9.奥田勝子

 顔を真っ青にした悠二が叫ぶと、対照的に落ち着いた様子の勝子が彼を見つめた。黒目がちな丸い目は、真っ直ぐに悠二を捉えている。夕日に燃える瞳の中に、怯えた表情の彼が映っていた。吸い込まれそうな程深い目をした彼女に見つめられ、悠二は動揺した。その視線に捉えられると、決して抜け出せなくなるのではないかという錯覚に陥る。そんな不思議な印象を受けた事に悠二は戸惑った。まじまじと見つめると、彼女の瞳は普通の人間のそれではないようにすら思えた。
 宇宙を覗き込んでいるようだ。
 悠二は不意に感じた。勝子の深い瞳から無限を見渡す様な気がした。まだ若い自分が知らない全てがそこに詰まっている。吸い込まれそうだと感じたのは、その宇宙の様な漆黒があまりにも魅力的だったからだ。悠二はこれ以上無い程の不思議に惹かれていた。それに映る自分自身もまるでこの世の物ではないような気がしてならない。今まで知らなかった感覚だ。それが何か分かる前に、悠二の心臓は暴れだしていた。分からなくてもいい気がする。悪くない。
 それだけの情報が一瞬にして彼の脳内を駆け巡った。情報の海に飲み込まれる前に、次の瞬間には、火照った自分の頬の熱さで目が覚めた。勝子をじっと見つめ返しながら魅力だとか考えていた自分自身に赤面する。さっきまで勝子の姿を視界に捉えても何も感じなかったのに、何故かドギマギしてしまう。居たたまれない気持ちになって、悠二は彼女から視線を外した。これ以上おかしな事にならない内に、と慌てて口を開こうとするが、それより先に勝子が彼に問い掛けた。
「とりあえず質問してみたらどうかしら」
「し、質問?」
 聞き返す声が思わず上ずった。一瞬、自分達がどこで何をしているのかも、何の話をしているのかも、自分が何故騒いでいるのかも、騒いでいるということ自体も忘れてしまった。勝子のきめの細かい白い肌は、橙色の光を受けて色づいていた。綺麗だった。
 悠二が勝子に気を取られている内に、吉彦が話を進めた。
「このまま帰ってもらうわけにはいかないのか?」
「何で?」
 吉彦も夏江も、勝子のことを気にも留めていないようだった。艶やかで真っ直ぐな黒髪、陶器のような白い肌、深い漆黒の瞳、そして白の中に浮き立つような紅色の唇。こんなに美しいのに。それはまるで人形の様だった。
 悠二はいつの間にか、正面の吉彦を見る振りをして、その隣の彼女を盗み見ていた。自分が何故その様な行動に出るのかはよくわからなかった。彼がそうしている間にも話は進む。
「本物だってわかったわけだしさ」
「本物だからこそ、質問とかするんじゃないの?」
 吉彦がこの恐ろしい遊戯を終わりにしようと、夏江を説得している。さっきまでの悠二なら必死に吉彦に賛成して夏江を説得にかかっただろうが、今の彼にその様な事を考える余裕はなかった。吉彦と夏江はこっくりさんをどうするかの議論に夢中で、悠二の様子がおかしいことにも、さっきまで真っ青だった顔が色づいていることにも気づいていない。
「でも、本物ならやっぱり危ないわ」
 勝子が口を開いた。その視線は夏江を捉えており、夏江も勝子を見ていた。勝子の赤い花の花弁の様な唇が動くのも、夏江は正面から見据えているはずなのだ。夏江が勝子に美しさに吸い込まれてしまったら。悠二はいてもたってもいられなかった。だが、いつもは煩い程に動く唇は、上下が接着剤で張り合わせられたかのようにピタリと固まってしまっている。そして脳も、今や思うように働かなかった。
「そうだよ、帰ってもらおうぜ」
 勝子の言葉を受けて吉彦が頷いた。彼も勝子を見ている。夏江は、憮然とした様子で口を尖らせていた。悠二は独り、勝子に目を奪われたまま操り人形のように首を振り続けていた。それを彼の恐怖故の態度だと考えると、誰もそれを気にしなかった。



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