04


「雲母。雲母っ」


澄み渡る青空の下、その明るさとは打って変わった薄暗い森の中で珊瑚の声が響いていた。先ほどから何度も呼び掛け見回しているが雲母は見当たらない。だが、確かにこの森へ入って行ったはずだ。そう確信を持って歩を進めているが、静かな森の中に聞こえるのは小鳥のさえずりと二人の足音だけ。雲母どころか動物すらいないのではないかと思ってしまうほど不安になる森の中で、ふと、木々の向こう遠くに腰を下ろす二人の女の姿が見えてきた。


「…!?」


思わずはっと目を見張る。女の膝の上に、見慣れた小さな姿が見えたのだ。慌てて駆けだした珊瑚は二人の女――瑠璃と玻璃の前へ飛び出し、改めてその小さな姿を見つめては確信を得る。雲母だ。どうやら眠っているようで、愛おしげな視線を受けながら優しく背中を撫でられている。


「その子…」
「あなたのですね…」
「虫の毒にやられたんだろう」
「…今、毒消しを飲ませてやったところです」


声を掛けた途端、二人の女は分かっているとばかりに言葉を返してくる。それには少し驚いたが、治療を施し優しく扱ってくれているその様子に安堵のため息がこぼれた。


「すまなかったね…ありがとう」
「いいえ、お互い様ですから…」
「私からも感謝を…ところで、ついでと言ってはなんですが、お二人に一つお願いがございます…私の子を産んでもらえませんか?」


弥勒が突然二人へ歩み寄って手を取り跪いたかと思えば、恒例の言葉。しかし何よりも真っ先に向けられたのは返事ではなく、即座に振り下ろされた珊瑚の飛来骨だった。


「失礼…美しい方を見るとつい…」
「言わんでいいっ」


厳しく言いつけられてしまい、弥勒は観念したようにその手を放した。すると珊瑚は玻璃から雲母を差し出され、安心した表情で見つめながらその体を抱き上げる。昼食時に比べて呼吸も落ち着いているようだ。二人の毒消しが効いているのだろう。そう感じた時、頭を擦りながら立ち上がった弥勒が二人の姿を珍しそうに見つめて言った。


「あなた方は大陸からいらしたのですか?」
「そうだ」
「よくお分かりですね…」
「それにしては、私たちの言葉が達者なようで…」


弥勒が笑いかけながら言ったその時、「それはそうだろう…」と返してきた二人の雰囲気が一変した。表情こそ変わらず笑みを湛えたままだが、不穏な空気を醸し出すように二人の額の勾玉が怪しく光り始めたのだ。


「なにせ、我らがこの地に来たのは…」
「今より二百年以上も前のこと…」
「「!?」」


声のトーンさえ落ちるほど豹変した瑠璃と玻璃の気配。それに警戒した珊瑚が雲母を抱きしめ弥勒が庇うように前へ出た直後、二人の足になにかが絡みつき体を強引に持ち上げ始めてしまった。それは複数の木の根を束ねたようなもの。瞬く間に体を縛るよう上ってくる根は珊瑚から雲母を取り上げ、抵抗する弥勒の錫杖も落とさせるほど絡みつきながら高く伸び上がっていった。


「貴様たち、なんのつもりだ!?」


鋭く睨みつけた珊瑚が問いただすが、二人は笑みを浮かべたまま見つめるばかり。ようやく玻璃に動きがあったかと思えば、彼女は一枚の木の葉を手にしてフッ、と吹き付けた。すると木の葉は溶けるように光の粒子を飛ばし、珊瑚を縛る根に付着させては次々に小さななにかを顕現させていく。それは毒々しさを感じるほど赤い虫――


「蠍!? それじゃあ今朝の大蠍は!」
「私が差し向けたものです…」
「全て我らの目論見通り…」
「始めから仕組まれていたのか…」


二人が着物を鎧へ変えていく姿を目の当たりにしては表情を歪める。だがその瞬間無数の小さな足音に気を引かれ、自身を縛る根へと視線を落とした。そこには真っ直ぐこちらへ登ってくる蠍が迫っており、ついには露出した足の甲を容赦なくザワザワと這い上がってくる。


「……!!」
「珊瑚っ。おのれ!」


嫌な感触に珊瑚の表情が歪められた直後、焦燥感を露わにした弥勒はすぐさま右手の数珠を取り払って風穴を開いてみせた。途端に吹き込む強風は無数の蠍を瞬く間に風穴へ攫っていく。根に拘束される珊瑚が吸われてしまうことはなかったが風穴の威力は強く、彼女の体を根ごと大きく揺さぶった。

その時、瑠璃が弥勒の風穴に含みある笑みを浮かべると軽々舞い上がり、弥勒の背後へつくよう静かにその身を迫らせた。


「貴様がその力を使うのを待っていた…」
「なにっ!?」


耳元で囁かれた言葉。それに弥勒が眉をひそめた直後、瑠璃は自身の右手を透かして弥勒のそれに潜り込ませるよう重ね合わせた。途端に溢れる電気のような小さな光、得体のしれない感触。不審に思った弥勒が即座に右腕を振りほどこうとするも、それはまるで固定されてしまったかのようにびくともしなかった。


「ムダよ…私の“複写”からは逃れられないのよ…」
「複写…!?」


聞き慣れない言葉に強く表情を歪めるが瑠璃から返る言葉はない。ただ右手に右手を重ねられ、“複写”と呼ばれるなにかを続けられた。もしそれが言葉通りであるならばこのままにはさせておけない。そう思った刹那、珊瑚を縛る根が凄まじい風に軋みを上げてとうとう地面からごっそり抜け出てしまった。

