――待っていたの、ずっと。




子供の頃、一度だけ、わたしは“人魚”だったことがある。

こんな話、誰かさんが聞いたら「メルヘンは勘弁」ってぼやきそうだけど、構わない。そもそも、その誰かさんも当事者である訳で……。
例え話でも、比喩でもメルヘンでもメタファーでも、おとぎ話でも何でも、どう受け取ってもらって構わない。あの日、交わした約束だけは本当のことだったのだから。

よく道に迷う子供だったらしい。両親の話によれば、という話。あの日、例によって道に迷ったわたしは見知らぬ土地で一人きりで、とても心細かった。一人の男の子が泣きべそかいて途方に暮れていたわたしを見つけくれた。

「どうして泣いているの?」

そう聞かれても泣いているせいで中々答えられなかった。すると、男の子は一体どんなお話を聞いて育ったらそうなるのか、「君は人魚なの?」なんて、突拍子もないことを聞いてきた。見上げた男の子の輪郭を夕日が金色に染め上げていた。眩いその色に目を奪われた。あれから何年も経って記憶が薄れて、やがて男の子の顔も、その男の子が誰だったのかさえ忘れてしまってからも、その時の輝きだけは覚えていた。海から届く夕焼けの橙色を受けて、輪郭を曖昧にしていた、男の子のシルエット――。


「必ず見つけるよ」って言ってくれた。約束もしてくれた。だから、わたしは――、






「……あかり」

呼ぶ声が聞こえて瞼を持ち上げてみると、鮮やかなオレンジ色の光を後光に射した男の子が視界に飛び込んできた。目の前の男の子と、夢の中の懐かしい男の子の輪郭が重なる。――あれっ? もしかしてまだ夢の続きを見てるのかな? ……考えるうちによく分からなくなって、試しにもう一度瞼を閉じてみたら、「こら」と不機嫌そうな声が降ってきた。

「寝るな、起きろ」

聞き覚えのある声。そろそろと瞼を持ち上げて、聞き返してみる。

「…………瑛くん?」
「そうだよ。つーか、何で疑問形なんだ」

呆れ混じりの返答。

「逆光で、よく見えなくって……」
「逆光? ああ、そっか」

瑛くんが体をどかすと、それまで瑛くんの体が遮ってくれていた夕日の光が目に刺さった。眩しくて堪らなくて、また目を閉じた。そうして、もう一度不機嫌な声のターン。

「こら、寝るな。いい加減起きろ」
「んー、まだ眠いよぉ」
「もう夕方だっての。ほら、起きろって」
「うーん……」

そこで少し悪戯心が起こった。

「じゃあ、瑛くんがキスしてくれたら起きようかな?」
「はっ?!」

机の上で組んだ腕に頬を持たせかけたまま、瞼を閉じたまま言ってみた。表情は分からないけど、慌てたような声が降ってくる。

「な、なに甘えたこと言ってんだ……!」
「だって、甘えたことがしたい気分なんだもん」

さっき見た懐かしい夢の名残かもしれない。酷く感傷的で、それでいて甘ったるい気分。何だろう、これ。駄々をこねて困らせようとしてるみたいな。子供じみた衝動だ。
古い机が軋む音がした。

「……瑛くん」
「何だよ?」

今度こそ瞼を持ち上げると、至近距離に瑛くんの顔があった。息もふれ合いそうな距離。

「……本当にしてくれるとは思わなかったな」

一瞬だけ、唇が触れた。一瞬って、本当に瞬き一つの間。うっかりしていると見過ごしてしまいそうな僅かな時間。でも、感触は残る。だから、見過ごすことなんてありはしない。
わたしの先の台詞に瑛くんが眉を顰める。

「……おまえが言ったんだろ」
「うん、そうだね」

あっさりと言って顔を上げる。

「嬉しいな」

言って、にっこり笑いかけると、瑛くんは絶句したような、言葉に詰まったような顔をして、しばらくしてから「……バカ」と呟いた。その苦しげな言い方に、どうしてか、胸が詰まる。かわいいなあ、なんて言ったら、本当にヘソを曲げられてしまいそうで、言えない。
瑛くんが横目に睨みつけてくる。恥かしそうな、バツが悪そうな顔。

「気は済んだか?」
「うん」
「じゃあ、帰るぞ」
「うん!」

一つ前の席に座っていた瑛くんが立ちあがる。もう一度、瑛くんの体が夕日を遮る。橙色の明るい光に瑛くんの輪郭が溶け込む。また小さな頃の思い出が戻ってくる。ふわふわとした、不思議な気分。――見つけてくれたんだね、と声にしないで胸の中だけで囁く。必ず見つけるよ、と言って子供の頃の瑛くんはわたしに魔法をかけた。あの日かけれらたキスの魔法は、きっとまだ有効なんだと思う。だって、今もこうして見つけて迎えに来てくれたのだから。

「ねえ、瑛くん」
「何だよ、まだ何か……」
「好きだよ」
「…………」
「大好きだよ?」
「…………いや、繰り返さなくていいから!」
「聞こえてないのかな〜って思ったから」
「聞こえてるよ! 何なんだよ、急に!?」
「別に? ただ、好きだな〜って」

わたしが首を傾げながら言うと、瑛くんは絶句したように口を開けてわたしの顔を見つめてきた。その顔が、夕日の赤い光に照らされていてもはっきりと分かるくらい、赤く染まっていた。ああ、かわいいなあ、とつくづく思ってしまう。

「帰るぞ!」

そう乱暴に言って背を向けてしまった瑛くんの後に続いて歩きだした。その広い背中に向けて語りかける。決して声には出さないで。――大好きだよ。あの浜辺で初めて会った時から。わたしを見つけてくれた時から、約束を守って迎えに来てくれた時から、ずっと、今も、これからも。



少女に会えた理由

(110812)


back / next
index


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -