別れはこんなにも甘く切ない





――君の籠の鳥になりたい。
――けれど、可愛がり過ぎて死なせてしまうかもしれない。


これは恋人同士のバカな会話ととってもらってかまわない。実際そんなものでしかないだろうし、それを否定する気はさらさらないのだから。





ロミオとジュリエット。学園祭用に何かと省かれてしまった演劇の台本を前に美奈子は四苦八苦している。普段の大胆さは影をひそめ、たった一言にも動揺する始末。きっと演劇特有の大げさで大仰なセリフ回しのせいだ。

「ほらジュリエット、次のセリフは?」
「…………」
「もしかして、忘れちゃった?」
「わ、忘れてない……」
「なら言って。早く。ほら」

美奈子は丸めた台本を手にもじもじしている。そうやって照れている姿もすごくかわいい。けれどここでそんなことを言ったら更に赤くなってしまうだろうし、その後の展開も吹き飛んでしまうだろうから言わない。

「やっぱり忘れちゃった? 簡単なセリフだよ、“愛して――」
「待って、ストップ、琉夏くん!」

慌てて止めにかかる美奈子の顔は真っ赤で、いつもと逆だなあと思ってしまった。これはこれで面白くて仕方ないけど、こいつのこんな無防備な姿を人目にさらしてしまうのも癪な気がしたので、ほどほどにしておこうと思った。

「少し休憩しようか」
「……うん」

相変わらず顔を赤くしたまま美奈子は頷いた。
ティボルトとマキューシオ、ベンヴォーリオがいさかいの練習を続け(それにしてもコウに掴みかかるのはあんまりハードルが高いんじゃないか)、衣装チームがジュリエットの衣装で議論を続ける中(レースの位置一つとっても大議論だ)、教室の後ろに寄せられた机と椅子を引いて一休みすることにした。みんな練習に夢中で気づかないのかもしれないけど、もう夕暮だ。秋の陽の沈みは早い。

「多分、お前は真面目すぎるんだと思う」

――何のこと、という風に美奈子が首をかしげる。「劇のこと」と付け加える。「そうかしら」と返事が返る。

「そうだよ。劇なんだって割り切っちゃえばいい」
「琉夏くんはそうしてるの?」
「俺? まあね、割り切ってる」

黒目がちの目がもの問いたげに見上げる。この目に弱い。昔からずっと。
本当はベンヴォーリオあたりがよかった。ロミオの悪友。あるいはグレゴリかサムソン。あいつらの冒頭のやり取りは悪ふざけの極みという感じでばかばかしくて好きだ。けれど、この劇ではグレゴリとサムソンは出番からして削られてしまっている。それじゃあ、ロミオの親友役を……という意見は却下された。多数決の勝利。
パリスも捨てがたいって意見もあったけど、それはこっちから願い下げだ。ああいうのは向いてない、いや、本当に。
らしい、らしくないの。向き不向き。俺はバカ話ばかりしてる悪友とか、そういうので良いんだけど、それのが良いんだけど、と思うんだけど、その意見は多数決で否決されてしまった。
悲鳴と「ごめんなさい!」という声が響いて、そっちの方を見るとベンヴォーリオが青ざめてティボルトに詫びていた。ティボルト……もとい、コウはバツの悪そうな顔をして頭を掻いている。多分、あんまり様になっていて怖がらせてしまったパターン。だからベンヴォーリオは俺がやりたかったんだよなあ。コウとやりあえるのはこのクラスで俺ぐらいだと思う。

「大丈夫かな……」

美奈子が心配げに様子をうかがっている。「大丈夫だよ」と笑いかけた。――コウは大丈夫。むしろ俺が出ていかないほうがいい。今だってほら、不器用に謝っている。謝られた相手もどこか安堵したような笑みを返す。3年。長くもないけど、決して短くもない期間。コウは変わったし、周りの印象だって随分変った。あいつは本当は人に好かれる性質だから、本当は大丈夫なんだ。……相変わらず好かれるのは野郎どもばかりなのがアレだけど。

