おうちへかえろう



「寒い…………」

ヒーローはすっかりエネルギー切れだ。仕方ない。そういうことだってある。だって、あんまりにも寒すぎるから。

冬の空は暮れるのが早くて、それだけでもうダメだ。この季節特有の冷え切った空気と暗い空、枯れた葉も落ちて寒々とした姿の木々…………これ以上ないくらいセンチメンタルな気分になって、ぼやいてしまう。同じセリフを同じ調子でもう一度。

「寒い…………」

「寒いねえ」と美奈子。冬の海辺。陽が暮れてしまう直前の、ひと際暗い光の中、二人きりで歩いている。デート帰りのちょっとした寄り道。寄り道しようって自分で言い出しておきながら、もう後悔してる。少なくとも秋冬にこの場所の寄り道は向かない。俺の場合。寒いのは苦手だ。

美奈子は真っ白な息を吐いて顔の前で手をすり合わせている。寒い季節だ。鼻の頭と指の先を真っ赤にして、肩をすくめて手に息を吹きかけているにもかかわらず、美奈子は何だか温かそうに見えた。薄い色のウールのポンチョに赤い手編み風セーター、パッチワーク柄の長めのスカート、ブーツ、ニットキャップ……まるであったかいココアみたいな組み合わせ。見てるだけで温かくなる。けれど今日ばかりは寒過ぎてそうも言ってられない。現実に温かいココアがほしい。湯気を立てた、ヤケドしそうなくらい熱いやつ。

「っくしゅ」

隣りからくしゃみの音がした。すん、と鼻をすする音。目が合うと「へへ」と笑う。もしかしなくとも、照れ笑い。笑った拍子に美奈子の口からもくもくと白い息が舞って、綿あめみたいにふわふわと辺りを漂う。やっぱり美奈子は寒そうなのに寒そうに見えない。こいつだけ何かふわふわとして温かい空気に守られてるみたい。実際そうなのかもしれない。

「寒い?」
「うん。でも、琉夏くんはもっと寒そう」
「うん。死にそうに寒い」
「もう……」

笑ってみせたいけど、ちょっと笑えそうにない。顔の皮膚が寒さでつっぱっている。

「大体、琉夏くん薄着だもん。上着の前、ちゃんと閉めなきゃ寒いに決まってるよ」
「それはそうだけど……」
「だけど?」
「“ポリシー”ってやつ、かな?」
「もう!」

今度こそ本気で呆れ声の『もう!』。美奈子は自分に出来る限りのこわい顔をして見せたけど、全然こわくなんかなかった。それどころか、子猫が毛を逆立ててるみたいで、むしろかわいい。思わず笑いかけてしまいそうになったけど、ひと際凍てついた風が吹いて来たせいで、笑顔は空中で冷凍、すっかり心が挫けた。

「寒い……おうち帰る…………」

ぼやいたら、美奈子がおかしそうに笑った。寒さと関係なさそうなところにいるような、屈託のない笑顔。まるでココアみたいな格好で、クスクス笑って手を差し出してきた。

「うん。帰ろう、琉夏くん」

台詞に引き寄せられるように美奈子の手を取った。一瞬だけ、ひどく幸福な気持ちになった。まるで、本当に帰れるような気がした。ほんの一瞬だけ。それはマッチを擦った瞬間のじんわりとした光に似て、胸をほんの少しだけ温かくして、直に跡形もなく消えた。まるで幻だったみたいに。幸せの余韻だけを残して。夕日の最後の光が水平線に消える。

ちっぽけな手のひらはやっぱり俺と同じくらい凍えていて、二人して逃げるように家に帰った。――帰ろう。帰ろっか。オンボロでろくでなし共が集う、我らがWest Beachへ。愛すべき、我が家へ。とりあえずのところは。




2011.04.04/らららセンチメンタルラヴァーズ。

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