05


「もうお弁当なんか、ぜーったい作ってやんない!」
「ほんっとデリカシーないよね、あのバカ…」


そう口々にぼやく二人は暗い森の中を歩いて行く。壊れた自転車で走り続けることは叶わず、結局自分の足で歩かなければならなくなったのが余計に二人の気分を落としていた。

堪らずため息をこぼしながら辿るのは最早慣れた道。弁当の一件といい自転車のことといい、かごめが現代に帰りたいと言い出したため二人は骨喰いの井戸へと向かっているのだ。
彩音もそれを断る理由はないし、犬夜叉に呆れ果てたばかりのところ。かごめと一緒に戻って共に気分転換でもした方がいいだろうと考え、大人しく彼女の後ろをついて歩いていた。だが歩くほどその足取りは重くなり、胸の奥はなんだかざわめきが大きくなる。その理由は当然、先ほどの犬夜叉だ。


(…やっぱムカついてきた。お弁当もクッキーも、こっちは頑張って作ったのに…)


そんな思いが浮かんでは堪らず込み上げてきたため息をこぼしてしまう。
別に作ってくれと頼まれたわけではない、だから怒るのはよくないだろう。そう理屈では分かっていても、やはり気持ちはそうはいかなかった。
弁当もクッキーも美味しいと言ってくれるか、喜んでくれるかとその都度考えて作っていたもの。にも拘らず犬夜叉は感想も言ってくれないまま、終いにはこっちの方がいいと言わんばかりにカップ麺に笑顔を見せていた。カップ麺に勝てなかったのかと思うと情けなく、悔しくなる。

もう一度盛大なため息をこぼしてしまっては、さらにトドメのおすわりをお見舞いしてやるべきだったかな、なんて考えてしまったそんな時、不意にかごめが大きく「あーあ…」という落胆の声を漏らした。
ふと顔を上げてみれば、彼女は大蠍との戦闘の際に大きく歪んでしまった自身のボロボロの自転車に視線を落としているようだ。


「どうしようこのチャリ…ママ! 自転車壊れちゃった! 新しいの買って
「…くれそうにないよね…」
「そうよねえ……ん?」


彩音同様にため息を漏らしたかと思えば、なにかを見つけたらしいかごめが足を止める。彩音もそれに釣られるよう足を止めると、前方にそびえ立つ御神木の前に誰かが立っているのが見えた。
この森自体、人の出入りが滅多にない場所のはずだ。その中でも一層人が寄りつかない場所に、一体誰が…と目を凝らそうとした瞬間、その人物の頭上を横切る青白く細い影が見えた。

見覚えのある妖怪。
ならば夜闇のように暗い髪を微かに揺らす、あの人物は…


(桔梗…? なんでこんなところに…)


覚えのある巫女に小さく首を傾げる。普段から所在の掴めない彼女がこの地へ戻ってくるなど珍しいこと。
なにかあったのだろうかとその後ろ姿を見つめていると、桔梗は御神木の木肌――犬夜叉が封印されていた場所を、優しくも儚げに、そっと撫でるように触れた。
するとなにを思ったのか、彼女は御神木を見つめたままほんの小さく「…犬夜叉…」と呟いた。

その瞬間、


「えっ!?」
「! かごめっ…」


彼の名前が出たことに驚いたのか突然声を漏らしたかごめにドキ、と心臓が跳ねる。しかし声が大きいと言いかけた彩音の声は途切れ、桔梗がわずかながら顔を振り返らせてくると同時にかごめが自転車を放ってまで傍の木の陰に隠れてしまった。

それは本当に、一瞬の出来事。あまりに突然すぎて隠れることもなにをすることもできなかった彩音は、カラカラカラ…と虚しく音を鳴らす自転車を横目にしながら、ただ少しばかり引き攣った笑みを浮かべてぎこちなく桔梗へ手を振っていた。


「えっと…じゃ、邪魔してごめんね…?」
「……」


確かに目は合っていた、そして謝罪の声も届いたはず。だというのに桔梗はなにを言うでもなく、ただ静かに踵を返して歩き出した。その姿に彩音が思わず「あ…」と小さな声を漏らしたが、それでも桔梗は足を止めることも振り返ることもなく、そのまま深い霧の中に消えて行ってしまったのだった。






