一輪花 | ナノ


  03


そうして始まった戦いは、見事ゆきたちの勝利で幕を下ろした。
体調が良かったからなのか、桜智が有限実行だったのか、ゆきには掠り傷一つない状態での圧勝である。
しかも、常ならば戦いを終えると眩暈を覚えて休憩を余儀なくされるゆきも、少し疲労を見せるものの体調を崩している様子もない。
万事が上手くいったのだと誰もが信じて疑わなかった。

「瞬くん、術はちゃんと機能しているようだね。見てみなよ、あの神子殿をさ。君の二番目に大事なものを犠牲にしてあんなにも元気そうだ」
「……リンドウ」

瞬の耳にしか聞こえない音量でそう囁いたリンドウは、前髪を摘みながら弄び、食えない顔で笑う。

「で、分かった?君の二番目に大事なものが何か」
「本当に、俺の命というわけではないのか?」
「瞬くん、君、自分の命が神子殿の次に大事?僕にはそう思えないけど」

リンドウの言葉に瞬は唇を引き結んだ。
確かにリンドウの言葉は的を得ている。
瞬にとって命はゆきと世界の未来と引き換えに消えるもので、それほど惜しいと思ったことはない。
死ぬのが当然だと思って生きている人間に、命が大事だと思えるはずもなかった。

「まあ、分かったら教えてよ。君の大事なものが何なのか、僕も気になるから」
「………」

ねめつける瞬の視線に臆することなくそう言うと、リンドウは大股にゆきに歩み寄り一言二言話しかけて当然のようにゆきの隣に収まった。
都が逆隣から牽制しているようだったが、全く気にも留めていない。
こうして見るとリンドウもやはり神子に仕えるべき星の一族だと瞬は思う。
表面上神子など辞めてしまえと公言して憚らないが、そのくせ神子の命を繋ぐためにあんな術を使うのだ。
神子を生かすために何を犠牲にしてもいいというその苛烈さは己にというよりは弟に似てはいるが、大事なものはやはり神子であり、ゆきなのである。

リンドウと話すゆきの顔は晴れやかで、後ろから見る姿はいつにも増して清らかな神気に包まれていた。
出来ることならばこのまま二つの世界だけを救い、これ以上尊い命を削ることなく役目を終え、瞬のことなど忘れてくれればいい―――そう思った矢先のことだった。

「……神子殿!」
「お嬢っ!」

異変に気付いたリンドウと龍馬がいち早く反応し、ゆきを背に庇った。
頭を押さえて苦しむ都の前にはチナミと晋作が、そしてゆきの前に駆けつけた瞬と総司が剣と刀を構えると同時に怨霊が空気を劈くような声を上げた。

「まずいな、分断されている」

呟くリンドウの声に道の先を見れば、偵察も兼ねて先行していた帯刀、桜智、アーネストの三人が怨霊に囲まれているのが見えた。
開けた場所だったのなら良かったのだが、内藤新宿は宿場であり、人が集まる場所だ。
下手に動き回るわけにはいかない。
先程の四凶戦とは違い、準備もしていない状態では被害を拡大してしまう恐れもある。
まずは目の前の敵から確実に叩いていかねばならない。
瞬は剣の柄を握り直し、怨霊を睨みつけたままで口を開いた。

「合流するにも、まずはこの怨霊を倒してからだ。ゆき、いけますね?まずは俺が切り込みます」
「私なら大丈夫だから、このまま浄化しよう、瞬兄」

凛としたゆきの表情に瞬は場違いにも安堵する。
ゆきは、瞬の神子だ。
今はそうであるだけの力も命をもきちんと持っている。

「いえ、無理はいけません。俺たちが怨霊を弱らせたらすぐに浄化を。あちらは小松たちに任せて大丈夫でしょう。彼らの腕は貴方も知っているはずです」
「そうだぜ、お嬢。それにさっきお嬢はでっかい仕事を終えてきたところなんだ、ちっとは俺たちにも出番を作ってくれや」
「だってさ、神子殿。面倒だから早く終わらせてくれないかな、これ」

皆の言葉にゆきが頷く。
それを合図に地を蹴った瞬を援護するように龍馬の銃が火を噴いた。
腹に息を溜めながら膝を曲げ、一息に切り上げる。
怨霊の背後を取った総司の刀が瞬の刃に沿うようにして袈裟懸けに切り下ろしていた。

