「姫様、巷の噂で大変なことになってるよ」
「は?」

うららかな昼下がり。
否が応にもそれなりの月日が経ち、少女は麻倉の家にそこはかとなく馴染んでいた。が、付き人の町の言葉に、彼女はきょとんと瞳を瞬かせる。巷の噂とは、いったいなんだろうか。そもそも、何故自分が噂になるのか。
そんな少女の疑問を余所に、鞠が町の言葉にこくこくと何度も頷いた。

「すっごい美人、って…」
「は、え?」

何故だ。
少女の率直な感想はその一言につきる。
正直なところ、生まれてこの方器量良しと評されたことはない。両親は心底可愛がって愛してくれたが、年頃の娘達が次々と夫を持ち子を生んでいく中で、自分にはとんとそんな話がなかった。それに関しては少女自身が色恋沙汰に疎かったのもある。けれど、存外波瀾万丈だった短い人生の中でも、容姿を理由に手籠めにされかけた、などという経験はない。恋人もいなかった。
それなのに、今の自分は夫(仮)持ちなのである。人生どうなるかわからないものだ。
いけない、つい話が逸れた。
うっかり己のここ数ヶ月を振り返り、少女は「これでいいんだろうか」という想いにかられる。けれど、気をとりなおして顔を上げた。

「な、なんでそんなことに……」
「『黎明姫』」

背後から届いた涼やかな声音に、少女はぎょっとして振り向いた。
すらりとした立ち姿の女性が、戸の前でニヤニヤと面白そうに口端を吊り上げて笑っている。艶やかな長髪が、その型口からさらりと零れた。

「神流」
「カナちゃん!おかえりー!」
「……おかえり」

使用人兼護衛の一人でもある神流を、町と鞠が笑顔で迎える。そんな二人に軽く応えてから、神流は悪戯を企む子供の様に笑った。

「なんだ?その『れいめいき』ってのは…」
「姫さんのことだよ」

神流の言葉に、少女は訝し気に首を傾げる。そんな彼女の言葉を補う様に、町と鞠が続けた。

「なんでも、見ただけで耐性のない人はバタバタ失神する程の超絶美人でー」
「失神!?」
「…とあるやんごとなき血筋の方が、大事に大事に育ててきた才媛中の才媛で」
「頭良くねぇぞ!?」
「その華の顔を目にした瞬間、飛ぶ鳥さえも地に落ちる程の傾国の美女」
「オイラすげぇな!?」
「そんでもって、ものすごーく優しくて慈悲深い天女みたいな姫なんだと」
「てんにょ…」

三人の言葉に、少女はガクッと膝から崩れ落ちた。
何故だ、いったいどういうことだ。どうしてそんなことになっている。
第一、自分は葉王の屋敷につれてこられてからまだ数ヶ月しか経っていない。おまけに、屋敷から出して貰える訳でもないのだ。それはもちろん、一歩でも外に出そうものなら少女が逃亡を企てるからである。邸の中は自由に動き回れるものの、その周囲には幾重にも幾重にも厳重な結界が張り巡らされていた。不可視の壁が行く手を阻むのである。それでも片手の指で足りない程度には逃亡を企てたが、逃げようとする先々で「どこにいくのかな?僕の奥さん」と表情筋を駆使した満面笑顔の葉王に出くわし、少女の逃亡への情熱はぼっきりと折れた。邸の結界を無理矢理突破して脱走する案は、彼女の中で現在保留中になっている。なんというか、あれは地味に怖い。
が、しかし。そこまで考えたところで、少女はぴたりと思考を止めた。

「……オイラ、ここに来て以来まだ一度も外に出てないよな?」
「はい」
「なんで、誰もオイラの顔みたことないのにそんな噂が立つんだ?」
「『かの大陰陽師麻倉葉王が、妻を溺愛する余り他人に見せたがらない』って話になってるんだとよ」
「はぁ…」

