「うわっ!?」
「どうしたんだスザク君!よそ見なんかしている場合じゃないぞ…!」
「す、すみません…藤堂先生」
どすん、と勢い良く投げ飛ばされ、床にそのまま叩きつけられる。
受け身がうまく取れなくて、思いっきり尻もちをついてしまった。
本日何回目かわからないその痛みに、俺は思わず呻き声を上げた。
「…そんなに、あのブリタニアの皇子が気になるのかい?」
そう言って、藤堂先生は部屋の隅の方へと視線を向ける。
広い道場の中には俺と藤堂先生のほかに、もう一人。
あのルルーシュが、そこにいた。
煌めきノスタルジア -ざわつく心、恋の始まり-「べ、別に…。あんなやつのことなんか……っ」
ルルーシュは壁際に体育座りをして、ずっとこちらの様子を黙って見学していた。
相変わらず、ヒラヒラした洋服を着ていて。
袴を着て稽古をしている俺たちと比べると、どう見てもその格好は場違いだった。
本当に、何しに来たんだよ。あいつ…。
乱取りの合間に、ちらちらとルルーシュの方を窺う。
こんなところ見てたってあいつには退屈なはずなのに。
それでもルルーシュは、目を離さずにじっとこっちを見つめていた。
格好悪いとこなんか絶対にルルーシュには見せたくないから、俺は必死で稽古に取りかかろうとする。
けど、やっぱり後ろから突き刺さるルルーシュの視線が、どうしても気になって。
…結局、俺は最後まで稽古に集中できないまま、ボロボロになるまで何度も藤堂先生に投げ飛ばされてしまった。
バシャバシャと音を立てて、水道の水で顔を洗う。
道場のすぐ外にある小さな手洗い場の水は、いつも冷たくて気持ち良かった。
「はい」
びしょびしょに濡れた顔を上げると、すぐ隣にルルーシュが立っていた。
真っ白なふわふわのタオルを手に持って、こっちに差し出している。
俺はありがとうも言わずに、ただそれをぶっきらぼうに受け取った。
「なんで、お前まで稽古場に来たんだよ」
「いけなかったか?」
「俺の、気が散るだろ」
「その程度で集中力が切れるようじゃ、命がいくつあっても足りないな」
「う…うるさいなっ」
弱っちいくせに、生意気なやつ!
俺だって、いつもはそんなことぐらいで集中が切れたりなんかしないのに。
でも、ルルーシュのことを考えてると、どうしても稽古に身が入らなくなる。
今日だって、ずっと見られていると思うと、胸がどきどきして落ち着かなくて…。
…そもそも俺、なんでこんなにルルーシュのことが気になってるんだ?
俺はなんだかよくわからないけどそんな自分にイライラして、それを誤魔化すように急いでゴシゴシと顔を拭いた。
「スザク。けが、してるけど…大丈夫なのか?」
ルルーシュが、少し眉をひそめてそう尋ねた。
言われて自分の腕をちらりと見てみると、今日は稽古が散々な出来だったからか、あちこち痣だらけになってしまっていた。
「…このくらい。痛くもなんともねぇよ」
本当は、ズキズキと痛くてたまらなかったけど。
そう強がりを言って、我慢をする。
そもそも、こうなったのだって全部、ルルーシュのせいだ。
ルルーシュが、急に稽古の様子を見たいだなんて言い出すからいけないんだ。
藤堂先生は優しいから、見学しててもいいって言ってくれたけど。
俺は、やっぱりルルーシュが来るのは反対だった。
武道は肉体だけじゃなくて、精神面も鍛えなきゃいけないんだ。
それなのに、ルルーシュが近くにいると、いつも心がもやもやして。
こんな状態のまま、稽古なんてできるわけがないじゃんか。
俺は心の中をかき乱してくるルルーシュになんだか苛立って、それから何もしゃべらずに道場の中へと戻った。
入り口のすぐそばに置いておいた荷物に手をやると、俺の後ろをついてきたルルーシュが声をかけてくる。
「もう、帰るのか?」
「そうだよ。今日の稽古は、もう終わりだからな」
お前のせいで、ちっとも集中できなかったけど。
俺はルルーシュを無視して、着替えを鞄の中から取り出す。
帰り支度をしているのがわかると、急にルルーシュがそわそわし始めるものだから、
「…なんだよ?」
何も言わないルルーシュの代わりに、俺が聞いてやる。
それでもまだ何かためらっているのか、視線をよそに泳がせて、言おうかどうか迷っているようだった。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えって」
「そ、その…」
俺がイライラして急かすと、ルルーシュはようやくその視線をまっすぐこちらに向けた。
「僕にも、稽古をつけてもらえないだろうか?」
「……は?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
意外な人物の口から意外な言葉が出てきて、頭の中で急いでその単語の意味を調べようとする。
今、ルルーシュは稽古をしたいって言ったのか?
