18


「はあっ!」


駆け出した勢いそのままに大きく跳躍した犬夜叉は、雄叫びのような声を上げながら飛妖蛾へ鉄砕牙を振り切ってみせた。その瞬間風の傷が真っ直ぐに軌道を描きながら迫るが、それは軽々と振るわれた右腕の風圧によって呆気なく掻き消されてしまう。それだけではない、風は犬夜叉の体さえも弾き返すように容赦なく吹き飛ばした。


「ぐあっ」
「犬夜叉!」


太く大きな枝を破壊するほどの威力で幹に叩き付けられた犬夜叉の元へ、焦燥感を露わにした彩音とかごめが駆け寄っていく。そして「犬夜叉しっかりしてっ」というかごめの声を聞きながら彼を起こした彩音は、その体の無事を確かめるように彼を見つめた。
そこに、目立った傷はない。どうやら無事なようだ。それが分かる様子に安堵のため息をこぼせば、突如頭上の飛妖蛾から疎ましげな声が響かせられた。


「人間の女などと一緒にいる半妖が強がるな」
「なによ! あたしたちがいちゃ悪いって言うの!?」
「ふん。貴様ら一族は、人間などという愚劣な生き物に骨抜きにされた、腑抜けの妖怪どもだ!」


かごめの反論にも構わず、飛妖蛾は犬夜叉を、その一族を卑下する声を高らかに上げる。それに彩音が不快そうな表情を見せると同時、立ち上がった犬夜叉は飛妖蛾を見据えながら悔しさに小さく顔を歪めた。


「(くそっ。奴の妖気がでかすぎておれの気が呑まれちまってる…) お前らどっちでもいい! 矢を()て!」
「え…」
「矢ってどこに…って、ちょっと!」


犬夜叉の唐突な指示に声を返すも、彼は二人の声を聞く間もなくすぐに鉄砕牙を構えながら駆け出してしまう。


「射て!! 奴の体を狙って!」
「分かった!」
「まったく、人使い荒いんだから…」


有無を言わせない勢いの犬夜叉にかごめが声を返し彩音はぼやく。そうしてすぐに顔を見合わせた二人は頷き合い、かごめが思いを託されるよう弓矢を構えた。
途端、キリ、と弦が鳴く。それを強く引き絞るかごめはつい「こんなちっちゃい矢で大丈夫かな…」と不安を漏らしたが、それでも犬夜叉の指示通り飛妖蛾を目掛けてその矢を勢いよく放ってみせた。

素早く風を切る矢は真っ直ぐに飛び、その身に清らかな光を纏わせる。それがやがて飛妖蛾の前まで迫ったその時、矢はそこに渦巻く妖気の壁に阻まれるよう弾かれて力なく落ちてしまった。
やはり小さな矢では届かなかったか――そう感じた彩音であったが、これを指示した犬夜叉の目的は十分に果たされていた。


「見えたぜ、妖気の渦がぶつかるところ! 風の傷だあーっ!」


妖気の壁に確かに走る傷を見て叫び、同時に掲げていた鉄砕牙を容赦なく振り下ろす。直後、凄まじい衝撃が光となって風の傷を穿ち、妖気の壁を突き抜けるように衝撃波を走らせた。それは真っ直ぐに飛妖蛾の右の翅へと迫り、そこを構成する青緑色の枝を消し飛ばすように大きく散らしていく。


「ちっ。翅を掠っただけかよっ」


地に足を着けながら狙いが外れたことをぼやく犬夜叉。だがそれは飛妖蛾の怒りを買うには十分であったようで、憤怒にひどく顔を歪めたそれは眉間に小さくも鋭い光を灯し、妖気とともにその長い髪を大きくざわつかせ始めた。


「この程度でいい気になるなよ…」


疎ましげな声を漏らしながら翅に禍々しい光の粒子を纏わせた飛妖蛾が力を込めるように両腕を交差させる。そして光を集約させるように額の(しるし)を眩く光らせた――直後、


「見よ、我が力を!!」


突如両腕を広げるとともに、額の徴からカッ、と凄まじい光線が放たれる。それに危険を察した犬夜叉が「危ねえ!」と声を上げながら咄嗟に二人を抱えてその場を飛び去れば、それとほぼ同時に三人が今しがた立っていた場所が容赦なく光線に穿たれた。
それは瞬く間に時代樹を貫き、犬夜叉たちの下で弥勒と七宝と闘っていた自身のしもべたちをも消し飛ばしてしまいながら、目下の大地まで大きく破壊していく。

