(中略)

「……わざわざこのような場所まで足を運んで下さったのですか?ありがとうございます」

 引き攣りそうになった顔を、HAYATO時代に編み出した笑みで、トキヤは何とかその場を取り繕う。
 相手は昔世話になった番組のプロデューサー(その為かはよく分からないが、彼は未だに自分のことを、HAYATOと呼んでくる)。過去に散々悩まされた存在ではあるのだが、幾ら相手に苦手意識があるとはいえ、それを態度に出す訳にはいかない。

「ファンの子たちに紛れて、僕も観客席から君達のことを見ていたんだけど、本当に最高のステージだったよ。皆、格好良かったよ」「ありがとうございます」
「メンバーの中でも、HAYATO君が、一番格好良かったよ。一緒に仕事していた時期とはまた違う君の魅力が光っていて」
「あ、ありがとうございます」

 歯の浮くような台詞を並べられて、トキヤは堪らず苦笑を浮かべた。
 これが、ファンや他のスタッフ等に言われたら嬉しいものなのに。苦手なタイプな人間に言われると、こうも受け取り方が違うものなのか、と実感してしまう。

「そうだ、奥のカウンターで、二人で飲まないかい?」
「え?」
「個人的に君と祝杯をあげたいんだ。それに君とも、もっと話をしたいし……」

 こんな煩い場所では、君とゆっくり話も出来ないから、とプロデューサーは更に付け加えてきた。

「え……っと、その、お誘いは嬉しいのですが、まだ挨拶をしていない方もいらっしゃいますし。私は未成年なので、お酒の方はまだ」

 まさか、このような場所で、そのような台詞を吐かれるとは思ってはいなかった。自分としては、必要以上に愛想良くしたつもりはなかったのだけど。

「一杯だけでいいから、僕に付き合ってよ。勿論、君にお酒を飲ませるつもりはないから、それは安心して。それにHAYATO君に、僕が考えてる新しい番組の構成なんかも聞いて欲しいんだ」
「……あの、でも」

 ちらりと他のメンバーの様子を窺えば、皆、スタッフとグラスを傾けながら、未だ談笑状態だった。こちらの状況には、全く気付いていない。

「ほら、行こう」
「え、あ、そんな、私は……っ」

 強く肩を抱かれ、否定も出来ぬまま、半ば強引に会場の端に備えつけられた、カウンタースペースまで連れて行かれた。
 有無を言わさずトキヤを席に着かせると、プロデューサーはその直ぐ横に腰を下ろしてきた。

「少し強引過ぎたかな?」
「い、いえ……」

 愛想笑いを返しつつ、内心では、全くその通りだ、と悪態をつく。

「どうしてもHAYATO君と、二人きりで話がしたくてね。ごめんね」
「……いえ、そんな」

 とはいえ、彼の、この強引さを考えると、途中で席を立つのは難儀しそうな気がする。
 後悔しても、もう遅いけれど。
 何気なく滑らせた視線の先に、翔や真斗、那月と語らっている音也の姿が映った。
 彼に助けを求めてみようか。誰かが此処にやってくれば、この場から離れる口実にはなるだろう。音也に甘えるのは、かなり気が引けるが、しないよりはマシだ――そう思い立って、ジャケットのポケットに入れておいた携帯に手を掛ける。
 カウンターの中のバーテンダーと何やら話しているプロデューサーの目を盗んで、音也にメールを打とうしたら、運悪く、こちらに視線を向けてきた。

「……おや、電話でも掛かって来たの?」
「い、いえ、何でもありません」

 一旦は手にした携帯を、トキヤは慌てて、ポケットへとしまい込む。

「そう。とりあえず、乾杯しようか」

 バーテンダーがプロデューサーの前にはビールを、そしてトキヤの目の前には細いグラスに注がれた金色の飲み物を置いてきた。音也にメールを打とうしていた時に、バーテンダーに注文を済ませていたのだろう。

「あ、ちょっと待って」

 ふとグラスを手に取ろうとしたら、突然、プロデューサーに止められた。

「もっと美味しくなるように、僕が魔法をかけてあげる」

 そう理解し難いこと言って、トキヤの飲み物を自分の方へ引き寄せると、グラスの上方に手の平を軽く宛てて、何やら呪文のようなものを唱え始める。

「………」

 彼の行為を呆然と眺めていたら、再び、トキヤへグラスを返してくる。

「それじゃ、今度こそ乾杯しよう」
「……えぇ」
「ST☆RISHの全国ツアーの成功を祝して、乾杯」

 上機嫌でプロデューサーはグラスをカチンとぶつけ、並々と注がれたビールを呷った。
 空になったジョッキをカウンターに戻すと、プロデューサーは早く飲めと言わんばかりの雰囲気で、じっとこちらを見詰めてくる。
 もうこうなると、トキヤも飲まない訳にはいられなくなった。仕方なくグラスに口を付ける。
 それは炭酸の入ったレモンジュースのようで、さっぱりとしていて、確かに美味しかった。けれど後味に、少々苦みと僅かばかりの辛さを覚える。

「……どうかな?HAYATO君をイメージして、ノンアルコールのカクテルを、此処のバーテンダーに作って貰ったんだけど」
「あ、えっと……、そうですね、美味しいです」
「そう、良かった。実は僕ね、君とまた一緒に仕事がしたいって、ずっと思ってたんだ。HAYATOとして活動していた時の君は、本当に可愛くて、誰よりも輝いていたからね」
「そうですか、ありがとうございます」

 HAYATOの名で活動していた時のことを褒められるのは、何とも言えぬ心境になる。何故ならHAYATOは、事務所から与えられた、一つの役柄であり、ただの偶像に過ぎないからだ。それに現在は、本名である、一ノ瀬トキヤで活動しているのだ。トキヤという人格を差し置いて、過去の偶像を幾ら語られても、何も心には響いてはこない。
 それから暫く、プロデューサーはHAYATOへの熱い想いを喋り続けた。
 彼の発言に適当に相槌を打っていたら、突然、視界が揺らめいた。

「……っ」

 頭の中がぐらぐらする。もしかして、酒の影響なのか?――いやでも、プロデューサーはノンアルコールの飲み物だと言っていたし。彼の言葉を信じるならば、酒を飲んだとは考え難い。しかし、その真意はトキヤには分からない。
 ライブで疲弊しているとはいえ、このような酷い眩暈を覚えるとは思えなかった。
 ふと自分のグラスに視線を滑らしたら、その底に細かく砕けた果実に紛れて、白い粉末が僅かに沈澱しているのが確認出来た。
 これは、もしかして――。
 嫌な予感がする。そして、予感が確信に変わるのに、時間は大して掛からなかった。
 この業界に、違法薬物に手を出し、それをタレントに飲ませて、我が物にしようとする輩がいる、などという噂を以前に耳にしたことがあったが。まさか、自分がその標的にされるとは、思ってもみなかった。
 混入されたのは、恐らく、あの時。もっと美味しくなるように、僕が魔法をかけてあげる、とトキヤのグラスを一時取り上げた、あの時しか考えられない。
 いずれにしろ、このまま、この男の側にいるのは、危険だろう。何をされるか分からない。何か理由をつけて、この男から離れなければ。
 薬の影響で危うくなってきている思考回路を何とかフル稼動させていたら、相手が白々しく声を掛けてきた。

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