「な、何言ってるんだよ。藤堂先生だって、忙しいんだから無理だって…」
「それはわかっている。だから、スザクが僕に教えてくれないか?」
お、俺が…?
ルルーシュはいきなり、何を言い出すんだ。
「お前、まさかそのために今日ここまで…」
「神社だと、ナナリーに見つかる心配があるからな。なるべく、内緒にしておきたいんだ」
何言ってるんだよ、こいつ。
ルルーシュみたいな弱いやつが、そう簡単に強くなんてなれるわけないじゃないか。
ばっかじゃねーの。
「頼む…。ナナリーを守れるように、少しでも強くなりたいんだ」
ルルーシュの紫色の瞳が、逆光の中で鈍く光っていた。
なんだよ。
いつも、ナナリー、ナナリーばっかりでさ。
こいつはいつも妹のことしか考えてなくて。
俺だってナナリーを守ってやれるのに。
ルルーシュのことだって、守ってやるつもりでいたのに。
そのためにこうして、稽古をしにきて…。
あれ?
俺、いま…。
ルルーシュを守るって考えたのか?
なんで…?
「スザク…やっぱり、駄目か?」
ルルーシュの声に、はっと我に返る。
そうだ、俺は今ルルーシュに稽古を頼まれていたんだった。
頭の中がごちゃごちゃして、なんだか俺は無性に体を動かしたい気分になった。
やっぱり俺は、考えるのは苦手だ。
体を動かしてすっきりする方が、断然いい。
だから、ちょっとくらいならつき合ってやってもいいかなと。
そう思った。
「いいぞ、別に教えてやっても。…ただし、手加減はしてやんないからな」
俺がめんどくさそうに承諾の返事をしてやると、ルルーシュは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、スザク」
そんな笑顔ひとつにすら俺の心臓はいちいち高鳴って、自分が本当におかしくなってしまったんじゃないかと思う。
なんか俺、変だ。
どうしてこんなに、ルルーシュのことを意識しちゃうんだろ…。
ルルーシュを道場の真ん中に連れていき、そこで二人で向かい合う。
稽古をしてほしい、なんて言ったわりには、ルルーシュは結局ヒラヒラのシャツにショートパンツのままだった。
けがをしてもしらないぞ、と俺はちょっと呆れてため息をついた。
「なにをすればいい?さっき、スザクたちがやっていたようなことをするのか?」
ルルーシュが棒立ちのままこちらをじっと見つめている。
さっきより近い距離だから、余計に緊張する。
なんだか目を合わせるのも照れくさくて、俺はなんとなく床の方に目をやった。
「ルルーシュは力がないんだから、人を投げ飛ばすなんて無理に決まってるだろ。違う技を教えてやるから、とりあえずそれで我慢しろよな」
「あぁ、構わない」
ルルーシュが小さく返事をした。
今までルルーシュは武力行使はブリタニアの汚いやり方だって文句言ってたくせに、いきなりどうしたんだろう。
何か、あったのかな。
また町の連中にいじめられたりしたんだろうか。
こんなに必死になるくらいだから、多分ナナリー絡みのことなんじゃないかと少しは察しはつく。
でも、ちっとも俺にそういうことを相談してくれないから、なんだかちょっとむっとした。
「じゃあ。まず、こうやって相手の胸ぐらを両手でつかんで…」
「こ、こうか…?」
俺がやり方を教えてやると、ルルーシュがたどたどしい手つきで真似をする。
「違うって、もっと強くつかめよ。でないと、すぐ手から抜けちゃうぞ」
「そんなこと、言っても…」