そのあまりの威力に顔を強張らせた珊瑚が「なんて妖気だ…」と呟いてしまうのと同様に、無残な姿となった時代樹から見下ろすかごめと彩音も不安に大きく顔を歪めていた。


「こんなのあり!?」
「なにこの威力…強すぎでしょ…」
「あの野郎相当カッカしてやがる…勝てるぜ、お前ら! 今度やったら爆流破で倍にして返してやる」


頼もしさすら覚えるほどの強気な笑みを浮かべる犬夜叉がそう宣言しながら飛妖蛾へと向き直る。
普通に考えてみれば、この状況でなお挑もうとすることは無謀なのかもしれない。だが彩音は彼の背中に絶対の自信を感じ、同様に笑みを浮かべながら「そうだね!」と力強く頷いて飛妖蛾を鋭く見据えた。

そんな彼らの様子を見てか、飛妖蛾はいままで一歩たりとも踏み出すことのなかった足を大地へ降ろし、ズン…と地響きに等しい音を大きく轟かせる。


「ほう、我が力を目にしてなお、我に刃向かうか…誉めてやろう!」
「なんでえ、ちゃんと動けるんじゃねえか。掛かってきやがれ!」
「達者なのは口だけか? 半妖」
「口だけかどうか思い知らせてやるぜ!」


一歩ずつ歩み寄ってくる飛妖蛾へ鉄砕牙を構え、互いに罵り合うよう吠え掛かる。その時、飛妖蛾の姿を見つめていた彩音はなにかに気が付いた様子を見せ、すぐさま犬夜叉に耳打ちするよう顔を寄せた。


「犬夜叉、あいつの額の徴…あそこにあいつの妖気が集まってる気がする」
「そこを狙えるか?」
「うん。任せて」


犬夜叉の問いに笑みを浮かべて頷き、すぐさま弓矢を構えて強く引き絞る。そしてそれをバシュ、と鋭く放てば、矢は先ほど同様清らかな光を纏いながら飛妖蛾へと迫っていった。
お願い届いて。そう願う彩音が見つめる矢は再び飛妖蛾の前に立ち込める妖気の壁に阻まれてしまう――が、今度は弾かれることなく、妖気の壁を突き破らんと拮抗するようその場に身を留めていた。


「そこだーっ!」


妖気に亀裂が走る瞬間を捉えた犬夜叉が途端に鉄砕牙を掲げながら跳躍する。だがその視線の先、渦巻く妖気の向こうで疎ましげに表情を歪めた飛妖蛾が蔑むような声を向けてきた。


「バカめ…同じ手が二度通用すると思うのか」
「! くっ」


言葉とともに向けられた右手が鋭い爪を長く伸ばし、妖気の壁を突き抜けて犬夜叉を貫かんと襲い掛かってくる。それに目を見張った犬夜叉は咄嗟に着地し、その勢いで大きく後方へ飛び退った。直後、危うく触れんばかりの勢いで飛妖蛾の爪が時代樹へと突き刺さる。

――その時であった。額の徴を目掛けて放った矢が妖気に拒まれるようグググ…と矛先を変えてしまったのは。それに彩音が小さく唇を噛みしめるよう悔しさを滲ませた刹那、矢はそのまま妖気の壁を突き抜け、飛妖蛾の左肩を掠めんばかりの場所へと飛び込んでいった。
それに気が付いた飛妖蛾が「なにっ!?」と驚愕の声を上げる――その瞬間、矢はカッ、と眩い光を放っては方角を変え、青緑色の枝の翅を断ち切るように勢いよく下方へと走りだした。

それは瞬く間に飛妖蛾と翅を切り離し、支えを失った翅を地面へと重く派手に沈ませてしまう。


「…んえ?」


思いもよらない出来事に彩音は素っ頓狂な声を漏らしながら呆然と目を瞬かせる。堪らずかごめの方を見たが彼女も目を点にするほど驚いており、彩音はもう一度確かめるように飛妖蛾へと向き直った。
だがやはり見間違いなどではなく、飛妖蛾の左の翅は丸ごと失われている。それにもう一度大きく目を瞬かせると、対照的にひどく怒りを露わにした飛妖蛾が眉間に深いしわを刻み込んで大きく顔を歪めていた。


「小娘…死ねえ!!」


怒りに駆られるまま叫び上げた飛妖蛾の口から凄まじい衝撃砲が放たれる。それに目を見張った彩音とかごめであったが逃げる間もなく、二人はその衝撃に包み込まれながら大きな悲鳴を響かせた。


「しまった! かごめっ彩音!!」


悲鳴に振り返った犬夜叉が血相を変えるほどの勢いで二人の元へ駆ける。だが彩音たちの体は強く吹き飛ばされるよう宙へ投げ出されており到底間に合いそうにない。それに嫌な汗を噴き出しながら決死の思いで駆けていく中、時代樹から投げ出された二人の体が力なく落下するのを見た――

