「マタムネー?」

少女がそう声をかければ、茶虎の猫の声が襖越しに届く。先日葉王が拾ってきた、その身に病を宿した茶虎の猫。それがマタムネだ。
まだ耳に新しい声のした方に爪先を向ければ、そこにはマタムネを膝に乗せた葉王がいる。狩衣を着崩した、くつろいだ姿だ。藍色の着物の前は緩く肌蹴、逞しい胸板をのぞかせている。

「お、なんだ。お前もここにいたのか」
「ああ。天気が良かったからね」

短く少女に答えた葉王は、マタムネの背を柔らかく撫でる。そんな彼へと応える様に、茶虎の猫は小さく鳴いた。

「薬湯の時間かい?」
「おお。気休めだけどな」

葉王の隣に膝をつき、少女は茶虎の猫を自分の膝へと抱き上げる。その身を侵す病を完全に治すことは、少女たちにはできない。それは希代の大陰陽師と言われるハオとて同じだ。命の刻限は変えられない。けれど、痩せぎすな身体はそれでも暖かかった。少女が小さな額に頬を擦り寄せれば、柔らかくマタムネが鳴く。それを愛おしいと思う気持ちは、どうしようもなかった。

「町の薬は、苦いけど良く効くぞ」

そう額を撫でながら告げる少女をじっと見つめてから、マタムネは皿に入った薬湯へと口をつける。まるで、少女や町、そして葉王の想いをわかっているかの様に。
たまに人なのではないかと思う程、彼は聡明で頭の良い猫だ。

「……って、なんだよ。その顔は」

マタムネとの触れ合いに頬を緩ませていた彼女は、そんな自分と猫を不満げに見つめる葉王に気づいて首を傾げた。葉王はといえば端正な顔立ちを僅かに歪めて、憂う様に眉をしかめている。端から見れば悩ましいことこのうえない表情なのだろうが、生憎彼女には幼い子供が拗ねている様にしか思えない。

「………つまらない」
「は?」

そして、その見解は案外的外れでもなかったようだ。
むくれた葉王は畳んだ扇子を口元に当て、不満げに少女を見遣る。

「なんだい、君達ばかり仲良くして」
「いや、薬飲ませただけだろ」
「僕からマタムネを取ったじゃないか」
「お前の膝に乗せたままじゃ薬飲ませ難いだろ」
「だったら君がマタムネを抱いて僕の膝に座ればいい」
「はぁ?」

むすっとしたまま子供の様なことを言う葉王に、少女は思わず声を上げた。
つまり、アレか。自分がも仲間にいれろと駄々をこねているのか。
しかし、彼女には葉王を仲間外れにしたつもりは一切ない。これは多分、たった今薬湯を飲み終えたマタムネにも言えることだろう。そんな少女の見解を裏付けるように、マタムネは葉王へと振り向き、一声鳴いた。
それなのに、目の前のこいつはいったい何を言い出すのか。

「いや、あのな」
「異議申し立てる」
「だから、オイ、葉王」
「僕は断固として状況の改善を要求するよ」

少しは話聞けよ。
切々と自身の置かれた状況を訴えてくる葉王に、少女は思わず突っ込みをいれた。正確な年齢は知らないが、恐らく自分よりいくつか年上だろうこの青年は、一体なにを言い出すのか今だにわからない。

「……じゃあ、ほら。薬湯もなくなったし、マタムネ返してやるから」
「いやだよ」

一体どうしろと。
どうにか現状を打開しようと告げた自分の言葉をばっさりと切り捨てた葉王に、少女は頭が痛くなってくる。
なんだか、癇癪持ちの幼い子供を相手にしている様な気分になってきた。

「きみもだ」
「は?」
「きみもだよ」

そう言いながら、葉王は人差し指でとんとんと自身の隣りを叩く。
つまり、「マタムネごとお前も傍に来い」と、そういうことだろうか。

「…………………」

凄まじく様々な思考や思いが身体の中を駆け巡った後。
言いたいことも思ったことも山ほどあったが、少女は茶虎の猫を抱いたまま、大人しく葉王の隣へと腰掛けた。ここでこの要望を突っぱねても、堂々巡りにしかならないだろうことが手に取る様にわかったからだ。

「うん」

それに満足そうに頷き、葉王は隣に腰掛けた少女の太股に頭を乗せる。予想外の行動に、少女の肩がぎくりと跳ねた。

「ちょ、おい」
「マタムネは良くて僕はダメだなんて理不尽だろう」

理不尽なのはお前の思考回路だ!
そう言いかけた口をつぐみ、少女はただため息をつく。
胡散臭い言動の割に彼のことを悪人だとは思わないし嫌悪感もないが、如何せん、この幼子の様な言動は些か扱いに困る。
何故なら彼は幼い少年ではなく、富も名誉も逞しい体躯も兼ね備えた、立派な青年だからだ。
これはあくまで他者基準であって、少女自身の基準ではないことは一応補足しておく。

「おまえ、たまにしょーもないこと言い出すよな…」
「なにがだい」
「……もういい」

葉王の応えにもう一度ため息をつき、少女はちらりと青年と猫に視線を向けた。少女の膝に陣取って満足したのか、葉王は今楽しげにマタムネを構っている。顎下を緩く人差し指で撫でられたマタムネが、ごろごろと満足げに喉を鳴らした。

「……ほんと、しかたねぇなぁ」
「まったくだよ。こんないい天気の日に呼び出すなんて無粋にも程がある」

しかし。
葉王の言葉に、甘い苦笑を浮かべていた少女はぴたりと動きを止めた。
今膝で寛いで猫と戯れているこの青年は、何故か(本当に何故か)希代の大陰陽師と称される麻倉葉王だ。朝廷内でも帝に謁見することを許される、正五位以上の高い地位を持つ。なかなか肩を並べるもののいない高位に属する彼へと命令できる人間は、そう多くない。
そんな彼を呼び出せる人間など、一人しか思い浮かばなかった。

「……おい」

嫌な予感を抱えながら、少女は重たくなる口をなんとか開いた。

「なぁに」
「………オイラは、できれば激しくこの予想が外れて欲しいんだが」
「君がそんな事を言い出すなんて珍しいね。言ってごらんよ」
「今日帝に呼ばれてんのか、お前」
「うん」

さらりと応えた葉王に、少女の中でなにかが切れた。

「さっさと行ってこい!この馬鹿葉王――――――!!」



知らないことはわるいこと



少女の怒号で追い出された葉王が、その日帰宅しても屋敷から締め出しを喰らったのは、また別の話である。

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2014.02.01

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