「お兄さま…私、やっぱり降りた方がいいんじゃ…」
「だ、大丈夫だよ、ナナリー…。もうすぐ……着く、から…っ」
ぜぇぜぇと息を切らしながら、背中に向かって返事をする。
背負ったナナリーを落とさないように、抱えていた腕をもう一度しっかりと持ち直した。
煌めきノスタルジア -僕は死に、そして-枢木神社の階段は、何度上っても慣れなかった。
勾配がきつくて、一人の時ですら一気に上がれた試しがない。
ナナリーには心配させまいとついああ言ってしまったけど、本当はまだ石段の三分の一にも辿り着けていなかった。
ミーン、ミーンと、囃し立てるように蝉が鳴き騒ぐ。
うるさい、そんなに急かさなくたって、こんな階段すぐに上りきってみせるさ…!
上を見上げれば、まだまだ長い道のりがずらりと立ちはだかっていた。
天辺にある真っ赤な鳥居も、あんなに小さく見える。
午後の日差しも容赦なく照りつけ、ゆらゆらと足元に陽炎が浮かび上がる。
汗を拭うことすらできないので、額から流れ落ちる汗が一滴、ぽたりと地面を濡らした。
僕は重い足を必死に動かして、再びその段差を上り始める。
一段、また一段と、ゆっくりだけど確実に上へと進んでいく。
階段のすぐふもとではSPの人間がいつものようにこちらの様子を黙って監視していたけれど、僕は絶対に助けなんて求めたくはなかった。
大事な妹を触らせたくなかったし、第一、元々あいつらは頼んでもそういうことはしない連中だった。
それに何よりも。
僕自身が、誰かに力を借りるのが嫌だった。
僕は、死人になんかなりたくない。
他人なんかに頼らず、自分の力で生きるんだ。
洗濯も綺麗にできるようになったし、料理だって大分慣れてきた。
もう一通りのことは、一人でできるようになったんだ。
だから、ナナリーのことも僕が。
僕一人の力で、守ってみせるんだ…!
「はぁ…、はぁ…」
「お兄さま…。せめて少し、休憩しませんか?すごく、疲れてるようですし…」
「へい、きだよ。早く帰らないと、日が、暮れてしまうし…」
「で、でも…」
強がりを言って見せるが、足がガクガクと震えてしまっている。
ナナリーもそれに気付いているようで、不安そうな声で僕の背中にしがみついた。
段々、足を動かすことよりも止まっていることの方が多くなってくる。
足元に伸びていた二人分の影も、随分と長くなってしまっていた。
ナナリーを支えている手が、びりびりと痺れ始める。
それでも。
それでも、僕は……っ。
「ルルーシュ!」
突然、頭の上から聞き慣れた声がしてはっとする。
驚いて顔を上げると、そこには、スザクが立っていた。
階段の何十段も上のところから、こちらを見下ろしている。
そしてこちらが声がかけるよりも早く、その距離を一気に駆け下りてきた。
「遅いから、心配したんだぞ…!」
「…スザク、さん」
スザクの声がした途端、ナナリーが嬉しそうに微笑んだのが分かった。
胸が、ちくりと痛んだ。
「二人で病院へ行くって出かけてからなかなか帰って来ないし、探しても上には車椅子しか置いてないし…。お前、こんなところで何やってるんだよ」
「……見れば、わかるだろ。階段を上ってるんだ」
まだ、半分くらいしか上れてないけど…。
僕は下を向いたままそう呟いた。
「そんなところでいつまでもふらふらしてたら、危ないだろ?俺が代わりに、ナナリーをおぶってってやるよ!」
そう言って、スザクは僕の背中からあっという間にナナリーを奪ってしまった。
最初は自分以外の者にナナリーを任せるのに抵抗があったが、スザクの言う通り、ずっとナナリーを階段の上にいさせるのは危険だと思ったので、そのまま素直に受け渡した。
他の人間だったら絶対に嫌だけど、スザクだったらなんとなく許せるような気もした…。
「あの…よろしくお願いします、スザクさん」
「いいって。気にするなよ」
スザクが、ナナリーを背負ったまま勢いよく階段を上がっていく。