「ゆきさん、今です!」

時間にしてみればほんの僅かの間の出来事だ。
それを可能にしたのは各々の実力と連携によるものが大きい。
断末魔の声を上げながら最後の力を振り絞った怨霊の攻撃は、リンドウの術でゆきに後一歩届かないまま終わった。

「神子殿!」

総司とリンドウに促され、ゆきはふわりと両手を広げた。
白龍の力を借り、怨霊を浄化するために。

「巡れ天の声、響け地の声……かのものを封ぜよ!」

あの睡蓮の光にも似た白い光が、怨霊を包み込んで弾けるように霧散し、―――空へと消えていった。



帯刀たちのところにいた怨霊の封印を終わらせるまでに掛かったのは十五分にも満たない時間だったが、何度も浄化を繰り返したゆきの顔は流石に疲労を隠し切れなかった。
身体を休めるべきだという八葉の意見と、当初の龍馬の提案に沿って茶屋で休憩をすることになり、一時は騒然としていた道を歩く。
幸いにも宿場や店、町民にも被害がなかったようで、遠巻きにこちらを窺う人々の声は神子を讃えるものが多いようだった。

「ああ、そこだ。あの角を曲がって、少し行ったところに目当ての店がある」

左手で路地を指した龍馬に、ゆきの目が驚愕に見開かれた。

「龍馬さん、その手……っ!血が……」
「……ん?」

きょとんとした龍馬が手を下ろすと、指先からぽたぽたと赤い血が落ちた。
グローブを真っ赤に染めているその血の量はとても軽傷とは思えないほどだった。

「龍馬、腕を出せ。……いや、どこか部屋を借りた方がいいか」
「瞬兄、私ちょっと行ってくる!」
「私も行こう。瞬、龍馬を頼んだよ」
「お、おいおいおい、俺なら大丈夫だって。別にそこまでする必要は、」
「龍馬さん、どう見ても尋常な出血ではありませんよ。ここは瞬さんにちゃんと診てもらう方がいいと思います」

往来で応急処置も何も出来ないが、とりあえずは止血をと服の袖を捲り血管を圧迫すべく怪我の場所を確認し、また袖を戻す。
瞬の目にはゆきには見せられないほど酷い怪我のように見えたからだ。
血を洗い流し、傷口を確認してみなければ断じられない。
しかし、普通ならばこれで平然としていられるはずはない怪我だった。
携えていた布で二の腕を縛り、手を心臓より上にしているように指示を出す。
ゆきと帯刀が戻ってくるまでの時間が途方もなく長く感じられた。
 
やがて近くの宿屋から出てきたゆきと帯刀に案内され、瞬と龍馬は宿屋の一室へと駆け込んだ。
すでに部屋には湯と清潔そうな布がたっぷりと用意してあり、その手際のよさに瞬は心の中で感謝する。
更に帯刀の采配なのだろう、他にも必要なものがあれば言いつけてくれて構わないと、宿の女中が部屋の外で控えてくれているようになっていた。

「では我々は茶屋で待っているよ」
「あの、私はここに……」
「駄目です、ゆき。気が散りますから、茶屋で皆と待っていてください。手当が終わり次第、俺と龍馬も茶屋へ向かいます」

龍馬の怪我が酷いことは傷口を見ていなくとも分かることだ。
帯刀もそれをゆきに見せるべきではないと判断したのか、渋るゆきの手を引いて宿を後にした。
残されたのは瞬と龍馬だけである。
瞬は深々と溜息をついて、龍馬の袖を再び捲り上げた。

「……今日の怪我ではないな。傷口が開いたのか」
「あー……一昨日ちっとやらかしてな、頭からばっさりやられそうになったのをつい身体を捻って腕で庇っちまったんだ」
「それでよくこれだけで済んだものだ。腕が繋がっているだけ良かったと思え」

逞しい二の腕に走る、斜めに切られた痕。一応は手当をしたのか軟膏が塗られていた。

「相手も怪我をしてたからなあ、力が入らんかったんだろう」

湯で血を洗い流し、痛いだろうがと前置きして布でこびりついた血も拭き取る。銃を撃った反動で少しだけ傷口が開いただけなのか、あれだけどくどくと流れていたのが程なくして嘘のように血は止まった。

