一輪花 | ナノ


  04


最後の四凶を倒すのは龍馬の腕がある程度治ってからにしよう、そう提案したのは他でもない龍神の神子であるゆきだった。
東は青龍が守護する方位であり、地の青龍である龍馬が戦線に立てない状態で挑むべきではないという真っ当な意見に、瞬を除く八葉全員は納得せざるを得なかったのだ。
時間はないが、龍馬をないがしろにするわけにもいかない。
皆、ここまで命を懸けて戦ってきた仲間だ。
龍馬の身を案じるのは当然のことだった。

一日、一日と時間だけは流れていく。
江戸の怨霊を浄化し続け、少しは減ってはいるものの、四凶を倒さなければその先にある燭龍には絶対に辿り着けない。
睡蓮の咲く池を眺め、瞬は溜息を零す。
花の数はリンドウが術を施したあの日から減ってもいなければ増えてもいなかった。
しかし何かを代償に咲いているのだ、この花は。
その何かが分からない以上、それが尽きてしまう前に世界を救いゆきを元のあるべき世界へ戻さなければならないのだ。
己が命であれば幾らでも削ってみせるが、この花は瞬の身を吸って咲いてはいない。
ゆきと世界を最優先に考えるとするならば、例え他の誰かの命が犠牲になったとしても構わないと言い切るべきだと分かっている。
しかし、瞬はそこまで酷薄にはなれそうもなかった。
ゆきのためにと目指した医者は、人の命の尊さ、眩しさを瞬に教えてくれた。
自分の命の扱いが良くないと自覚している瞬だが、他者の命がいかに大事なものかは知っているつもりだった。

「……」

ぐっと手を握り込む。
この手で何とか掴もうとしているものは、大きすぎて瞬の手に余ってしまうものかもしれない。
それでも何とかして一つも取り零さずにいたいのだ。その直後に両手が消えてしまうとしても。
夜を照らす睡蓮の淡い光は、瞬の迷いを飲み込んで今もまだ天へと上り続けている。
その光をただ、言葉もなく、じっと見詰める。
命を模した幻想の花は、ゆきのようにとても綺麗だ。
瞬の命を模ったのなら、一体どのような花になるのだろうか。
少なくともこんなに綺麗な花にはならないと、取り留めのないことを考えていたその時。

「―――、しゅ、―――……瞬ー!」

瞬きも忘れて光を見上げている瞬の耳に、遠くから名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「……龍馬?」

振り返って姿を探せば、薄い着物に羽織を引っ掛けただけの龍馬がそう遠くない場所に見える。
庭に出ることは邸の主であるリンドウには告げてあったため、それを聞いて探しに出てきたのだろう。
この場所にいるのをあまり見られたくはなかったが、あの薄着で庭を歩き回らせるのも気が引けた。
仕方なく渋々と小さく龍馬を呼ぶと、龍馬は夜目にも分かるほどぱっと笑顔になって瞬の下へと駆け寄ってきた。

「すまんな、散策の邪魔だったか?」
「いや、……少し夜風に当たりたかっただけだ。それより俺に何の用だ?」
「おっと、そうだそうだ。本題を忘れるところだったぜ。湯を借りて包帯も取っちまったから、寝る前に傷を診てもらおうと思ってな。早く治さんと四凶も倒しに行けんだろう。これ以上足を引っ張るわけにゃいかん」
「それは殊勝な心掛けだな。部屋へ戻ろう。ここでは手当も出来ない」

しかし、足の先を邸の方に向けた瞬とは逆に、龍馬は視線を池に移しぴたりと動きを止めていた。

「……こりゃあ一体何だ……花が、光ってるのか…?」
「……リンドウの術で出来た花だ。星の一族は神子のために庭を調えるのが慣わしのようになっているからな、それでだろう」
「なるほどな……そんなことも出来るのか、陰陽術っちゅうのは。俺にゃこういうもんはよく分からんが、それにしても綺麗なもんだ」

瞬の横を通り過ぎて池の傍に屈み込んだ龍馬は、すっと手を伸ばして睡蓮を掬い上げようとした。
しかし手に触れるのは水ばかりで実体のない花は龍馬の手をすり抜けてしまう。