貴族という輩はよっぽど暇なのかと、少女は長い長い溜息をついた。
確かに、屋敷から出しては貰えない。けれど、それは葉王が彼女に自分の子を産ませたいからだ。愛情なんてものが理由では決してない。むしろ、ただの軟禁生活である。

「あいつオイラの他にもわんさか女いるじゃねぇか…」
「今は姫さまだけだよー」
「え」

町の言葉に、少女はパチパチと瞳を瞬かせた。
自分が家に来てからほんの5日前まで、3日と空けずどこそこのなんとか姫に会いに行っていたあの葉王が。
そんな馬鹿な。

「嘘つけ。この間もなんとか辻のニの姫さんとこ行ってたぞ」
「……嘘じゃない」
「ああ、その姫さんで多分最後だねぇ」
「は?」

鞠と神流の言葉に、少女は尚更訝しげな顔をする。
そんな彼女を見もしないまま、キセルに火をつけた神流はあっさりと続けた。

「アンタがここに来てから、葉王様今まで通ってた姫との関係を全部清算してまわってんのさ」

アンタが「浮気性の旦那なんか御免だ」って言ったからね。
そうニヤニヤと笑いながら告げる神流に、少女は瞳を見開いたあと、内心頭を抱えた。

――――言った。
確かに、そう言いはした。

しかし、それはあくまで葉王の子を生むのを回避したいが為の詮無い言い訳である。苦し紛れにでた言葉と言ってもいい。とりあえず、思い付く限りのありとあらゆる条件は言い放った、様な、気がする。
それはもちろん、あの女好きで傍若無人で変わり者な葉王が、自分の言い放った条件など飲むわけがないと思っていたからだ。突然目の前に現れて突然「僕のお嫁さん」宣言をした小娘相手に、まさかそこまで誠意的な対応をしないだろうとタカをくくっていた。
くくっていたの、だが。

「……葉王さま、だから最近はお酒も控えてる」

ぽつりと呟いた鞠に、町がうんうんと頷いた。

「ねー!前はどれだけ言ってもダメだったのに!姫さまが言うとすぐ止めるの!」

葉王さまよっぽど姫さまのこと好きなんだね!
そう明るい笑顔で言い放った町に、少女は撃沈した。それはもう見事に撃沈した。
そう、他意はなかった。自分なりに、どうにか現状を打開できないかと足掻いた結果だった。
それが、『大陰陽師麻倉葉王の愛妻』などという、副産物的印象を呼び込むとはまったく思わなかった。恐らく、これも噂を助長させる一因を担っているのだろう。あれだけ方々の姫君に手を出し、あまつさえしょっちゅう手紙を受け取っていた男だ。葉王から急に別れを告げられた姫君達が、その理由を問わないわけがない。恐らく、その時妻をめとって云々という話をしたのだろう。それを考えただけでも頭が痛い。
血筋や教養に関しては、恐らく付きに付いた噂の尾鰭の内だろうか。否、尾鰭どころか背鰭や胸鰭までついていそうだが。

「で、えーと…結局そのれいめいきってのは…?」

額を抑えることでふらつく意識を押しとどめながら、少女は神流に問い掛けた。正直聞きたくはない。聴きたくはないけれど、現状を把握する為には聞いておかなければならないだろう。
そんな少女の心中を知ってか知らずか、神流はあっさりと答えた。

「『黎明』ってのは『夜明け』を指す言葉だろ。それになぞらえて、物事の『始まり』って意味もある。んで、葉王さまの異名は『星ノ君』。だから、葉王さまの"夜を終わらせた"って意味で『黎明姫』らしいよ。帝が葉王さまの話を聴いて、姫さんのことをそう呼び出したんだってさ。それが貴族連中にも伝わって、広まってるんだと」

神流の言葉に、少女はあんぐりと口をあけるしかなかった。
帝。
自分が逆立ちしても届く訳がないそんな雲の上の人物が、自分をそう評したと?
話が余りにも大きくなりすぎていて、正直今すぐ意識を失いたいぐらいだ。
しかし。聡明な少女は、ここであることに気がついてしまった。

