猫ごっこ 4


 

「せっかく仲良くなったから、名前をつけようか」


突然そんな提案を口にしたのは、スザクだった。



名前、というのは俺、つまり猫の愛称を考えようとしているのだろう。

スザクはよく手入れされた芝生の上に座り、ゆったりとあぐらをかいていた。

俺はというと、そのスザクの膝の上に乗ってちゃっかりと寛いでいる。
猫だからこその特権、いわゆる職権乱用というやつだ。


「実はね、もう決まってるんだ」

そう言って、スザクは俺の方を見て微笑んだ。


ほう。
どうせスザクのことだから、タマだとかクロだとか単純な名前しか思いつかなそうだな。
日本人の考える猫の名前なんて、大体相場が決まっている。

俺は特に期待もせず、スザクの言葉の続きを待った。



「ルル。…なんて、どうかな」

『!』


俺ははっと見上げた。
今、なんて…。



「僕の友達に、ルルーシュっていう子がいてね。君とそっくりなんだ」


ルルーシュ。俺の、名前。


「君と同じように黒い艶髪で、紫色の瞳をしていて。…あ、ちょっと意地っ張りなとこも似てるかな」

頬を少し赤らめて、照れくさそうにスザクが言う。
なんでお前が照れるんだ。恥ずかしいのはこっちの方だ!


「ルルーシュはね、女の子からは呼ばれても平気なくせに、僕にはルルって呼ばせてくれないんだ。だから、せめて君のことをルルって…呼ばせてね」

顔は笑っているのに、寂しそうな声だった。



別に、俺はスザクに疎外感を与えたくてその呼び方を許さなかったわけじゃない。
お前には、いつも名前を最後まで言ってほしかっただけなんだ。

ルルーシュって発音するときの唇の形が好き。
ルルーシュって呼ぶやわらかい声が好き。

少しでも長く、俺のことを呼んでいてほしくて。



でも、ルルって呼ばれるのも悪くはない…かな。

スザクがそこまで言うなら。
俺は答える代わりに、顔をスザクの足に擦り寄せた。


「…ありがとう、ルル」

耳元で囁かれ、心臓音がばくばくと乱れていく。
名前ひとつで、なんていう破壊力だ。
恋というものは、恐ろしい。





「そうだ!ルル、お腹は空いてないかい?」

お腹、と聞かれて思い出す。
そういえば、朝食…まだとっていなかったな。

朝起きてすぐこんな姿になってしまって、それどころではなかったのだ。

ナナリーも一緒にご飯をと誘ってくれたが、あの時はばたばたしていて結局何も口にしていなかった。

「アーサーには会えないみたいだし、これはルルが食べていいよ」

スザクは持ってきた袋の中をガサガサと漁り、猫缶と食器を取り出した。



パキッ、と軽快な音を立てて缶のフタが開き、俺の目の前に差し出される。
マグロの香ばしい香りに、鼻がヒクヒクと反応する。

猫缶…。
お腹も空いているし、食べたい。
見た目もとてもおいしそうだ。

体も、すぐにでも食べたくてうずうずしている。
実は涎もちょっと垂れてきている。


でも、俺の中のプライドが、それを口にすることを許せずにいた。


『くっ。俺は、完全に猫になったわけじゃない…』

猫の、エサなど…。
立場を利用していることはあれども、身も心も猫に成り下がってしまうわけにはいかなかった。


『猫缶を食っていいのは、猫になる覚悟のあるやつだけだ…!!』


これを食べたら、別の意味で人間に戻れなくなる。
そんな気がして。





俺がいつまでも凝視し続けたまま動かないでいるので、スザクが心配そうに覗きこむ。

「この猫缶、好みじゃなかった…?」


違うんだスザク!
好みとかそういうんじゃなくて。

これはそう、俺との戦いなんだ!


しかし、せっかく丁寧にお皿にのせられたエサはもう長いこと観賞用となってしまっていた。

「ごめんね、こんな安いのしか用意できなくて…。次はもっといいやつを探してくるね」

無理して食べなくてもいいよ、と。
俺が悪いのに、スザクは笑って許してくれた。



「そうだ、ミルクだったらルルも飲めるかな?…ちょっと待っててね!」

そう言うと、スザクは校舎のある方向へと走っていった。
俺はひとりその場にぽつんと残される。


やがて、数分と経たない内にまた俺のところへ戻ってきた。
その手には牛乳パックがひとつ。

わざわざ、自販機のある校舎まで買いに行ってきてくれたようだった。

袋からもうひとつ食器を出して、そこに牛乳を入れてくれる。
きちんと洗ってくれているのか、猫用とはいえ清潔な器だった。


牛乳だったら、普段から飲んでいるし…。

俺は、ミルクをひと舐めした。

『…、うまい』

本日初めて口にしたそれは、まだ冷たくておいしかった。
皿の前でお行儀よく前足を揃えたまま、俺は夢中になって飲み続けた。


「よかった、気にいってくれて…。安心したよ」

ほっとしたようなスザクの声が、上からかけられる。
なんだか迷惑をかけてしまったな、と俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



気がつくと、皿の中は空になっていた。
もっとよこせ、と俺は催促するようにスザクを見上げる。

「はいはい。ほら、ルル。たくさん召し上が……、あぁっ!?」

変な風に力を入れてしまったのだろう。

おかわりを入れようとしたスザクの手に、パックの牛乳が飛び散った。


「あ、ちゃー…。残り全部、こぼしちゃった…」

ごめんねルル、と残念そうに謝って、ズボンのポケットからハンカチを取り出す。

そのまま汚れた手を拭こうとするので、


――もったいない。


そう思った俺は、スザクの手にこぼれたミルクを舌で舐めとった。



「ル、ル…?」

自分の指をぺろぺろと舐める俺を見て、スザクは目を見開く。

俺自身、無意識にとってしまった自分の行動に驚いていた。


『あ…。俺、なにを、して…?』


スザクの指を、舐めてしまった。

その事実が頭の中に反芻して、羞恥のあまり耳の先まで熱くなるのを感じた。



スザクはくすぐったそうに笑っているが、それは俺が猫の形をしているからだ。


もし、これが人間の姿だったら?

男同士なのに気持ち悪い、と幻滅されるのだろうか。

好意を抱いていることも知られたら、友達でいることも拒絶されてしまうかもしれない…。





ぺろりと自分の口元を舐めまわせば、甘いミルクの味がした。



苦すぎるビターな思いを胸に残して、白い液体はゆっくり胃の中へと溶けていった。










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