14


「風穴っ!」


瑠璃に向けていた右手を再び鼓舞するように突き出す弥勒。だが変わらず薄い笑みを浮かべる瑠璃は突然右手を握り風穴を閉じると、強く地を蹴りつけてまるで自ら飛び込むようにその身を投げ出した。


「!?」


思いもよらないその行動に弥勒が強く目を見張る。だが瑠璃は躊躇いなく弥勒との距離を縮めると彼の風穴の目前で自身のそれを再度開き、互いの風穴を隙間なく触れ合わせた。その瞬間あれほど凄まじく吹き荒れていた豪風が嘘のようにピタリと治まってしまう。
直後、弥勒の頭を貫かんとする瑠璃の鋭い鉾が突き込まれるが、弥勒はそれを錫杖で受け止めるようにして懸命にかわしてみせた。しかし瑠璃はそれでも押し切るようにして大きく顔を迫らせてくる。


「法師。あんた案外いい男じゃない…心の臓を抉って、食べたいくらいだよ」


不穏な笑みを湛えながらそう告げる瑠璃の額の勾玉が白い光を帯びる。すると瑠璃の体が透けていき、突き合わせていた右手が弥勒の右腕を辿るようにすり抜けていった。そしてそれは真っ直ぐに弥勒の胸へと伸ばされていく。
金縛りにあったかのように身動きの取れない体の中を他人の腕が通っていく不気味な光景。それに強く顔をしかめていた次の瞬間、胸の奥に潜り込まされた瑠璃の手が心臓を強く掴み込み、たまらず「ぐああっ!」と喉が潰れてしまいそうなほど力んだ悲鳴が漏れた。

強く歯を食い縛り、すぐさま瑠璃を押し退けるように大きく後ずさり風穴を封じる。しかし休む暇など与えず、高く跳び上がった瑠璃は高らかに声を上げながら勢いよく鉾を振り下ろしてきた。
弥勒は咄嗟に錫杖を振り上げ、激しい金属音を響かせながら彼女の鉾を受け止める。




――その時、珊瑚は茂る葉たちを突き抜けるように時代樹を飛び降りていた。やがてザッ、と音を立てて着地し顔を上げた瞬間、頭上の玻璃が人差し指と中指に挟んだ複数の青い花びらを細く吹き付ける。その風に乗って指を離れた花びらは突如光の弾丸のようになり、勢いよく目下の珊瑚へ向かって飛び込んだ。


「! くっ」


咄嗟に飛び退くとほぼ同時に地面が爆発音を上げる。軽い身のこなしで時代樹の幹を何度も飛び回るが、その度に足元へ弾丸のような光が叩き込まれていき徐々にその間隔を縮められる。
それを否応なく感じ取った次の瞬間、自身が着地しようとした先で起こされた爆発に巻き込まれてしまい、珊瑚は炎を引きながら転がるように段下の幹へ飛び降りた。

――そこへ、獣の声を響かせる雲母が容赦なく迫ってくる。


「雲母…!」


こちらへ牙を剥くその姿に目を見開いた珊瑚はすぐに険しい表情を見せ、飛来骨でその鋭い爪と牙を受け止めてみせる。
しかしそれを押し切ろうと暴れる雲母。凄まじい力に身構えた珊瑚は飛来骨を思い切り振り払って雲母を押し退けるが、雲母は諦めることなく一度体勢を整えるように幹へ足を揃えると、再び珊瑚を追い込まんと大きく飛び掛かってきた。


「雲母っ。雲母目を覚まして!」


懇願するように叫ぶが、雲母は止まることなく飛来骨へ体当たりを繰り返す。なんとしてでもその向こうの珊瑚を噛み砕こうとしているのだろう、絶えず飛来骨を押しやりながらわずかな隙を捜すように角度を変えて牙を剥いてくる。
珊瑚はそれに並走するよう防ぎ続け、ついには雲母を遠くへ追いやるように足元を狙って強く飛来骨を振りぬいた。すると雲母は大きく飛び退き、背後に立つ玻璃の元へと足を揃える。


「無駄です…お前の声はこの子には聞こえません…所詮、人と物の怪…理解し合うことなどないのです」


肩で息をするほどの珊瑚の視線の先で玻璃はそう告げながら、自身の髪飾りである青い花から一枚の花びらを手にする。そしてそれをフ、と吹き付ければ風に乗って飛ぶ花びらは数を増やし、直後青い閃光となって複数の矢のように珊瑚へ襲い掛かった。

途端に目を見開いた珊瑚はすぐさまそれを飛来骨で受け止めると、振り払うように大きく掲げた勢いのまま玻璃へ飛来骨を強く投げつける。するとそれは玻璃の横を通り過ぎていき、彼女の背後に伸びる時代樹の太い枝を次々と切り飛ばした。それが玻璃へ降り注がんとする刹那、玻璃は駆け寄ってきた雲母に飛び乗り悠然とかわしてみせる。

