02.入試前夜



あれから佐伯くんの携帯は繋がらない。
話し中なのか、それとも電源が入っていないのか、ツーツーという味気ない音を聞くたびに、彼との距離が随分と遠ざかってしまったことを実感させられる。繋がらない受話器に向かって話しかけてみる。
「…………明日は入試だよ、佐伯くん」
佐伯くんはもう傍にいない。遠く離れてしまって、たぶん、同じ未来を歩むことは望めないのかもしれない。
(――親の勧める大学に行くって言ってたしね……。)
だから、あの海での『さよなら』以来、わたしの足もとはとても不安定で仕方ない。まるで急に足場を失ってしまったみたいに。――このまま進んでいいのかな? この道で大丈夫なのかな? わたしは今まっすぐ歩けている? こんなに、自分が弱いなんて知らなかった。
でも。
それでも進まなきゃいけない。前に。先に。未来に。
同じ道を歩むことは出来ないかもしれない。歩く道の先に佐伯くんはいないかもしれない。けれど、歩くのを止めることはできない。だってほら、まかり間違って、わたしの歩く道とあなたの歩く道がいつか繋がってしまう……なんてことも、もしかしたらあるかもしれないでしょう? 歩くことを止めなければ、そんなことだって望めてしまうかもしれないから。
「だから、明日、がんばろうね」
――ね、佐伯くん。
どこにいるとも知れない、何をしているのかも知れない彼に向かって囁く。決して相手に伝わることのない電話越しに。この声が電波に乗って伝わることはないけれど、何か伝われば良いと思う。
携帯を耳にあてたまま見上げた窓の外は、もう夜だ。

――この道を進む先にあなたがいてくれたらいいって、そう思うから。だから、わたしは自分の信じる道をこのまま進もうと思うよ。



あれからあいつには会っていない。顔さえ見ていない。当たり前だ。自分から逃げるようにあの街から離れて、電話も繋がらないようして、遠ざかって。全部自分でしたことだ。全部、俺が一人で決めて、一人で起こした行動だ。
(――さよなら。)
最後に見たのは泣きそうな顔だった。あんな顔をさせたかった訳じゃない。全部諦めるために、最後だと思ってああして会ったのに、あの顔を見たらやっぱり忘れられなくなった。
机の上に置いたままの封筒に目を向ける。
差出人の名前欄には「若王子」とある。数日前に届いた。頼りないとか年齢不詳、正体不明だとか、いろいろと散々な言われようをしていた先生だったけど、結局、あの人は俺の担任だったんだって、最後まで担任でいてくれようしたんだ、と封筒の中身を確認して、思った。
事務的な封筒の中には受験票が封入されていた。願書自体は、あんなことになる前に出していたから、若ちゃんが気を使って届けてくれたんだろうと思う。
封筒の横、机の隅にはガラス細工が置いてある。本当は全部、捨ててしまおうかと思った。けど、これだけは、捨てきれなかった。手元に置いておきたかった。まるであの昔話の人魚みたいなガラス細工……昔、小さい頃に一度だけ会った人魚みたいに――、
(でも、僕なら必ず見つけるよ)
「そうだな……」
顔を上げる。窓の外はもう夜で、空は真っ暗だ。見える空も星も月も同じだ。街が変わっても、それは変わらない。でも、ここには海がない。波の音も、潮の香りもしない。
「明日、受験だな……」
本当はまだ諦めたくなんかない。諦められるわけがない。だってそれは、ずっと欲しかったものだ。大切にしたかったものだから。
だから、やっぱりまた会いに行くよ。おまえに。探しに行くよ。もしかしたらもう忘れられているかもしれないけど、俺は忘れていないから。約束を果たしに行くから。
「だから、おまえも頑張れよ?」

――同じ空は見ていないかもしれない。同じ道を見ていないかもしれない。でも、君に会いに行くよ。逢いに、行くから。


2010.12.24
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