――そうして数分。少しここに残りたいから先に帰ってて、と言った彩音を残し、かごめは一人で骨喰いの井戸へ向かっていった。その姿が見えなくなると、彩音は一人御神木を見上げる。その視線が向けられるのは、木皮の剥がれた部分――先ほど桔梗が触れていた場所だった。


(あの時ここで…犬夜叉に出会ったんだよね…)


御神木は自分と犬夜叉の出会いの場所。
そして、犬夜叉と桔梗の別れの場所――

それを思いながら桔梗同様そこへ触れれば、なんだか胸が締め付けられるような息苦しさを感じてくる。
それはきっと、二人が未だ想い合っていることを思い出してしまったからだ。犬夜叉は封印を解かれたいまも尚、桔梗のことは一度も忘れたことがないという。そして桔梗は憎しみに塗れながら、犬夜叉への想いだけは決して断ち切れないでいる。
それを、知っているから――…


「……なんか、もやもやする…」


徐々にざわつき始める胸を押さえては顔をしかめ、込み上げるため息をこぼした。

以前から、二人のことを思えば思うほど胸がざわついて仕方がない。その理由はきっともう、とっくに分かっていた。だが、様々な思いから容易に受け入れられず、いつも顔を背けてしまう。だから今回も“これ以上考えたって仕方がない”と強引に切り捨て、もう考えないようにと頭の片隅に思考を追いやって、かごめのあとを追おうとした。

しかしその刹那、御神木に穿たれた小さな穴――かつて封印の矢が刺さっていた場所に、ほんの一瞬だけ小さな煌めきが見えた気がして。思わずはたと動きを止めた彩音はその穴に目を細めると、やがて辺りを探るよう見回し始めた。
手頃な枝でもないか、そう思ったのだが良さげなものはなにもない様子。それならこの方法しかないかと諦め、少し警戒しながらもその穴に人差し指をゆっくり潜り込ませてみた。


「…いっ!? たあーっ…!」


突然走った痛みに驚いて指を抜いてみれば、瞬く間に人差し指の腹に血の玉が膨れ上がる。中になにがあったのかは分からないままだが、どうやらそれのせいで指を切ってしまったらしい。


「あーもう、やっぱり素手で触るんじゃなかった…バカみたい…」


またも大きなため息をこぼしてしまっては、脱力するようにその場にしゃがみ込み御神木へもたれかかった。人差し指を咥えればわずかに鉄臭い匂いが鼻を抜ける。あまり気分のいいものではないその匂いと味に小さく眉をひそめて口から放すと、そこにはまた血の玉が膨れ上がっていた。思ったより深くやってしまったかもしれない、そうは思うも見つめる傷に心配はしていなかった。

この傷はもうじき消える。それも、跡形もなく。

彩音がそう思ってしまうのは、この体が凄まじい治癒能力を持つ“美琴の体”だということを知っているからだ。彼女の力は誰もが息を飲むほど素晴らしく優れている。傷だけでなく病でさえ、たちどころに治してしまえるのだから。


(美琴さんは…すごいな…)


人間離れした能力にそんな思いが浮かび、無意識に自分を比べてしまう。自分だったら、もし美琴の力がなかったら、きっと特別なものなんてなにひとつなかった。本当にただの、ありふれた人間だった。だがどういうわけか美琴の体の中に自分が現れたから、こうして過ごす“今”がある。
それを思い出すたび、どうしても自分の存在理由を問いたくなってしまう気がした。故意ではないにしろ他人の体を乗っ取ってまで、自分は一体なにをしているのだろう。なにをすべきなのだろう。

自分が生まれた意味とは、なんなのだろう。

胸の奥がざわめいて苦しい言葉が溢れ出した瞬間、俯く自分の前に誰かの影が大きく覆い被さってきた。


「! い、犬夜叉…」


思わずはっと顔を上げた先に、見慣れた銀髪を揺らす犬夜叉の姿があった。恐らく文句でも言うために追ってきたのだろう。そう思ったのだが彼はこちらの人差し指を見て、すぐに目線を合わせるよう目の前に屈み込んできた。