「まるで瞬みたいな花だな」
「……っ?」

ふと零れた言葉は耳を疑うもので、瞬は驚きに目を瞠って龍馬を見下ろした。

「上手くは言えんが、確かにそこにあるのに、遠くて……触れようとしても触れられん」
「……」
「何かを為すために消えることすら厭わんっちゅう潔さは、時代が時代なだけに理解出来んこともないさ」

濡れた手を無造作に着物で拭うと、龍馬はゆっくりとした動作で瞬を振り返った。
ざあ、と風が吹く。
生温い、季節にそぐわぬ風が。

「だが、理解と納得は違うぜ、瞬」
「だとしても、俺は未来など望まない」
「瞬が望まんのなら、俺が望むだけだ。いや、俺だけじゃない。お嬢も、他の連中も、瞬が生きることを望んでる。だから瞬、お前もちゃんと生きる覚悟をしろ」

真っ直ぐな目。長い前髪から覗く、金茶の双眸。どくり、と心臓が跳ねる。

「なあ、俺を信じちゃくれんか、瞬」
「……龍馬」

腕を掴まれ、瞬は表情を繕いきれずに酷く狼狽した。花に触れることの出来なかった手が、瞬の腕に触れている。

「俺は絶対に諦めん」

手のひらから伝わってくる熱に目の奥が熱くなる。
生きたいと願うことすら忘れていた瞬の心の中に、ぽつんと光の粒が一つ落とされた。
願ってもいいのだろうか。諦めなくてもいいのだろうか。
ゆきと世界のために己を殺す、その道に恐れを抱いても許されると―――龍馬はそう言うのだろうか。

「………」

その願いが叶わなかったときのことを考えると希望は出来ることなら持ちたくなかった。
絶望は、未だ瞬のすぐ隣にある。
しかし龍馬がそこまで言ってくれたことが素直に嬉しいと感じられ、瞬は言葉をなくしただただ立ち尽くした。

「……すまん、瞬を困らせるつもりじゃあなかったんだが」

気まずくもあり、気恥ずかしくもある沈黙を破ったのは龍馬だった。
がりがりと頭を掻きながら照れ臭そうに瞬を見、眉を下げて苦笑する。
寧ろ、困っているのは龍馬の方だろう。
真摯な言葉に返事一つ出来ない瞬を、それでも助けようとしてくれているのだから。

「そろそろ部屋に戻ろうぜ。寒くなってきちまった」
「…、ああ」

龍馬と並んで庭を歩くのは初めてで、静かな世界を壊さないように互いに無言のままで足を動かし続けた。
いつもは騒がしすぎるほど饒舌な男が、瞬に合わせてなのか言葉にする必要はないと思っているのか、沈黙を貫いている。
けれど空気はちっとも重苦しくはない。
こうして二人肩を並べていることがまるで自然であるかのように、視線も交わさずに歩いていた。
邸の中に上がってもそれは変わらず、瞬の部屋につくまで一言も交わさないまま、二人は膝をつき合わせて座すこととなった。


「腕を出せ」

薬箱を隣に置き、瞬は龍馬の腕を取った。
包帯の外れた腕にはまだ生々しい傷の痕が残っている。
しかし肉の盛り上がり方を見れば徐々にだが治ってきているのが分かり、瞬はふっと息を吐くと「回復が早いな」と僅かに口許を緩めた。

「おっ、そりゃあ良かった。大人しくしていた甲斐があったってもんだ」
「だが、傷が完全に塞がったというわけではない。まだしばらくは左手を使わずに安静にしていろ」

軟膏を塗ってその上に布を当て、くるくると包帯を巻いていく。
日に焼けた腕に白い清潔な布のコントラストが痛々しいが、それもあと数日のことだろう。

「しばらくっちゅうのはどのくらいだ?ぱぱっと四凶を倒しちまうわけにはいかんのか?」

巻き終えたところで顔を上げると、龍馬が切羽詰った目をして瞬の目を見詰めていた。

「……焦る気持ちは分かるが、許可は出来ない」

時間がない。それは瞬の方が強く思っていることだった。

「痛くも何ともないんだ、こう、きゅーっと強く布を巻いて、傷口が開かんようにしてってのは無理か?」
「痛みがないからといって傷が浅いわけではない。そもそもこの傷で痛くない方がおかしいんだ、あれだけ出血を伴う傷、で、……」