「俺は運だけはいいからな。そう簡単にゃ腕も命もくれてやったりせんさ」
「本当に運がよければ命を狙われたり腕を切られたりもしない」
「それを言われちゃ終いだろうが。瞬、ちっとは怪我人を労わってくれよ」
「自業自得の怪我人を労わる理由がどこにあるんだ?」

瞬の言葉に、龍馬がぐっと言葉を詰まらせる。
ああ言ったものの、龍馬が命を狙われるのは坂本龍馬という男がこの時代を変えるための要の人物だからであり、龍馬の行いが悪いというせいではない。
命を狙われてもどれだけ邪魔立てされても、龍馬は挫けることなく国を変えるべく進んでいる。
そんな龍馬の生き様は、瞬にとって眩しいものだった。
どこまでも真っ直ぐに国の明るい未来を見詰め続ける、その視線に、瞳に、背中に、惹き付けられない者などいない。
対として隣に並び立っているからこそ一層強く思う。龍馬は瞬にとって光そのものだった。

(俺が守るべき星の光がゆきならば、それを照らすのは太陽の光―――龍馬なんだろう)

瞬が合わせ世とともに消えることを知ったときも、真っ先に瞬ごと世界を守るのだと言った龍馬に、その揺らぎない金茶の瞳に、どうしようもなく胸が震えた。
ゆきと死しかなかった世界に、龍馬という存在がするりと入り込んできたのはそのときだ。
あれからずっと考えていた。
この気持ちは一体何なのかということを。棄ててしまうべきものであることは重々理解している。
それでも、芽生えたばかりのこの気持ちをなかったものにしてしまうことは、瞬には出来なかった。
どうせどの道を辿ったところで瞬と龍馬は離れ離れになる。
龍馬はこの時代を生き、瞬は消え失せるか現代に戻るかのどちらかだ。
ならば思いの一つくらい抱えていたとしても誰も責めやしないだろう。
押し殺し隠していくことにはもう慣れていた。息を吸うよりも簡単なことだ。
消毒し、傷薬を塗り、包帯を巻く。
一連の手当を終え、瞬はわざと龍馬の傷口を包帯の上から軽く叩いた。
龍馬は平然としたまま、どうした?と瞬に目で問い掛けてくる。
痛みは、全くなさそうだった。

「……しばらくは左手を使うな。痛みはなくとも、また傷口が開く」
「これでも朝から使わんようにはしてたんだ。おかげで飯が食いづらいったらなかったぜ」

その言葉に瞬は初めて今朝の違和感の正体に思い当たった。龍馬は、左利きだ。

「さてと、お嬢たちのところへ向かおうぜ。すっかり待たせちまってるな」

ふらふらと左手を振ると、龍馬は捲くっていた袖を下ろし包帯を隠した。
そうしていると怪我をしていることに気付く人間など、瞬を含めていないに違いない。
普通ならば痛がって患部を無意識に庇おうとするのが人間だが、龍馬はごく自然に左手を動かしている。
傷口が開かなければ誰も気付かないままだっただろう。

「悪かったな瞬、手を煩わせちまって」

左手で頭を掻くその仕草も、いつも通りだ。

「いや……いい」
「お、珍しいな。てっきりきつーいお叱りがくるかと思ったんだが」
「一々怒るのも面倒だ。それに、お前は俺に叱られたいのか?」
「冗談だって!それに、瞬は笑ってた方が別嬪さんだ。眉間に皺ばっかり作ってたんじゃあ折角の顔が台無しだぜ」
「誰が別嬪だ。本気で怒られたいらしいな、龍馬」

からからと底抜けに明るく笑う龍馬に瞬の胸が震えた。
瞬の星と太陽を、皆が作る未来を、命と引き換えにしても守らなければと思う。
そこに瞬の存在は必要ない。

(このまま、二つの世界だけを救ってくれればいい―――)

瞬たちを救う道など跡形もなく燃えてなくなってしまえばいい、と。龍馬と並び立って歩きながら、瞬はそんなことを思って眉根を寄せた。


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