まるで一人で上るのと変わらないスピードで、軽快に足を走らせる。
二人の、楽しそうに笑う声が聞こえた。
僕はその間、その場に黙って突っ立っていることしかできなかった。
…悔しかった。
僕の力じゃ、ナナリーを不安にさせることしかできないんだ。
きっと、スザクと一緒にいた方が、ナナリーだって楽しいに決まってる。
おんぶをしている二人の後ろ姿を、じっと見つめる。
何故だかわからないけど、それが羨ましく感じた。
結局、僕は自分の力じゃ何もできない、弱い人間なんだ。
なんだか急に、心にぽっかりと大きな穴が開いたようだった。
スザクとナナリーの姿がどんどん小さくなって、そのまま鳥居の奥へと消えてく。
よかった。
無事、境内まで辿り着いたみたいだ。
「……なんか。疲れたな」
石段の上に、すとんと座り込む。
一気に体中に疲労感が襲ってきて、あちこちの筋肉が悲鳴をあげていた。
呼吸もまだ整わなくて、肩が大きく上下する。
そうだ…。早く帰って、晩ご飯を作らなくちゃ…。
ナナリーもきっと、お腹空かせてるだろうな。
うずくまって動けないままそんなことを考えていると、ふと人の気配がして、視線だけで後ろを振り向いた。
「…なんだ、わざわざ僕を笑いに来たのか?こんな階段も上れない、情けないやつだって…」
ふっ、と自分を嘲笑うかのように、僕は後ろの影に向かってそう言った。
そうでもしないと、今にも泣き出しそうな心が、壊れてしまうような気がして。
だけど、スザクはそんな僕を普段みたいにからかうことはせず、ただ黙ってじっと見つめているだけだった。
そして僕の隣に来ると、くるりと背中を向けてそこにしゃがみ込んだ。
「ほら。乗れよ、ルルーシュ」
そう言って、スザクは後ろ向きのままこちらに腕を広げている。
僕は訳がわからず、呆然とする。
これじゃあ、まるで…。
「おんぶしてやるって言ってるんだ。早く、しろよ」
後ろから少しだけ見えるスザクの表情は、なんだか照れくさそうだった。
「で、でも…」
「いいから、乗れって。くるるぎすざく号だぞ」
…くるるぎすざく号って、一体なんだ。
「僕は…ナナリーよりずっと重いぞ?」
「そんな細っこい体して何言ってるんだよ。俺は体力バカらしいから、ルルーシュの一人や二人なんて、余裕だぞ!」
スザクがころころと転がるボールのように笑う。
僕は、おずおずとその肩に手を乗せてみる。
するとスザクが、がばっと僕の足を抱えて背負い始めた。
「うわっ!?」
「ちゃんと、落ちないようにつかまってろよ?ルルーシュ」
そうして、スザクは再びすいすいと歩き出した。
先程ナナリーを送っていった時とは違って、今度はゆっくりと上って行く。
僕は言われた通り落ちないようにと、スザクの前に回している腕にぎゅっと力をこめた。
「……スザクは、すごいな」
「なにが?」
「こうやって人を乗せているのに、こんなきつい階段も楽々上っていく」
そう。
ついさっきあんなに激しく駆け上っていったばかりなのに、戻ってきた時もまったく息が乱れていなかった。
相変わらずの、体力バカで。
「それに比べて、僕は…。結局。なんにも、できなくて」
己の無力さを改めて思い知らされて、自分で自分が嫌になって。
今もこうして、人の世話になってしまっている。
また僕は人に生かされているのかと、嫌気がさした。
悩めば悩むほど気分が落ち込んできて。
スザクの小さな背中に、僕は静かに顔を沈める。
やがて。
ずっと黙って聞いていただけだったスザクが、ぼそぼそと口を開いた。
「……なんでもかんでも、自分一人でやろうなんて思うなよ」
「え…?」
一瞬、何を言ったのか理解できなくて、思わず顔を上げる。
「お前はもっと、人を頼っていいんだよ」
スザクが、ちょっと怒った口調で言った。
歩調を緩めることはせず、歩きながらその言葉を続ける。
「ルルーシュは、なんで全部自分でやろうとするんだ。人は誰だって、できないことだってあるじゃんか。俺だって、バカだからルルーシュがいないと、わからないことばっかだし…」