「ドジ…切ったのか? 冥加じじいが見たら喜びそうだぜ…」
「あはは…血、大好きだもんね…って、ちょっ…!?」


喜ぶ冥加の姿を想像したその時、突然犬夜叉に手を取られて人差し指を咥えられた。思いもよらないその行動に加え、指先に触れる温かな舌と唇の感触が彩音の頬を瞬く間に紅潮させる。先ほど自分でもしたのに、他人に、好きな人にされると、頭がのぼせてしまいそうなほど熱く、真っ白になってしまう。だというのに頭は間接キスだと余計なことを理解していて、息が詰まるような戸惑いを感じた。

そんなあまりの羞恥心に耐えられずすぐ顔を逸らしてしまうと、指を放した犬夜叉が突然髪に触れてきた。心臓がドキ、と痛いほど跳ねる。だが彼の指が触れたのはそこに括りつけられたリボンで、彩音の予想とは裏腹にリボンをスル…と解き取ってしまった。


「え…ま、待った! なにする気…!?」
「なにって、包帯代わりにすんだよ」
「なっ…それはダメ! これ殺生丸との約束の…大事なものだって言ったでしょっ」


慌ててまくし立てながらリボンを奪い取るように取り上げる。すると突然声を上げたせいか驚いた犬夜叉が次第に不機嫌そうな顔をして、そのままむっすりと黙り込んでしまった。
どうも彼は“殺生丸との約束”というのが未だ気に食わないようで、それを口にするたびにふて腐れてしまうのだ。おかげでいまも犬夜叉はそっぽを向き、「へーへー、悪うございましたー」と投げやりに言いながら口をへの字に曲げてしまう。
そんな姿に思わず小さく「あ…」と声を漏らしては微かな罪悪感に苛まれた。


「ご、ごめん…強く言いすぎた…でも、もう治るから。ほら…」


そう言いながら人差し指を犬夜叉へ向ける。すると傷口からほのかに淡い光が滲んで、傷が溶けるようにス…と消えていく。やがてその光さえ失せた頃、そこには傷跡一つないまっさらな肌があった。

これが美琴の力。ただ静かに見つめていた犬夜叉は、その“体力を代償にしてしまう力”に難しい顔を見せたが、文句だけは言わなかった。
なにを言ったところで変わらない。変えられない。当人の意思に関係なく発動してしまうその力を他者が止められるはずがない。そうと分かっていたからだ。だからこそどうすることもできないのが煩わしく、無造作に頭を掻いた犬夜叉は話を変えようと、思い出したかのように周囲を見回し始めた。


「ところでお前、一人か?」
「え? ああ、うん。かごめには先に帰って…」


自然と答えようとした口が止まる。そうじゃない、犬夜叉が求めている答えはそれじゃないのだ。それを遅れて悟ると、つい口を堅く閉ざすように黙り込んでしまった。かごめがいないとかそういうことじゃない。ここへ来たのも、文句を言うためじゃない。
犬夜叉はそもそも捜しにきたのだ。


「…桔梗ならもう帰ったよ」


呟くようにそう言ってやれば犬夜叉の体がギクッ、と跳ねる。思った通りだ。大方桔梗の死魂虫でも見えたのだろう。そう考えては呆れの表情を見せてつーん、と顔を背けてやった。


「もっと早く来れば会えたのに。残念でしたー」
「なっ…うっせーな! そんなんじゃねーよ!」
「さあ、どうだかー?」
「けっ。かごめ連れ戻してさっさと行くぞっ」


バツが悪くなったのか、犬夜叉はそう吐き捨てるなりすぐさま踵を返してしまう。分かりやすい態度、横目にそれを見ていた彩音は呆れながら、それでもやはり変わらず想い合う二人の関係に胸を苦しくさせた。勝てないなと、俯いた。

そんな時、怪しく煌めく粉のようなものがゆっくりと二人へ降り注がれる――

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