珊瑚はそれを追うように駆けながら戻ってくる飛来骨を受け止め、なおも強く時代樹の表皮を蹴りつけた。



* * *




遠くに飛妖蛾の時代樹が望める丘の端――そこに、大きく髪を揺らす桔梗の姿があった。荒々しい風は不穏さを孕んでいるが、桔梗はただ鋭い瞳で淡々と時代樹を見つめている。
そんな時、ふと背後に何者かの気配を感じて初めて視線を背後へ向けた。


「……犬夜叉の兄か…」


体を振り返らせることはなく、抑揚のない声でそう呟く。桔梗の言う通り、背後の森から姿を現したのは殺生丸であった。
その彼は桔梗を見据えるまま、静かに口を開く。


「憎んでいるのか…彩音を…それとも、あれの力を試しているのか?」


桔梗が彩音を井戸へ落としたことを知っているかのように、殺生丸は振り返ることのないその背中に問いかける。すると桔梗は屹立する時代樹を見つめ、感情の読めない静かな声で言葉を返した。


「私は、全ての者を憎んでいる…時の流れに身を置く、生きる者全てを…例え彩音が…美琴が望んだ者であったとしても…」
「…好きにするがいい…だが、あれを………犬夜叉を倒すのはこの私だ」


桔梗の返答にそう告げると、殺生丸はそれ以上の言葉を交わすことなく踵を返す。言い掛けた言葉――彩音に対する思いを口にしないまま遠ざかる彼の思いを、桔梗はどう受け止めたのか。飛妖蛾の時代樹を見つめるまま、ただ静かに立ち尽くしていた。



* * *




――その頃、森の中ではぱっかぱっかと軽い足音を鳴らすものが懸命に駆け続けていた。それは馬に変化した七宝で、その背中には右手に傷を負った楓が乗り頭には小さな冥加の姿まであった。


「ウソじゃ! おらを助けてくれた彩音が…そんなことするはずないっ」


まるで馬を模したぬいぐるみのような、なんとも愛らしい姿の七宝は“彩音が楓を襲った”という話を否定するように声を上げる。というのも当時、七宝は楓の家にいたが眠っており事の顛末を見ていなかったのだ。
そんな七宝の断じて信じない姿勢を目の当たりにした楓はわずかに表情を歪め、あの時の彩音に向けられた冷たい瞳を思い返していた。


「あの時、彩音は目に邪気を宿しておった…あれは断じて彩音ではない」
「雲母と同じ術を掛けられたのかも…」
「胸騒ぎがする…御神木まで急ぐのだ!」


冥加の言葉に胸のうちの不安を一層広げられるような気がして、冷や汗を浮かべる楓は鼓舞するような声を七宝へ向ける。だが当の七宝は脂汗を滲ませながらすでに相当必死な状態だ。


「急げったって…少しは自分で歩け…」
「年寄りと怪我人は粗末に扱うでないぞ」
「その通りじゃっ」
「急げよ、牛!」
「馬じゃ!」


誰も味方をしてくれないどころか牛と間違われる始末に七宝は懸命に反論しながら森を駆け続ける。

――しかしそれもやがて足取りが覚束ないほどの疲労を見せ始めていた。どうやらその小さな体で楓を運ぶのはかなりの重労働のようで、七宝はいつしか「はひ…はひ…」と絶え絶えの呼吸を繰り返している。
そんな時、前方遠くのなにかに気が付いた楓がはっと目を見張った。


「あれは…!?」
「もうダメ…」


楓が声を上げると同時、力尽きた七宝はぽん、と音を立てて元の子狐姿へと戻ってしまった。それに伴って楓が弓を杖代わりに立ち上がると、向こうに見える異様な光景に息を飲む。


「あれは一体…」


しかとその目に捉えたもの――それは骨喰いの井戸があったはずの場所に生える歪な木であった。よく見ればそれは複数の木が絡み合ったような姿をしていて、根元にはなにやら潰された木片のようなものが覗いているのが分かる。


「井戸が塞がっとる!」
「いかん、時代樹が暴走しておる!」
「暴走…?」
「あの巨大な時代樹と呼び合っておるのかもしれん…このままではこの地が木に呑み込まれてしまう」
「!? 犬夜叉さま!」


楓が最悪の事態を予測し七宝へ話していた時、周囲の匂いを嗅いでいた冥加が突如そのような声を上げて七宝の頭から飛び降りた。真剣な表情を見せ一人どこかへ向かってしまう冥加の姿に二人は目を丸くする。そしてすぐさまそのあとを追いかければ、冥加は茂みの葉の上で足を止めて真っ直ぐになにかを見つめた。


「犬夜叉さま!」
「「!」」


冥加の呼びかけるような声に釣られ同じ場所を見やった七宝と楓の目に映る赤い影。確かにそこには――御神木の根元には、深くうな垂れるよう佇む犬夜叉の姿があった。

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