このままでは珊瑚を飲み込んでしまう――それが脳裏をよぎると同時に弥勒は封印の数珠を右手へ無理やり巻き付けた。すると張り付いていた瑠璃が呆気なく離れ、直後には勢いよく珊瑚をぶつけられる。弥勒は咄嗟に受け止めようとしたがその衝撃はあまりにも大きく、彼を縛る根が音を立てて折れては珊瑚共々地面へ強く叩き付けられてしまった。


「法師さまっ」
「あの女…一体なにを…!?」


珊瑚に体を起こされると、弥勒は自身の右手からわずかな煙が上がっていることに気付き表情を強張らせる。だがそこに痛みなどはない。一体なにをしたのか、瑠璃の行為の真意が分からない弥勒は警戒の色を露わにして強く瑠璃を睨みつけた。

対する瑠璃は静かに立ちはだかり、握りしめた右手を弥勒と珊瑚へ差し向けるように持ち上げてくる。


「確かに譲り受けたぞ。貴様の風穴!」
「「!!」」


突如開かれた瑠璃の右手。その中央には弥勒と同じ、黒い闇を湛えた風穴がしかと口を開いていた。思わず目を見開くほど驚愕したが、それも寸の間。


「うわあああっ!!」


とてつもない力で吸い込まれる感覚に堪らず悲鳴を上げた直後、地面に突き刺さっていた錫杖へ咄嗟に手を伸ばし掴まった。続くように珊瑚が錫杖へ手を伸ばすがわずかに届かず。そのまま吸い込まれそうになる体を弥勒がすぐさま掴み、手繰り寄せるように強く抱き込んだ。


「どうだい!? 吸い込まれる気分は!」
「くっ…」


瑠璃の挑発的な声が響かされる中、強い力で引かれ千切れそうなほど痛む腕に力を込めて耐えようとした。だが二人が捕まっているのは地面に突き立てられただけの錫杖。それが二人分の体重を支えるには心許なく、今にも抜けそうなほどのぐらつきを見せた。

――その時、突如瑠璃の右手を狙うように鋭い矢が飛んだ。すぐに気付いた瑠璃は腕を引き、当たることのなかった矢は木へと突き立てられる。明らかな敵意。それを感じ取った瑠璃と玻璃は警戒するように周囲を見渡すが、ここは木々が鬱蒼と茂る薄暗い森だ。数メートル先は闇に覆われていて様子を窺うことすらできず、そんな場所に人の存在を見つけることは困難であった。


「邪魔が入ったようだな…」
「我らの用は済んだ…行こう。雲母!」


玻璃が声高に読んだ名前。風穴から解放された珊瑚が耳を疑うように「雲母!?」と声を上げると木の影からそれが姿を現した。雲母はまるで玻璃に応ずるかのようにゴオッ、と炎を巻き上げ、獣の姿へと変貌する。
それに戸惑いを見せる珊瑚がすぐさま駆け寄ろうとしたが、雲母は珊瑚を警戒するように、敵を見るように強く威嚇の声を上げてきた。


「どうした…あたしのことが分からないのか!?」


今までにない行為。驚愕のあまり狼狽えそうになる珊瑚だったが、その間にも瑠璃と玻璃が雲母の背に跨り、再び駆け寄ろうとする珊瑚を避けるようにその場を飛び立った。


「雲母!」
「この子は頂いて行きます」


強くはっきりと言い残し、二人は雲母と共に空の彼方へ遠ざかっていく。曇り空の霞に飲まれるように消えるその姿に、なにもできなかった。堪らず「くそっ!」とこぼした珊瑚は、見えなくなってもなお瑠璃たちを睨みつけるように鈍色の空を見つめ続けた。


「どうやら雲母は、奴らに操られてるようですね…このままにしておくことはできません…」


雲母を、風穴を盗まれた。それを噛みしめるように神妙な面持ちを見せる弥勒が呟く。そんな時、暗い木の陰から姿を現した楓が「二人とも無事か?」と慎重に問いかけてきた。その手にはしっかりと弓が握られている。


「あの矢は楓さまでしたか…」
「なにやら草木が騒がしいので来てみたのだが…」
「おかげで助かりました…感謝いたします…」


弥勒と楓が安堵した様子で言葉を交わす頃、木陰に入った珊瑚は着物を脱ぎ退治屋の服に身を包んでいた。慣れた手つきで鎧を着け、首元を留めていく。雲母を救うため、闘わなければならない。


「今の奴らを追うのか?」
「はい」
「奴らは西へ向かった…」
不帰(かえらず)の森がある方ですね…」


髪を束ねながら姿を現す珊瑚に続き、弥勒が語る。二人は楓に問われるより以前から、すでに瑠璃たちを追うと決意していたようだ。その様子を目の当たりにした楓はもうなにを言っても止まらないだろう二人へ深刻そうに目を伏せ、せめてもの忠告として厳しく言い聞かせるように語りかけた。


「油断してはいかんぞ…草木のざわめきは天変地異の前触れか、それとも、すでになにかが起こっているのか…いずれにせよ…!? !? …って誰も聞いておらんのか!?」


せっかく語り聞かせてやっていたというのに、目を開けばそこにあったはずの姿は見当たらない。それどころか傍には珊瑚が着ていた着物を入れた包みだけが、持って帰ってくれと言わんばかりにぽつんと置かれていたのだった。

bookmark

prev |4/20| next


back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -