉王の瞳が大きく見開かれた。それを、俯いていた彼女は生涯知らない。
次の瞬間、挑むように面を上げた少女の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。それでも葉王を見据えた眼差しは、強い意志を宿して煌めいている。
まるで、生きた宝石の様だ。
そう、葉王はぼんやりと思う。とめどなくこぼれ落ちる涙は、暗闇に輝く星の様に葉王の中へと小さな輝きを落としていく。
いくつも、いくつも。絶えることなく。惜しむことなく。
そんな少女の顔が何かを噛み締める様にくしゃくしゃに歪み、小さな子供の様に叫んだ。

「お前の言うことなんか知らん!オイラはオイラでお前のこと勝手に守る!!てめぇの後ろに隠れて守られてるだけの都合のいい女がいいなら、とっとと新しい女みつけてそいつを嫁にしろ!!このヤリチン野郎!!」

そう吐き捨てて、少女はどたどたと凄まじい勢いで部屋を出て行った。あの小さな身体のどこからあんな大声が出るのかと、いつも不思議に思う。
呆然とその姿を見送った葉王に、先に我へと返った町が声をかけた。

「葉王さま…頬、大丈夫ですか…?」
「………ああ、大丈夫だよ」

ぼんやりと少女がさっていった襖を見つめる葉王に、町は小さく苦笑した。

「葉王さま、本当に姫さまに愛されてますねぇ」

葉王さまが姫さまを心配なのは解りますけど、姫さまの気持ちもわかります。
そう小さく続けた町に、葉王は何も答えなかった。



こころをひと粒飲み干せば



「神流!」
「うわ、なんだい。姫さん」

泣き腫らした顔で突進してきた少女に、神流は目を瞬かせた。
しかし少女はごしごしと乱暴に目元を拭い、挑む様に神流を睨みつける。

「なんでもいい!オイラに戦い方を教えてくれ!」
「はぁ?」

確かに、神流を含め少女の側にいる世話係の娘達は、皆葉王の手ほどきを受けた術者だ。少女の世話だけでなく護衛も兼ねている。
けれど、そんな自分達に守られる立場の少女が、何故そんなことを言うのか。
そう言外の疑問を投げ掛けた神流に、少女は涙声で叩きつける様に告げた。

「このままじゃダメなんよ!」

続いた言葉に、神流は大きく目を見開いた。

「守られてるだけじゃダメなんだ!あいつのこと守れるくらいッ……オイラも、強くならんとダメなんだ!!」

そう叫んでから再び泣き出した彼女に、僅かの空白を挟んでから、神流は愛おしむ様に淡く苦笑を浮かべた。
その瞳に宿るのは、煌々と輝く決意の炎。それは、夜の終わりを告げる日の出の様だった。ほの暗い薄闇を穿つ一条の光。彼の人の夜を終わらせたと帝に言わしめた、黎明姫。その字に違うことなく、彼女は、夜明けの為に戦おうというのだ。無力なその手で、それでも懸命に手を伸ばし、つかんで見せようと言うのだ。
目の前の少女は悔しさを隠そうともせず、小さな子供の様に泣きじゃくっている。


非力な少女の胸に芽吹いたその決意を、今まで誰にも守られることのなかった稀代の大陰陽師は、まだ、しらない。

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2015.07.11

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