「……ロミオってさ」
「うん?」
「ヤな奴だなーって思うんだ」
「え、えええ……」
「いけすかない。できれば殴ってやりたい」
「琉夏くん……」
「男らしくないんだよな。それがだめだ」
「そんなことないと思うよ」
「そんなことあるよ。大体、こいつは最初別な女の子に惚れてるんだ。で、ジュリエットに一目ぼれしたとたん、その子のことはすっかり忘れてしまう。いくらなんでも鳥頭すぎると思わない?」
「それは……」

――ああ、揺らいでる、揺らいでる。本質的に真面目だから、ロミオのそういう面をフォローしきれないんだろう。

「全然共感できない。でもさ……」
「?」
「共感できなくもないところもあるんだ」
「え、どこ?」

そう言って美奈子は顔を寄せてきた。こっちの台本を覗きこむようにして、近づいた顔にわざと視線を合わせて台詞を言って聞かせた。

「“このままあなたをさらってしまいたい”」

黒い大きな瞳が瞬きもしないでこっちを見つめていて、少し居たたまれない。見つめ返していたら美奈子の顔がみるみる赤く染まった。

「もう! 琉夏くんは、すぐそういうこと言うんだから……」
「そういうことって?」
「その、からかうようなこと、ばっかり……」
「からかってなんかいないよ? いつも思ってる。学校の帰り道、デートの帰り、お前と離れなくちゃいけないとき、俺はいつもそう思っているよ。もっと一緒にいたい。まだ帰したくない。“このままあなたをさらってしまいたい”って」

美奈子は何度も瞬きを繰り返している。その目尻と頬は真っ赤に染まっている。窓から射す夕日の色ばかりのせい、という訳じゃなさそうだ。

「……もう!」

お決まりの台詞と仕草が出て、すっかり満足した俺の耳に『今日はそろそろ解散!』というクラスメイトの声が聞こえた。今日はここまで。続きはまた明日。あくまで劇の稽古のこと。


* 


「琉夏くんと一緒にいると、こっちの心臓がもたないよ……」

学校の帰り道、美奈子はぼやくように言う。

「なんで?」
「なんでって……なんででも!」


まだ少し顔が赤い。そんなに言いすぎたかな? でも、そうは思わない。俺のさっきの言葉よりも凄いことをいつもしてるくせに。

「俺よりさ……」
「?」
「普段の美奈子のが、もっとスゴイよ?」
「スゴイってなんのこと?」

きょとんとした顔で見上げる顔に思わず苦笑してしまう。

「自覚がないんだもんなあ。敵わない」
「もう! なんのこと?」
「デートの帰りのスキンシップ、とか」
「……そんなに、触ってないよ?」

幾分、弱気な返答。あ、少しは自覚してるのかな? それとも、最近交わすデート帰りの会話のせいかもしれない。触られるのは嬉しいけど、なんていうか、あんまり触られ過ぎるとこっちも理性を保つ自信がなくなるから、最近は少し厳しいことも言うようになった。

「よく言うよ。あんなにスゴイことしておいて」
「し、してないよ!」

顔を真っ赤にして「そんなことしてない」と言い張る美奈子は今日も今日とて、もの問いたげな瞳でこっちを見上げ、見上げる相手を骨抜きにしている。自覚なしに。
手の中には美奈子の小さな手があって、最近では美奈子の方から繋いできてくれるのが、当たり前になっている。そういうことも、多分、美奈子は自覚していない。全く、なんて愛しい、可愛い、俺のジュリエット。無垢なお前を怖がらせないよう、こっちは自制を続けている。――別れ際はこんなにも甘く切ない。これは、劇中のジュリエットのセリフ。けれど本当にその通りで胸に痛い。わからないことだらけのこの劇の中で、別れ際の恋人たちのセリフだけはわかりすぎるくらいによくわかって、胸に痛くて仕方がない。なんて甘い胸の痛みだろう。



parting is such a sweet sorrow.(別れはこんなにも甘く切ない)
2011.01.05

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