一生懸命、ルルーシュの細い指が俺の道着の襟をつかみ上げる。
俺にとっては、つかむというより、握るという表現の方が近い気がした。
「そこで、相手の足の間に自分の足を割り込ませて…。そのまま一気に、足を引っかけるんだ」
「く……っ」
ルルーシュが俺の足を引っかけて倒そうとするが、俺はまったくびくともしなかった。
ブリキ野郎のくせに、こんなこともできないのかよ。
何度やっても一向に俺を倒すことができないルルーシュに痺れを切らして、俺はついに、手と足が出てしまう。
「あぁもう!だから、こうやって倒すんだよ…!」
「ほわぁっ!?」
どさ、と技をかけてルルーシュごと押し倒す。
ちょっと軽く足をひっかけてやっただけなのに、ルルーシュは簡単に後ろのめりに引っくり返ってしまった。
おかげで、勢い余って俺もルルーシュの上に変な風に乗っかる体勢になってしまう。
「どうだ、これがお手本だぞ。わかったか?」
と、自信満々に下にいるルルーシュの方を見下ろしてやると。
すぐそこには、ルルーシュの大きな瞳がこちらを見上げていて。
顔も、前髪が相手の顔にかかってしまうくらい、近くにあった。
「え……」
また、わけもなく胸がざわつき始める。
どきどき、どきどき。
耳から聞こえる音じゃないのに、やたらとうるさい。
床に広がる、ルルーシュの黒い髪。
少し紅潮し、バラ色に染まった頬。
ビー玉のように透き通った、きらきらした瞳。
俺は、その時ルルーシュがすごく…。
綺麗だと、思ったんだ。
「す、スザク…。重い、よ」
ずっとそのままぼーっとしていると、下からルルーシュの苦しそうな声が聞こえてきた。
俺は自分がとってしまっている体勢を改めて思い出し、急にかあっと顔に熱が集まるのがわかった。
「あ…、俺……」
ルルーシュを、押し倒してる?
ち、違う。
これは、柔道の稽古をしていて、それで…っ。
「…スザク?」
ルルーシュが、俺の顔を覗きこんでくる。
今度は鼻と鼻がくっつきそうなくらい、接近して。
「…………っ!」
俺は、慌ててがばっと顔を上げた。
そしてそのまま、離れるように立ち上がる。
いてて、とルルーシュも上半身だけ起き上がらせた。
頭を手で押さえながら、じいっとこちらを見上げている。
な、なんだよ。
なんで黙ってこっちを見てるんだよ。
もしかして、さっき体をくっつけた時、心臓の音を聞かれてしまったんだろうか。
俺がルルーシュのこと変な目で見たこと、気付かれた…?
「お、俺…」
じりじりと、後退りをする。
目の前がぐるぐるして、額から一筋の汗が頬をつたう。
「……ご、ごめん――…!」
それから、俺はルルーシュから逃げるように道場から飛び出した。
後ろからルルーシュの呼ぶ声がしたけど、聞こえないふりをした。
荷物を置いてきたままだとか、まだ着替えていないとか、裸足だとか、もうそんなことは一切気にしないで俺は走った。
なんで俺、こんなにルルーシュにどきどきしてるんだ?
なんでこんなに…胸が苦しいんだ?
ルルーシュ、ルルーシュ。
ずっと、ルルーシュのことばかり。
頭の中が混乱して、何も考えることができない。
ただ必死に足を動かして、走って。
息が切れるまで、俺はひたすら全力で走り続けた。
それが、恋だと気付いたのは。
もう少し後のことだった。
end.
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