どくり、と嫌な予感に心臓が強く脈打った。

「そこを何とかっちゅうわけにゃ……、瞬?」

言葉を切った瞬の顔を、龍馬が覗き込む。金茶の瞳の、右側は緩くうねる前髪で隠れていて薄っすらとしか見えない。

「……何を、隠している?」

言葉は、ただの勘だった。
言えば龍馬の目は僅かに見開き、そして見極めるように眇められる。
真っ直ぐに瞬を射抜くその視線は逃げるでも誤魔化すでもなく、ひたと瞬の真意を探るだけのものだ。

「どうしてそう思うんだ?俺が、何かを隠してると」
「……」

理由を言葉にするならば「勘」の一言だ。
しかしその「勘」も突き詰めていけば必ず根底には「何か」がある。
考えて出た答え―――最初の違和感は腕の傷だ。

「龍馬。……その怪我、最初から痛くなかったのか?」

答えにならない答えを返した瞬に、龍馬は数度目を瞬かせた。
そして、笑う。けれど金茶の目だけが笑っていない。

「痛くなくなったのは内藤新宿にいたアレを倒した日の朝だ。寝て起きたら痛みがぶっ飛んじまってるんだから、驚いたもんだぜ」
「……あの日の、朝」
「あれから痛みがない。傷口が開いたのも全く分からんかったくらいにな」

そう言って、龍馬は薬箱の中に目を向けた。
そこには布や薬が瞬の性格を表すかのように整然と並べられている。
その隙間の、箱と薬の間に、小さな小刀が入っていた。
あくまでも布を切ったりする程度の、切れ味もそれほどよくはないものだ。
メスとは違い医療行為に使うものではない。
しかしそれを無造作に掴んだ龍馬は、するりと鞘を落とすと軽く刃先を手の甲へ当てた。

「龍馬…?」

どくん、とまた心臓が跳ねるように脈打つ。

「こうして血が出るほど切っても、ちっとも痛くないんだ、瞬」

刃が滑った痕を、赤い線のような血が彩る。
皮膚を少し切った程度では大した痛みはないが、それでもちくりとした痛みくらいはあるのが当然だった。そ
れすらもないというのは、どこかがおかしい証拠だ。

「……ま、痛みがないっちゅうのは今はありがたい話だし、別段気にせんでいいことかもしれん。ただ、」

す、と龍馬の目が細められる。その眼差しはぞくりとするほど真剣だった。

「時期が時期だ。事を成さんうちに何かがあっちゃ困る。かといって、こんな気味の悪い話をお嬢や他の奴らにして要らん心配をかけたくもない。だからさっさと西の四凶を倒して、先に進んじまいたいのさ。幸い痛みはないんだからな」
「それで何かがあったらどうするつもりだ?四凶と戦っている最中に倒れでもしたら、ゆきに累が及ぶ」
「俺が倒れても瞬がいるだろ。それに、俺は瞬やお嬢、世界もひっくるめて守ってみせるって約束したからな、倒れてる暇なんざないぜ」

龍馬の指す「何か」は、龍馬の命に関わることだ。
だから焦っている。
時間が経ち、この奇妙な現象が何か別の事態を引き起こすことを恐れている。
龍馬の目がそれを語っていた。

「……分かった」

それが痛いほど伝わってきて、諾と答えるより他に瞬が言うべき言葉はなかった。
医者を目指す者として、それを許容することは何よりも心苦しい。
しかし、瞬が優先すべきは医者としての己ではなく、星の一族として私情を切り捨てた自分だ。

「龍馬の怪我はもう大丈夫だと、皆に言っておく。それでいいな?」
「ああ、恩に着るぜ。ありがとな、瞬」
「……」

礼を言われるべきことではなく、罵られても当然のことを、しようとしている。
後ろめたい思いを抱え、瞬は赤い線の走る龍馬の手の甲に視線を落とした。

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