――その時、二人の体は咄嗟に駆けつけた雲母と珊瑚によって無事に受け止められる。


「大丈夫? 二人とも」
「ありがとう!」
「平気! ありがとう珊瑚、雲母っ」
「まだやれる?」
「うん!」
「私も大丈夫。だから犬夜叉のところまでお願い!」


珊瑚の覚悟を問うような声に二人は弾んだ声で確かにそう返す。すると珊瑚は笑みを浮かべて「分かった」と口にし、雲母の名を呼んで一層速く宙を駆けだした。

――そんな彼女たちを時代樹の上から見つけた犬夜叉は足を止め、堪らず安堵のため息をこぼしてしまう。そんな時、不意に背後から自分の名を呼ぶ覚えのある声が聞こえてきた。それに振り返ってみれば、七宝と足並みを揃える弥勒がこちらへ駆けてくる姿が見える。


「弥勒!」
「雑魚は粗方片付けました」
「おらも三匹追っ払ったぞ!」


弥勒に続いて得意げな様子で言う七宝に犬夜叉は「そうか!」と笑みを向ける。
その時、突然頭上から「犬夜叉ー!」というかごめの声が響いてきた。それに揃って「ん?」と声を漏らしながら振り返ってみれば、なにやら雲母の背でかごめが彩音になにかを促している様子。

かと思えば、突如彩音が思い切った様子で雲母から飛び降りてしまった。


「あっ、ば、バカっ!」


思いもよらない行動に愕然と目を丸くした犬夜叉は咄嗟に鉄砕牙を地面に突き立てて落ちてくる彩音をなんとか抱き留めてみせる。しかし突然のことで勢いに負けた体はくるりと回転し、そのままバランスを崩すよう尻餅をついてしまった。
それでも犬夜叉は驚いた表情のまま、すぐさま彩音の両肩を掴み込むと正気を疑うように顔を迫らせてきた。


「バカっ危ねえだろ! 無茶すんじゃねえっ」
「だ、だって、かごめが犬夜叉なら受け止めてくれるから飛べって…でもほら、実際ちゃんと受け止めてくれたし…」
「ったりめえだ! おめえになんかあったらどうすんだ!」


しどろもどろになる彩音とは対照的に本気で焦ったことが分かるほど叱ってくる犬夜叉。そんな彼が「ったく、おめえらはよー」とぼやきながらため息をこぼす姿に申し訳なさを感じながら、同時に、それほど自分を大切にしてくれているのだと実感してしまって。彩音はつい表情を綻ばせるように柔らかな笑みを浮かべていた。

そんな二人の姿を見てなにを思ったのか、呆然としていた弥勒が頭上を見上げると、突然両手を大きく広げて言い出した。


「珊瑚! 遠慮はいりません。さあ、私の胸に!」
「だって珊瑚ちゃん」
「!?」


弥勒の言葉だけでも恥ずかしかったのに、かごめにからかうような笑みを向けられて余計に顔が熱くなってしまう。そんな珊瑚はすぐさま防具を外すと、それを弥勒の頭へコン、と投げつけてやった。
そんな残念な結果となった弥勒に、傍で見ていた七宝はとても呆れた様子で「バカじゃ」と呟かずにはいられなかった。

――その時、妖気がひどくざわめく気配を感じ取る。それに振り返り「来るぞ!」と声を上げた犬夜叉は鉄砕牙を握り締め、胸の前で両腕を交差させる飛妖蛾が再び妖しく翅を光らせる様を見上げた。
飛妖蛾はもう一度あの光線を放つつもりだろう。それを悟った犬夜叉は、傍に雲母が下りてくるのを横目に確かめながら言った。


「彩音。かごめと一緒にもう一度額の徴を射て!」


飛妖蛾から目を離さないまま犬夜叉がそう指示をする。
確かに二人がともに矢を放てば少しは威力が増すかもしれない。だが眼前の敵はあまりに強く、その妖気も怒りにより増幅しているはずだ。それを思っては先ほどまでの結果が脳裏に甦り、躊躇うように犬夜叉へ声を返した。


「けど犬夜叉、いくら二人の矢でもあの妖気には阻まれるんじゃ…」
「そうよ。妖気が強すぎて、あそこまで届かない」
「四の五の言ってんじゃねえっ。いつものおめえららしくドスの効いた顔して射て!」
「ドスってなによ!」
「私たちそんな顔してないからっ!」


突然の悪口ともとれる言葉にかごめと彩音が揃って反論する。だが犬夜叉は真剣な表情のまま。黄金色の瞳が確かに二人を捉えると、彼は冷静ながら闘志が燃える真摯な声でしかと口にした。


「おめえらの矢を爆流破で送り出す。おれを信じて射て!」


これまでの覚悟とは比べものにならないほどの思いがこもった瞳。それが、心の奥深くにまで語り掛けるように見つめてくる。まるで視線を外すことすら許さないほどのその決意の瞳に胸が高鳴るような錯覚を抱くと、彩音は同様の思いを込めるように強く弓を握りしめた。

そして隣に立つかごめを見やり、彼女と視線を交わらせるとともに強く頷き合う。

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