猫ごっこ 5
小さな空間に、ひとつだけの窓。
床には、だらしなく脱ぎ散らかっている服。
年季の入った壁には若干ひびが入っていて、お世辞にも良い部屋とは言えないところだった。
だが、俺は緊張していた。
「ごめんね、汚い部屋で…」
部屋の主が、恥ずかしそうに片づけを始める。
そう、ここはスザクの寝泊まりしている部屋なのだ。
緊張しないわけがない!
室内をぐるっと見回してみる。
初めて入る部屋なのに、あたり一面スザクの匂いがしてドキドキした。
部屋の隅に立ち尽くしたまま動かない俺を見て、スザクが困ったように笑う。
「ルルはこんなとこ来るの、嫌だったかな?」
そんなことないぞスザク!
むしろその逆だ。
なぜ俺がスザクの部屋に来ることになったのかというと、それは数時間前にまでさかのぼる。
「じゃあ僕、そろそろ帰るね」
日が傾き始めたころ、唐突にスザクが別れを告げた。
え?と俺は顔を上げる。
「今日は午後から軍の仕事が入っていて、そろそろ行かなくちゃいけないんだ…」
軍…。
スザクは軍人だから、学校が休みでも仕事がある。
「…って。こんなこと言っても、猫の君にはわからない…か」
違う、わかっている。
わかってはいるが。
包み込まれた温もりが、妙に名残惜しくて。
行かないでほしい。
一人にしないでほしい。
猫になって不安でしょうがなかったのか、俺はスザクの足にしがみついた。
「ごめん、ルル…。また明日来るから…」
ずるずると引き摺られている俺を、スザクがそっと引き剥がす。
あっけなく離されるが、俺は諦めずにその後もスザクを追いかけた。
歩くのが速いスザクを必死で追いかける。
途中、スザクが振り返る。
俺も立ち止まる。
また歩き出す。
再びそれを追う。
もう一度後ろを振り返る。
そしてまた歩き出す。
それを何度か繰り返したあと、スザクがはああぁ、と長い息を吐く。
「…ルル、可愛すぎるよ」
堪らない、と呟いて俺の方を向いた。
「お持ち帰り、してもいいかな?」
お、お持ち帰りだなんて。
スザクのやつ、大胆なことを…。
「我慢してたけど、もう無理。僕は、君を飼うことに決めた!」
こうして、俺はスザクの世話になることになった。
軍の仕事はあまり時間かからないと思うから、と言われて俺はスザクが戻るまで部屋の外で待っていた。
ようやくスザクが帰宅したのは、すでに夕方に近いころだった。
扉の前に座る俺の姿を見てほっとしたのか、安堵の声を漏らした。
そして今に至る。
スザクがコンビニの袋から弁当を出し、テーブルの上に置く。
安くてボリュームはあるが、決して栄養価の高くないものだ。
毎日、こんなものしか食べてないのか…。
俺はあまり使われている形跡のない台所を見て、そう思った。
せめてサラダとか、少しは野菜も食え、この馬鹿!
「ちゃんと、君の分も買ってきたんだよ」
楽しそうにビニール袋から牛乳パックを取り出す。
昼間の自販機で買った小さいサイズではなくて、1リットルの大きなパックだった。
つまらない意地のせいで、結局俺はこれしか飲めないのでありがたい。
そのあと少し値段の高い猫缶も出されたが、すかさずそれを袋の中へと蹴り戻した。
…値段の高い安いの問題じゃない。
仲良く並んで食事を済ませ、それからスザクは風呂に入りに行った。
俺は猫だから、当然風呂には入らない。
なので、適当に毛繕いなどをしながらスザクが出てくるのを待った。
しばらくして、湯上がりのスザクが戻ってくる。
ようやく出たか、とスザクの方をちらりと見れば。
『っ!?』
スザクが、下着一枚の格好で現れたのだ…!
頭にタオルをかけてはいるが、髪をよく拭いていないのか、ぽたぽたと雫がこぼれ落ちている。
肌はほんのりとピンク色に火照り、しなやかな肢体が惜しげもなく露になっていた。
『目の、やり場に困る…』
上半身は裸。
その上、ボクサーパンツが体のラインをくっきり見せている。
俺は、視線を逸らしながらも完全に動揺を隠せずにいた。
「あー、いい湯だったぁ」
スザクはご機嫌なようで、鼻歌なんかを口ずさんでいる。
人の気も知らないで、相変わらず呑気なやつだ。
俺だって、見たくて見てしまったんじゃない。
スザクが見せてきたんだ!
いわゆる、不可抗力というやつだ。
しかし、乱れた心拍は未だにおさまらない。
普段のスザクとは違って、その、なんていうか…。
色気が、あって。
「どうしたの?ルル」
様子のおかしい俺に気付いたスザクがこっちを向く。
うるさい!
何でもいいから早く服を着ろ!!
心臓がうるさいのは、いつだって全部お前のせいだ。
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