06.子ども時代



少年にはあるらしい。『ちょっと良いキスの思い出』が。
先日一緒に下校した際、うっかり洩らしてしまった秘密をしつこく追及する少女に辟易して、少年は少女に訊き返した。

「じゃあ、おまえはどうなんだよ」
「どうって?」
「おまえは、あるのか? キスの思い出、とか」

成り行き上、思いきって訊いてしまった少年だったが、それまで口やかましかった少女が途端に沈黙してしまったので内心質問したことを後悔した。

「……あるよ、思い出」

ややあって、少女が口を開いた。

「忘れられないキスの思い出」

そうして、少女は語り始めた。幼いころ、浜辺で迷子になったこと。一人で泣いていたら、同い年くらいの少年が声をかけてくれたこと。その少年は、泣きじゃくる少女を優しくなだめ、「キミは人魚なの……」と訊ねてきた――。

赤面ものの思い出を目の前につきつけられ、少年は苦い(そして甘酸っぱい)思いと共に感想を吐きだした。

「マセガキだな……」今ならそう思う。
「まあ、そうだよね」

少女も少年の意見にすんなり頷き、少年は内心つんのめる。少年の内心をつゆとも知らないらしい少女はまた、幼いころの思い出を語り始める――

『でも、僕ならきっと見つけるよ』

別れ際、少年はそう言って少女に口づけた。幼い口づけだ。ただ、ふれるだけのいたいけで、純真なキス。まるで、聞かせてくれたおとぎ話を再現するような口づけ。

『口づけだよ。この海でまた、逢えるように……』

「とんだマセガキだな……」
「そうだね」

十年後、少年と少女はあの日の浜辺が見渡せる海沿いの道を歩きながら、そんな会話を交わしている。思えば遠く来たもんだ……少年は在りし日の自分たちを省みて、感慨にふけってしまう。

「これが、わたしのキスの思い出」

そう言って話を締めくくった少女に少年が淡い想いと期待を持っているのは、十年経っても変わらない訳で。

「あのさ……」
「なあに?」
「もしさ、その…………そのマセガキがさ、今になって、約束を果たしに来たら、おまえ、どうする?」

淡い期待と共に少女に質問を投げかけた。心臓が脈打つ。少女は考え込むように視線を海と浜辺に向けた。まるであの日の思い出の情景をその目で見ているように――、

「そうね……」
「………………」
「出来れば、殴ってやりたい」
「…………は?」

少女の思いがけない台詞に少年は思わず間の抜けた声を上げた。一方、少女はそんな少年の様子を気にすることなく、憤慨している。

「だって、初キスを奪われちゃったんだよ? そりゃ、素敵な男の子だったけど、酷いよね。初めて会って、口説いて、そしてキスだよ。ほんっと、ひどいマセガキ!」
「…………ああ、そう」
「どんな風に成長してるのかなあ。きっと、あの頃と変わらないんだろうなあ。すっごいプレイボーイなの。女の敵! わたし、そういう人ってあんまり得意じゃないかも」
「………………」

ひそかに震える少年に、少女は容赦なく自身の嘘偽りのない言葉を投げつけていく。

「だからね、殴って、罵って、責任を追及して、そして」

少女はにっこり微笑み締めくくった。


「約束を守ってもらうの」


再会の約束と、あのときかけられた魔法の秘密を教えてもらう。――そうして、ふたりで一緒に幸せになるの。子どもの頃のひそやかな思い出と、あの頃から変わらない想いを笑顔に柔らかく包み込んで、少女は少年に告げた。

2011.01.14
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