「…スザ、ク?」
「なんで、ナナリーを一人でしょって階段を上ろうとしたんだよ。ルルーシュは体力ないくせに、あんな無茶して……」
「でも…」
「なんで?どうして、俺を頼らないんだよ…っ!」
突然大声を出されて、僕はビクッと体を強張らせる。
ずっとテンポよく階段を上っていた足が、急にぴたりと止まった。
「……もっと、俺を頼ってよ。ルルーシュ…」
掠れた声で、スザクがぼそりと呟く。
ぎゅっ、と太腿を抱えている腕の力が強くなった。
後ろからじゃ、スザクが今どんな顔をしているのかまでは分からなかった。
「スザク…。僕は…」
「な、なんでもない。上でナナリーが待ってるから、早く戻ろうぜ!」
慌ててスザクが歩き出す。
今度はさっきより少し速く階段を上っていく。
照れているのか、耳が赤くなっていて。
僕は、そんなスザクを見て。
凍りついていたなにかが、融けていくような気がした。
「……お前がいないとさ、つまんないんだよ」
「え?」
スザクが、拗ねた声で呟いた。
「俺、ルルーシュと遊べなくてすっごく退屈だったんだぞ。ルルーシュは、誰からも必要とされてないんじゃないんだからな…。そこんとこ、わかっとけよ」
「スザク…」
「…だから、その。もう変なこと考えたりするの、やめろよな…」
必要とされている?
人にそんなこと言われたの、生まれて初めてだ…。
「ありがとう、スザク……」
スザクの茶色のくるくるの髪の毛が歩くたびに頬に当たって、くすぐったかったからか。
僕は思わず、口元をほころばせた。
「やっと、笑ったな」
「僕…、今笑った、か?」
「うん、笑った。俺、笑ってるルルーシュの方が好きだぞ」
後ろを向いていて顔が見えないのに、スザクは自信満々に笑ったという。
僕は自分でも今どんな顔をしているのかわからなくて、手で頬をなぞった。
「…ナナリーがさ。ルルーシュに、ありがとうだってさ」
「……え?」
「いつも自分のために頑張ってくれるルルーシュが、大好きだって」
「…………っ」
涙が、出そうだった。
僕は泣いてるところなんかスザクに気付かれたくなくて、慌てて目をゴシゴシと擦った。
スザクの背中が、あったかい。
僕はもしかしたら、さっき。
ナナリーを背負うスザクじゃなくて、スザクにおんぶしてもらってるナナリーの方が羨ましかったのかもしれない…。
自分もこうして、スザクに甘えてみたかったのだろうか。
頼ってくれていいと言ってくれたことが、嬉しかった。
なんでも一人でやろうとするなと言ってくれたことが、嬉しかった。
一人じゃないんだと言ってくれたことが。
嬉しかった…。
僕はずっと、誰からも力を借りないことが、生きることなんだと思っていた。
でも今は…。
自分を心配してくれて、必要だと言ってくれる人たちがいる。
お互いに支え合っていくことだって、立派に「生きる」ことだと。
そう、思えるようになった。
スザクの言葉は今日、僕に。
新しい生を与えてくれたのだった。
鳥居をくぐって、その先の砂利にスザクが足を踏み入れる。
すると、ずっとそこで待っていてくれたのか、ナナリーの姿がすぐに見えた。
「お帰りなさい、お兄さま」
「…ただいま。ナナリー」
車椅子に乗ったナナリーのもとへ、僕を乗せたスザクが駆け寄る。
くたくたになって格好悪い僕を、ナナリーはただ優しく微笑んで出迎えてくれた。
「くるるぎすざく号、終点到着でーす」
スザクがまた大真面目にそんな冗談を言うので、僕はぷっと吹き出してしまった。
ナナリーとスザクも、それにつられて笑う。
枢木神社の境内に、3人の子供の笑い声が重なりあった。
ナナリー。
僕は、決めたよ。
僕はこの枢木スザクと、一緒に「生きる」と――…。
end.
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