ささやかな諍い、何もかもを台無しにしかねなかった深刻なすれ違い、口喧嘩、無関心、無理解、等々……とても、等々なんて滔々と述べられるような内容ではなかったけれど、それは起こったことで、つまり、事実であって、否定は出来ない。だって起こったことを無かったことには出来ないものね。

「―――ね?」
「そうだね」

隣り合って座り合った横合いから頷きが返る。顔を見ようとして、首を動かして、でも、その視線を下方向にシフトさせる必要はない。目線は一緒。けれど起きているときとは違う目線。それは自覚している。

そうだね、と言って、さも当たり前のことのように頷きを返してくれた相手は記憶の中の少年の姿をしていて、いま現在のわたしは、その少年が瑛くんだと知っている。もう、知っている。何と言っても、今はもう“告白後”だったので。出会い直しと、灯台での告白、あれからもう2年も経っていたので。

だから、これは夢だ。何がどうなって、“だから”なんて、接続詞がこの場面で成り立つのか、心もとないけど、きっと夢だ。でなきゃ説明がつかない。記憶の海はあのときと同じ夕焼け色をしていて、波がきらきらと太陽の光を受けて金色に輝く。そうして幼い瑛くんが相槌を打つように続ける。きらきらとした、真っ直ぐな瞳で。何の疑いもなく、確固とした口調で微笑みながら。

「だって、きっと見つけるって約束したからね」

……。
それは随分と明後日方向に飛んだ合いの手だな、と思う。いくら夢の中の論理でも、これは流石に飛びすぎじゃないかな、って。

「そうかな」と彼。
「そうじゃないかな」とわたし。

「それでも」と彼は続ける。

「それでも、僕が言うことは一緒だよ。“きっと見つけるよ。君のことを”」
「……本当?」
「うん。だって、約束したからね」

目の前の少年の目は揺るぎない。何一つ、疑いの余地さえ入り込む隙間の無い明るい目。見つめられて、心もとなくなって――だって、これは夢だ、どうしたって、本当のことには思えない――思わず訊ねていた。

「……喧嘩しても?」
「うん、何があっても」
「ひどいすれ違いをしても?」
「平気だよ」と小さな瑛くんが言う。

記憶と寸分違わない、真っ直ぐな瞳をして。微笑みながら、まるで素晴らしいことを一つ一つ、教え込むように。この世には何一つこわいことも、ひどいこともない、きっと大丈夫だよ、そう思えるような、そんな希望にあふれた目をして。

いろいろなことを経由した、いま現在の冷静な頭のわたしは『そんなことはないよ』と咄嗟に呟きそうになる。同じような強さで『そんなこと、なくもないのかも』と目の前の視線に頷きを返しそうになっている。何せ、わたしは彼のこの目に恋をしたのだ。幼い恋ではあったけれど。

「きっと見つけるよ。何度でも」

それなら、安心してもいいのかな、と思う。彼がそう言ってくれるなら、きっと、って。わたしの頭の中の冷静な部分が告げている――これはわたしの夢だよって。それでも、やっぱり安心している自分がいる。きっとわたしの中の“彼”はそういう存在なんだろうと思う。ほとんど無条件に安心させてくれる人。わたしを必ず見つけてくれる人。

「それは、約束だから?」
「うん、約束したからね」
「必ず?」
「きっと」

まるで初めての出会いを再現するように、頷きと頷きを返しあう。わたしたちはこのようにして出会った。この海で。彼が見つけてくれた。季節はきっと夏で、海で、夕方だった。何度も同じ時を過ごした、この海で。視線を海へ向ける。水面の照り返しが眩しくて瞬きを繰り返すと、瑛くんが目を細めるようにして笑う。髪の先からしずくを滴らせて、「おみやげ」と言って、けれど、タコを投げつけるのではなく、上向けさせたわたしの手のひらの上に白い貝殻を乗せてくれる。いつかの記憶。起こったことは起こったこと。わたしは今も、この夢の外では、その白い貝殻を大切に持っている。

「ありがとう」

貝殻をそっと握り込んで瑛くんを見上げる。と、照れくさそうに目線を逸らされてしまう。幼い頃と違って、大きくなった瑛くんはこんな風だ。何故だろうなあ、少しだけ不思議。子供の頃はあんなに屈託が無かったのにね、そんなことを言えば、きっとチョップされてしまうだろうけど。「……おまえ今、すごく失礼なことを考えただろ」案の定、軽くチョップされてしまう。あまり痛くないのは夢だからかな。「ひどいよ」と恨めしげに見つめると笑顔が返る。少し意地悪そうな笑顔。でも、その奥に小さな頃と同じ輝きを見つけられる。ふ、と瑛くんが表情を緩めて言う。

「そろそろ、起きろよ」

どこからともなく響くような声と台詞。いつかの記憶の瑛くんと重なる笑顔に向け、わたしは頷きを返す。

「そうだね」

そろそろ起きなきゃ、ね。








「……あかり」

名前を呼ばれて瞼を持ち上げると、目の前に誰かいて、そのシルエットは記憶の誰かに似通っていて、視界が橙色に染まりそうなほど夕日が眩しいけれど、場所は講義室だ。海じゃない。

それじゃあ、やっぱり、さっきのは夢だったのかなあとようやく納得する。少し名残惜しい気がして、もう一度瞼を閉じたら「こら」と怒られてしまった。

「寝るな、起きろ」

夢に出てきた人と同じ声で、また“起きろ”と言われた。そうだね、起きなきゃいけないね。もう夕方だし、そろそろ帰らなきゃいけないね、って。

今度こそ目を開けて、少し乱暴な調子で「帰るぞ」と言う目の前の瑛くんに頷きを返す。 ――うん、帰ろっか。


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