08.甘いもの



柔らかくふれ合わせていた唇を離し、佐伯くんは舌先で自分の唇を舐めて不思議そうな顔をしている。どうしたのだろう、と見上げてみる。息がふれ合う距離のまま、彼は小さく呟いた。

「…………甘い」

もう一度、赤い舌先で自分の唇を舐めている。その舌の動きに目を奪われる。恥かしくなって目を伏せた。

「やっぱり、甘い」

確認するように、もう一度言って、佐伯くんはわたしの頬に手を当てた。顔を上向けさせられ、距離が詰まる。キスされるのかと思って反射的に目を閉じそうになった。けれど、

「おまえの唇、あまい」

そんなことを言われて、閉じかけた瞼を持ち上げた。ぱちぱち、まばたきを何度か繰り返す。あんまり見つめたせいか、佐伯くんはひるんだように上体をのけ反らせた。

「な、なんだよ……」
「佐伯くんって、結構乙女ちっくだね?」
「……ばっ!」

刷毛で朱色を乗せたみたいに佐伯くんの頬が赤く染まった。なんて素直な反応。思わずくすくす笑ったら、「バカ」とふてくされたように言われた。頬を軽くつままれる。

「……ひたいよ」
「……おまえが、バカなこと言うからだ」
「佐伯くん、だって」
「俺は言ってないだろ」
「わたしの口が甘いって、さっき」
「……っ!」

佐伯くんが言葉に詰まったような呻き声を上げた。ああ、ほんと、分かりやすいなあ。こんなに分かりやすい人だったんだなあ。4月に初めて彼と出会ったときのわたしに教えてあげたいくらい。

「……ほんとうに甘かったんだ」

そうして言葉に詰まりながら、顔を真っ赤にしたまま、言った。

「そうなの?」
「そうだよ。なんか、花の蜜みたいな甘い味がする。すっごく甘い」
「……蜜? あっ」
「?」
「リップのせいかな? 確かハチミツのやつだったと思うんだけど……」
「ハチミツの? リップにハチミツが入ってるのか? でも、味まで甘いわけ……」
「どうだろ? わたしは舐めてみたことないから……でも、おいしそうな匂いがするリップだから、舐めたら甘いのかも」

佐伯くんはしばらくわたしの顔を見つめていたけど、やがて気の抜けたような、がっかりしたような声を上げた。

「…………なんだ、リップの味か」
「?」
「俺、てっきり、おまえの唇の味かと思って……なんだよ、ドキドキして損した」

そうして、そんなことをぼやいてる。ああもう、全く、この人は――、
頬に添えられたままの手のひらに自分の手をそっと重ねる。

「佐伯くん」
「なんだよ」
「佐伯くんって、ほんっと乙女」
「な、なんだと!」
「あんまり、かわいいこと言うんだもん。こっちが照れちゃうよ」

そう告げて、口づけをねだるように顔を上に向け、瞼を伏せた。瞼越しに、花も恥じらう乙女のようにうろたえる彼の気配を感じながら、じっと口づけられるのを待つ。やがて空気が動いて、花びらにそっとふれるようなキスが降ってきた。ふれ合った唇は確かに、かすかに甘い気がした。


2011.01.14
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