「……うん?"葉王が話した"?」
「そう。聞くかい?」

そう面白そうに告げた神流が耳にした話を要約すると、以下の様なものだったらしい。
黎明姫の容姿たるや、天上にかかるあの月さえも恥じらって雲に隠れてしまう程の華の顔。瞬きをする様はまるで蝶の羽ばたきの様に麗しく、その下の深い瞳に見つめられれば老若男女問わず感嘆の溜息を漏らし見惚れるだろう麗しの姫君。しかし、その容姿以上に清らかな心根は弱きものを慈しみ、命を愛す天女の様な娘だという。
此処までが、葉王が帝へと語った内容らしい。「あくまでも"自分にとっては"こういう姫だ」という言い回しだったらしいが、時期が悪かったようだ。
娘たちが泣き寝入りした親や噂好きの貴族の間で、その話は急速に広まっていったらしい。広まる間に尾鰭どころか背鰭や胸鰭までつき、事実も虚構も想像も綯交ぜになって伝わってしまった様だ。
その噂曰く、高貴な生まれでありながらひっそりと身を隠す様に暮らしていた心優しき黎明姫にすっかり惚れ込んだ葉王は、今まで通っていた姫君達に次々と別れを告げ、毎夜毎夜あしげく姫の元に通い詰めた。最初は戸惑っていた黎明姫もいつしかその想いを受け入れ、先日遂にその愛が実を結んだのだという。葉王は黎明姫を心の底から愛し、まるで隠す様に屋敷の奥へと住まわせた。かの希代の大陰陽師をここまで狂わせる黎明姫とは、一体どのような姫なのか。それは天上の帝さえも知り得はしない、と。

……「開いた口がふさがらない」という言葉は、この時の為にあったのか。
くらりと目眩を感じながら、今にも飛びそうな意識を少女はなんとかつなぎ止めた。
いったい、どこのどちら様の話だ。
実際は初対面当日に麻倉の屋敷へと連れ去られ、翌日大変一方的な嫁宣言をされるという、情緒もへったくれもない話がここまで美化されていると、最早乾いた笑いしか浮かばない。

「え、でもそんな噂になったら、姫さま帝に召し上げられたりしないかな!?」

町の言葉に、少女ばビクンと身体を大きく震わせて真っ青になった。
帝に召し上げられるだなんて、冗談ではない。
しかし、神流はあっさりとその可能性を否定した。

「確かに、麻倉は一応貴族とはいえ末席だ。身分は決して高くない。でも、まずないだろうね。なんせ、相手はあの葉王さまだ。いくら帝といえど、希代の大陰陽師相手にその妻を召し上げ様とはしないだろう。祈祷占術の類は百発百中、おまけに鬼の退魔調伏までなんでもござれな陰陽師を敵に回そうなんて馬鹿は、能天気な貴族にもいやしないよ」

神流の言葉に、少女は心の底から安堵した。例え話だけで、寿命が十年は縮んだ気がする。

「葉王さま、そんなに凄いんだ…?」

神流の説明へと首を傾げる鞠に、少女も今だけは全面的に同意だ。
賎民街から小娘を拾ってきて妻にするような変人でも、確かに凄いは凄いらしい。主に下っ端貴族の癖に帝に謁見出来ているあたりとか。

「あ」
「うん?」

が、しかし。
唐突に顔を上げて戸の向こうを見つめた鞠に、少女は首を傾げた。少女の疑問に応える様に、鞠が言葉を続ける。

「葉王さま」
「え」
「葉王さま、帰ってきた」

その言葉を聞いた瞬間。

「葉王―――――――!!」

そんな怒号と共に、少女は着物の裾を翻してどたどたと全速力で走りだしていた。



華に成り代わる少女



「やぁ、出迎えかい?僕の奥さん」

そう笑顔でのたまったハオの左頬を、硬く握りしめられた拳が強襲したのはその少し後のでき事である。

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2013.09.03

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